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第4話 これは悪夢か正夢か

 ニーデラーナ学園を卒業した日、珠子は日本に戻った。一年後、再び召喚されたのは珠子が去ってから十年が経過した世界。見覚えはあるのに、懐かしさを感じないニーデラーナだった。

 珠子だけが、(ことわり)から取り残されている。


(そういえば、デリク先輩はなにも言ってなかったな。興味ないだけか)


 そもそも、デリクが珠子の顔をはっきりと記憶していたかどうかは怪しいところだ。獣人である彼は視力も嗅覚も抜群にいいだろうが、興味のない相手の顔はへのへのもへじに見えているに違いない。

 一方、観察力に優れた人間であるレダはどの程度の違和感を抱いているのだろうか。気にはなるが、墓穴を掘るような質問はできない。だって、デリクよりも厄介なのはレダの方だと分かっているから。


(レダ先輩って口は堅いけど、逆にそれが怪しいんだよなぁ)


 珠子は現在の年齢をレダに明かしていない。

 当然といえば当然だが、珠子の外見が変わらないため、レダは今でも年齢差は二歳だと思い込んでいる。それを正す必要を感じないのは、二人の関係がこれ以上発展するとは思えないからだった。




 珠子が日本へ戻ったことを知る者は、少なくとも二人いる。


 一人目は、珠子の後見人だったアンリ・グスメロリ。

 彼はニーデラーナ学園の理事で、年齢不詳の快楽主義者と噂されていた。自称長命種のエルフだが、言動に一貫性がなく周囲からは浮いた存在だった。しかし、学園理事の中では最古参らしい。


 二人目は魔法科の教師、ヴェスル・クリドウェン。

 禁術である召喚術の授業中に優秀でありながら愚かな生徒がふざけて術を使った結果、珠子が異世界から呼び寄せられた。それは単なる不幸な事故ではなく、監督不行き届きによって引き起こされた国家的大問題だったのだ。


 ニーデラーナ学園は国立であり、国家の管理下に置かれている。そのため、事態は大問題どころの話ではなかったらしいが、当事者の珠子は慣れない世界で生活していくのに必死で、面倒なことはすべてアンリに任せていた。

 事情を聞かれても「気づいたときには魔法陣の上にいた」としか言いようがなく、魔法のない世界から一方的に呼び出された身としては協力できることは少ない。

 国の要人たちが頭を抱える事態を一般人の珠子が収束に貢献できるはずもなく、そもそも、どうにかできるのは魔法の扱いに長けた者だけだ。


 結論として、すぐに日本へ戻ることはできなかった。

 禁術である召喚術に関連する文献は少なく、研究も発展途上にあったからだ。それを知った珠子は荒れに荒れたが、嘆いたところで腹は減る。


 今回の事態を招いた生徒には退学処分の決定が下された。魔力を持つ者はニーデラーナ学園を卒業しなければ魔法使いを名乗ることができない――国家資格のようなものらしい――ため、魔力封じの術をかけられたそうだ。これは犯罪者と同等の厳罰で、二度とニーデラーナ学園の敷居をまたぐことは許されない。国外追放にならなかったことが最大の温情だそうだ。


 ちなみに、問題の授業を担当していたヴェスルは解雇処分になる前に珠子が止めた。彼は魔法使いの中でも優秀な人物として有名で、問題児の多いニーデラーナ学園の中でも手綱を取るのがうまいと評判だったからだ。


 ヴェスルは珠子の意見が上層部の決定に反映されていたことを知ると、正式に謝罪の申し入れをしてきた。窓口担当であるアンリがそれを伝えてきたということは、「聞いてやったらどうだ」という彼の意思も含まれている。

 しかし、珠子は「近いうちに会うことになるから、そのときでいいです。ご挨拶は」と素っ気ない返しで断りを入れた。謝罪の言葉は聞き飽きていたから。


『ヴェスル・クリドウェン。彼女は明日から編入するタマコ・シモノソノ嬢です。どうぞ、導いて差し上げてくださいね』

『お世話になります。クリドウェン先生』

『……まず、貴殿に謝罪を』


 後にも先にも、ヴェスルの神妙で沈痛な面持ちを見たのはこのときが最後かもしれない。


 ちょうど衣食住の不安が解消された頃で、珠子の気持ちは少しだけ上向きだった。

 日本には残してきたものが多すぎる。帰りたい気持ちは強いが、落ち込んでいるだけではどうにもならない。自分にできることは被害者という立場を最大限に利用して強かに生き抜くことだ。


『謝罪はもう十分です。偉い人たちには、わたしを元の世界に戻す研究を最優先で進めるって約束してもらいました。この通り、乙に嘘をついたら甲が針を千本飲む、という契約書もあります。当然、乙はわたしで、甲は魔法省の偉い人です』


 魔法省の要人は珠子を子どもだと思って侮っていたはずだ。契約内容を提示したときの慌てようと「日本ではこれが普通のことですので」と涼しい顔で押し切ったときの表情は忘れられそうにない。同席したアンリは明らかに面白がっていたが。


『クリドウェン先生には、今日からわたしの教育係になってもらいたいんです。異世界人で魔法ド素人のわたしを、稀代の魔法使いに育て上げてください』

『は?』

『魔法を教えることに関しては、クリドウェン先生の右に出る者はいないと聞きました。ですよね? アンリ先生』

『そうですよ』

『ちょっと待て』


 不思議なことに、珠子には魔法の適性があった。女の魔力持ちは世界的に希少で、ニーデラーナで暮らしていくのであれば御せるようになった方がいいとアンリから提案されたのだ。


『歴史に名を残す、異世界出身者初の偉大な魔法使いになってみせます』

『タマコ嬢は――』

『タマコでいいです。言葉も崩してください。教師は敬うタイプなんです、わたし』

『……俺は厳しいぞ。女性だからといって手心は加えん』

『覚悟してます』

『俺のことはヴェスルと呼んだらいい。あなたには、それを許そう』

『オッケー! ヴェスル!』

『そこはヴェスル先生だろうが!』


 こうして、ヴェスルの役職は魔法科の教師であると同時に異世界人担当という肩書がついた。優秀な人間を解雇するなんてもったいない――という珠子の進言が通ったことによって。


 召喚術の授業に出席していた生徒たちには忘却魔法が施され、学園関係者にも口外が禁じられた。魔法による誓約を破った者には相応のペナルティが課される仕組みになっていたが、当時の珠子は詳細まで把握していない。アンリは「針を千本飲むよりはぬるいペナルティかもしれない」と言っていたが、実際はそんなものでは済まないだろう。


 珠子が異世界人であることを知るのは国家機関である魔法省に勤める役人と、学園内のごく一部の教師だけ。

 珠子は「遠い異国からの特待生」としてニーデラーナ学園に編入し、学生生活のほとんどをヴェスルからのマンツーマン指導で乗り切った。「厳しい」と言った彼の言葉は伊達ではなかったが、彼の膨大な知識量と実技指導を一身に浴びた珠子の才能はみるみるうちに開花していく。


 魔法科に所属する生徒は全員男子で、女が廊下を歩いているだけで珍しがられた。

 ヴェスルの講義を受けたいとやっかむ生徒たちに絡まれることもあったが、そのたびに防犯ブザーのような魔法具を発動させてヴェスルを呼びつけていたら誰も近づかなくなった。

 ついたあだ名は、「教師を使い魔扱いする女」だった。


 順風満帆とは言い難いながらも、珠子は三年近い学生生活を乗り越えた。


 前代未聞の召喚事件の解決は、珠子を元の世界に戻すことでしか終わらない。

 卒業を数日後に控えた頃、ようやく吉報が届いた。国家の権威ある魔法使いたちの手により、返還術の魔法陣が完成したというのだ。


 珠子は立派な魔法使いに成長した。

 魔力のコントロールも、術の発動も、魔法陣の展開も、どれも同学年の中で上位の成績を収めている。「女だから」と舐められることもあったが、その頃には防犯ブザーに頼らずとも自分で撃退できる程度には図太く成長していて――学園内での私闘はご法度なので、あくまでも()便()()――友人と呼べるような存在もできた。


 珠子はニーデラーナ国で魔法使いとして働けるだけの能力を身につけ、無事に卒業を迎えた。そして、なんの未練もなくその足で日本へ戻ることにしたのだ。


 アンリとヴェスル。そして、数名の魔法使いたちが魔法陣に魔力を注ぎ、珠子自身も最後に魔力を発動させる。日本への道標は珠子の記憶だけが頼りだと言われたので、しっかりと故郷を思い浮かべながら。

 数秒の浮遊感のあと、珠子は呆気なく日本に戻っていた。ニーデラーナで過ごした三年間が嘘のように、召喚されたときとまったく同じ場所に立っていたのだ。恐る恐る、確かめるように念じても、魔法は一切使えない。




 こうして、珠子はめでたく元の世界に戻ることができた――はずだった。

 信じられないことに、話は「めでたしめでたし」では終わらない。




 日本に戻ってから一年が過ぎた頃、珠子は再びニーデラーナ国に召喚されてしまったのだ。


 今度は学園の教室ではなく、まるで牢屋のような薄暗い部屋にいた。そう遠くない記憶を頼りに念じると、手のひらに光の玉が浮かび上がる。


(魔法が使える、ということは――)


 これはあとになって知ったことだが、珠子が落ちたのはドムス・ヴェネニにある個室で――プレイ中の部屋でなかったのは不幸中の幸い――魔法の気配を察知したオーナー、ルーシッド・スヴェルヴがすっ飛んでくるまで、珠子はただ立ち尽くしていた。


『ここはニーデラーナでしょうか?』

『……そうだが、おまえは?』


 当然のことながら、今の珠子には身分を証明できるものがない。不本意だが、店に侵入した不審者という扱いを受けても文句は言えなかった。

 とりあえずは敵意がないことを示すため、自ら名乗るしかできない。


『わたしはタマコ・シモノソノと言いまして……ちょっと、自分でもよく分からないんですけど、なにかに巻き込まれたのかも……』

『もしかして、ニーデラーナ学園に通っていたか?』

『え、なんで知って』

『みょうちきりんな名前の女が魔法科に入ったのは有名な話だ』

『み、みょうちきりん……』


 誰がどのような噂を流し、どのように有名なのかを詳しく聞き出したいが、今はそれどころではない。


『で、有名人がなんでこんなところに? 卒業後は国に戻ったと聞いたが』

『わたしにも分かりません。気づいたら、ここにいて』

『移転術に失敗でもしたか?』

『……記憶が定かではないので、なんとも』

『おまえ、()()()()()()


 自分の返答が怪しすぎて泣きたくなってくる。「異世界から来た」と馬鹿正直に答えるわけにもいかず、安易にニーデラーナの地名を出すのも得策とは思えない。


『それが、その』

『……分からないなら、いい。記憶喪失か? それなら、病院にでも連れて行ってやるが』

『いえ、その、実は訳ありでして。家出? みたいな感じで、はい。なので、ちょっと、病院ではなく、生活の基盤を整えたくて』

『おまえを探している者がいるんじゃないか?』

『……身内は、いないので』


 一度目の召喚時には市民権を得ていた珠子だが、それが今も有効なのかは分からない。下手に動けば大事になってしまうだろう。だって、珠子はもうこの世界に存在していないことになっているのだから。


『……なるほど』


 ルーシッドという男は一を聞いて十を知る人物だった。

 怪しげな店のオーナーであることに目をつむれば彼は非常に面倒見のいい人間で、部屋を用意してくれるだけでなく当面の生活まで保障してくれるというのだ。


『なんで、こんなに親切にしてくれるんですか? 自分で言うのも変ですけど、どう考えたって不審者ですよね、わたし』

『……昔、似たようなことがあったもんでな』

『え?』

『なんでもない。猫を拾ったのと同じだ』


 迷った末に、珠子は見知らぬ男の好意を受け取ることにした。ブランクがあるとはいえ自分は魔法使いで、身を守る手段はいくらでもある。

 今すぐにでも魔法省かニーデラーナ学園に突撃したい気持ちはあったが、今やるべきことは衣食住の確保。これに尽きる。地図を見て、現在地を把握して、行動するのはそれからだ。

 アンリやヴェスルに再会できたら文句のひとつやふたつ言ってやればいい。「また禁術にでも手を出したのか」と言ってやりたい。


 そう思っていた――その日の夜までは。


 テレビを何気なくつけると、そこには見覚えのある美貌が映っていた。

 ニーデラーナ学園の上級生、ベイジル・ロバーツの特集だ。思わずチャンネルを変える手が止まる。彼は在学中からモデルを中心に芸能活動をしていて、エルフと見まがうほどの美貌の持ち主ながら、れっきとした人間だ。「美人は三日で飽きる」なんて言葉は嘘だと確信させるほど、彼のご尊顔は何度見ても拝みたくなるほど美しい。

 久しぶりに見たベイジルは相変わらずの輝きを放っていたが、その麗しさとは裏腹に、テレビに表示されたテロップに違和感を覚えた。


 ――《大人の魅力! ベイジル・ロバーツの増した色気に迫る》

 ――《三十代をどのように生きるか》


 ベイジルは珠子の二歳上なので、三十代に差しかかるにはまだ早い。フェイクニュースかと思ったが、夕方のお堅い情報番組に限ってそれはあり得ない。


『ベイジル先輩が三十代?』


 彼は珠子の二歳上のはず。三十代になるには、まだ早い。

 一瞬フェイクニュースかと疑ったが、流れているのは夕方の報道番組で、間違いはあり得ない。

 リポーターの質問に淡々と答えるベイジルをじっと眺めた。どれだけアップで映し出されてもシミはないし皺もない。でも、珠子の記憶にある彼よりも確実に「大人」だった。

 決定打となったのは、彼の成長記録だ。十代から三十代へと至る変化を示す写真が、左から右へとゆっくり流れていった。


『うそ』


 映像がぼやけ、ベイジルとキャスターの声がひどく遠くに聞こえる。やけにうるさい音の発信源は、自分の心臓だった。


 珠子がようやく取り戻した日常は、わずか一年で幕を閉じた。

 お先真っ暗かと思いきや、ぎりぎりで回避できたような気もする。でも、待ち受けていたのはボンテージスーツの試着という、未知の世界の洗礼だった。


 これが、珠子が再びニーデラーナに戻ったあとの顛末である。






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