第38話 おはよう、眠り姫
冷静に考えなくても、自分は聞き分けがよすぎると珠子は思った。
被害者として怒鳴り散らし、補償を要求し、泣き落としをしたっていい立場だ。極端な話、国から賠償金をふんだくって働かずに遊んで暮らす選択肢だってあるのだ。
魔法を学ぶことを選んだのは自分の意思だとしても、アンダーグラウンドに限りなく近い女王様業で生計を立てる人生は、決してイージーモードではない。むしろ、普通に考えればだいぶハード寄りだ。
職業に不満があるわけではないが――元教え子を際どい店で働かせる倫理観を疑ったのは事実だが――隠れ蓑にしてはエキセントリックすぎる。
珠子は文句を言える立場にある。言うなら今しかないだろう。
「聞きたいんですけど」
ぽつりと切り出すと、アンリは書類から視線を上げた。
「なんでしょう」
「わたし、SMクラブで働く必要ありました?」
間の抜けた問いかけに、アンリは一瞬だけ言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。
「あなたを眠りにつかせた件は、トップシークレットでした。生徒と顔を合わせにくい場所を選んだ、という事情はあります。もっとも、事務方でも研究補助でも、やることはいくらでもありましたが」
「ですよね」
「ですが……結構、あなたが乗り気だったので」
「え、そうでした?」
「ええ」
アンリは困ったように微笑んだ。
「でも、生徒たちはなぜかあなたに引き寄せられてしまって。隠し通すのも、だんだん簡単ではなくなりましたね」
すっと目を細め、含みのある視線を珠子に向ける。
「独占欲なのか、庇護欲なのか……理由は分かりませんが。結果的に、あなたの存在が外に広まることはありませんでした。不思議なことに」
珠子は肩をすくめた。不思議でもなんでもない。彼らはうっすら他人が嫌いで、信用していなくて、自分だけが情報を握っていると過信しているのだ。その過信の土台には知識があり、経験があり、その上に魔力量が乗っかっている。
彼らは否定するだろうが、きっと珠子の情報を漏らさないのは同族嫌悪というものだ。
土俵はそれぞれ違うにしろ、支配者という立場が似合う人たちだから。
その後、アンリとラスロは「報告がある」と言って部屋を出ていった。ラスロは結局最後まで多くを語らなかったが、「またミルディナージュを用意して待っている」とだけ言い残していった。
そういえば、今日までに自分は何杯のミルディナージュを飲んだのだろう。数えようとして、途中でやめた。
「今さらですけど」
部屋に残ったヴェスルに向かって、珠子は首を傾げる。
「わたしって、何歳ってことにすればいいですか?」
真実を知ったところで珠子の日常は変わらない。珠子自身が今まで通りを望んだし、周囲もそれを受け入れてくれるだろう。
すべてを知ろうとする者もいれば、なにも知らないままの者もいる。ここは、そういう自由で横暴な世界なのだ。
「肉体年齢、っていうんですか? わたし、年取ってないんですよね? 夢の中で一年を過ごして、目が覚めたら十年経ってて……なんだか、サバを読んでるみたいで落ち着かないんですけど」
「あの装置の中にいた者は、ほとんど老化しない。それだけ魔力を注いでいたからな」
ヴェスルは淡々と続ける。
「だから、おまえの肉体は二十にも満たない」
「え?」
「おまえは十九を迎える年に眠っただろう。夢の中で一年過ごしたのなら、そういうことだ」
珠子はしばし沈黙した。そして、ふと思い出す。
――最初の召喚から、間もない頃。
『こちらの一年生って、何歳くらいなんですか?』
『魔力があれば門戸は開かれる。種族によるが、人間であれば十五歳前後が多いな。おまえはもっと若く見えるが』
『本当ですか? わたし、十六なんですよ。実は』
珠子は高笑いを堪えながら、にやりと笑ってヴェスルを見上げた。ようやく、ぎゃふんと言わせる時が来た。小さな、しかし確かな復讐心がそわそわと疼く。
「ヴェスル先生には、わたしが二十歳くらいに見えますか?」
「ん? 確かにおまえは幼い顔つきだが、そういう民族なら――」
「これから話すことは、わたしと先生だけの秘密。いいですか?」
「内容による」
「わたし、この世界に来たときは二十五歳になったばっかりだったんです」
「は?」
「さて、問題です。今のわたしは、何歳でしょう」
「は」
間の抜けた声が、きれいに二度響いた。
「いやあ、まさかこんなことになるなんて思っていなくて」
これからは肉体年齢を実年齢として名乗ることにしよう。そういえば、身分証の年齢はどうなっていただろう。確認しておかなければ。間違えていれば、権力者に修正してもらえばいい。
当時、ヴェスルに「未成年のガキには興味ねぇよ」と言われたことを、珠子は意外と根に持っていたらしい。彼の見開かれた目を見て、胸のすく思いだった。
「秘密は女のアクセサリー、でしょ?」
珠子は笑みを深めた。少女のような、無邪気な顔で。




