浮島編9
医療機器洗浄へは、自宅から自転車で通った。
見学の翌日か翌々日、私には勿体ないことに、早速デスクが割り当てられた。手渡された鉄製ペンケースのような容器には、用途の想像がつかない器具がいくつも詰められていた。
中でも、ハサミのようでハサミでないあの医療器具を鉗子と呼ぶことを知った。しかし、それから現在まで、その知識が役立つ場面に遭遇したことは一度もない。
むしろ、「インプラント」という言葉が飛び交っていることに気付き、そちらを重点的に調べてみた。インプラントとは、体内に埋込む人工器具の総称だという。
そのことを、私の教育担当である女性に話してみたが、「よく調べましたね」とは言われず、淡々とした対応に終始された。
割合ふくよかな、そのベテランらしい女性は立崎さんといった。肌の張りからみて、もしかすると私より年下かもしれない、そう思った。しかしながら、彼女の年齢を知る機会は、退職までついに訪れなかった。
ぴったりとするゴム手袋を嵌めると、ついに人生初の医療洗浄が始まった。釘のような形状の器具の中が空洞になっていて、私はその内部をひたすら眺めるよう言われた。
「中が汚れているのが分かりますか」
デスク前部の蛍光灯に空洞の出口を向け、私はそれこそ、すでに開いている穴が広がるほど覗いた。しかし、空洞は空洞でしかなく、それ以外のものは認識できない。
適当に答えて、要領を得られないのもよくないと思い、私は正直に答えた。
「すいません、分かりません」
「中にポツポツと、シミが点在していますが、見えませんか」
立崎さんの指南を頼りに、私はさらにその空洞を凝視する。だがやはり、見えるのは、細い鉄ストローの先で、安定的に輝く蛍光灯の灯りだけであった。
「すいません、どれが汚れかわからないです」
それを聞いて立崎さんは困ったようにして、周りにこう漏らした。
「どうしよう、どう説明すればいいだろう」
そのとき、私の右目がようやく目当ての「汚れ」を捉えた。確かに、鉄ストロー内部に赤黒い(それが血液なのか、ついにわからなかったが)斑点が付着している。
「見えました!確かに汚れがついています」
微生物の交尾でも発見したように、私は制止の意味も込めて、立崎さんにそう声をかけた。




