浮島編2
原稿を文学賞に応募したのち、ネットで労働系の仕事を漁ってはみたが、当然そのノウハウなど持ち合わせていなかった。はじめは平塚東部の工業地帯に絞り、いくつかの求人にアクセスした。
駅前のガラス張りのビルは見慣れ過ぎていて、もはや自分にとってそれは、ただそこに置かれた四角い箱でしかなかった。メールで案内されたのが、そのビル内のオフィスだったことは、運命とまでは言えない、一種の都合のよさを感じさせた。
現れた若い女性に履歴書を渡すと、話は涼しい渓流のごとくスムーズに進んだ。振り返れば、何の見栄だろうか。「論文を独自に書いていて、二年以内に辞めるかも」と告げたのは余計だった。もちろんこれは、当選を夢見て書いた小説を、論文に置き換えてついた嘘である。
翌日には、また別の女性職員の運転する車で、近場の工場へ見学に連れていってもらった。人生で初めて闊歩する工場内の勝手は当然わからず、道を横切ると、警備員から「横断歩道を渡ってください!」と注意された。
渡されたヘルメットをかぶり、通されたのは、正真正銘の木造バラックだった。二階の待合室から出てきてすれ違う作業員の中に、意外にも、青いつなぎを着た女性たちの姿も見られた。
作業場では、ゴムバンドを高速回転させる装置の横で、慣れた様子の男性二人が検品らしい業務を行っていた。気の良さそうな職長の男性から私と、ついてきた女性職員が仕事の説明を受ける。想像すらしたことのない作業を前に、「できそうですか」と訊かれた私は、「大丈夫です」以外、何も言葉を発することができなかった。
帰りの車中、女性職員は明らかに湿った心持ちで口を動かした。
「やっぱり、年齢かなあ」
そう言われたものの、派遣で就労する際、四十手前の年齢は全くネックでないことを、のちに私は知ることになる。
「西松さんが院卒だって知ると、さっきの職長さん、びっくりしちゃって」
女性はやんわりと語ったが、「見学の段階で、辞職を示唆するなど論外」という言外の意味を、それから少しずつ悟っていった。
これ以降、求人紹介の連絡はなく、就活の常識さえ十分に心得ない中年の試みは振り出しに戻ったのである。