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第37話 モルモットの矜持

 珠子はじっと黙った。考え込んでいるように見えたかもしれないが、実際のところはぼけっと前を見ていただけかもしれない。


「魔法というのは不思議なもので、夢を見せることはできても、内容は細かく指定できません」


 アンリはそう前置きしてから続けた。


「あなたは頭の中に理想のニホンを構築し、まるでそれが現実であるかのように過ごした。十年後に目覚めた理由は分かりませんが、魔力量が関係しているのか、夢の中でなにかがあったのか――」


 彼らが施した魔法は、あくまで人体を仮死状態にして眠りにつかせたことと、珠子を安置するための場所を用意したこと。その二点に尽きる。


「あなたが枕元に置いていた魔法香は、深い眠りを誘発するものです。ですから、当時を思い出した体が引きずられたんでしょう。でも、以前のように年単位の眠りには至らなかった」


 アンリは一拍置く。深く息を吸った気がするけれど、気のせいだったかもしれない。


「今回も、ニホンの夢を見ましたか?」

「見ました」


 言うか迷ったのは一瞬で、珠子は素直に思ったことを口にした。


「最初は、いつも通りの朝だったんです。食事をして、電車に乗って。でも、気づいたときには崩れました。だから、夢だなって、思って」

「これは仮説ですが、現実ではないかもしれないと疑うことがトリガーだったのかもしれません」


 珠子は反論しなかった。あの一年とは違い、先ほど垣間見た日本はひどく無機質だった。整ってはいるが、温かみのない殺風景。そこに生きていたというよりは、録画した映像を古びたテレビで見ているような、そんな心地がした。


 未練がないと言えば嘘になる。眠りさえすれば、少なくとも肉体は朽ちないだろうから。でも、あの一年と同じ質の夢を、もう一度見られる保証はどこにもない。たとえ再び夢を見られたとしても、それを夢だと認識した瞬間に、自分が自在に目覚められるとも限らない。


 もっとも重要なのは、珠子を知る人のいる日本に戻ることだ。数百年、数千年後に返還術が完成したとしても、戻った先の時間も同じように進んでいれば確実に浦島太郎状態に陥るだろう。

 魔法は未知で研究の余地があるが、万能ではないことを珠子は知っている。


 分からないことだらけだった。まるで、自分というこの世界の異物を使って、試行錯誤を繰り返されているような気分になる。


「あなたは選ぶことができる」


 アンリが言った。


「再び眠るかどうかを」


 珠子は鼻で笑ってやった。女王様業をしているときのように、愚か者を見下すような、そんな不遜な顔で。

 アンリたちは分かって聞いている。理想的な夢を見られる確証がないことも、自分たちが生きている間に返還術を完成させると言い切れないことも、珠子を説得する(すべ)がないことも。

 そもそも、この問いが傲慢であることも。


「国のお金で?」

「もちろん」

「返還術ができるまで?」

「そうです」

「何百年、何千年かかっても?」

「引き継ぐ準備はできています」

「アンリ先生みたいな長命種も、わたしを知る人がみんな死んで、わたしと関わったことのない人がわたしを管理することになっても?」


 アンリは一瞬だけ言葉を探し、それから答えた。


「それが、誓約ですから」

「わたしの存在が邪魔になったら、寝ている間に消されません?」

「ありえません。この研究所に入った者たちは誓約書によって心臓を握られていますから」


 アンリはきっぱりと言った。

 自分で聞いておいて、珠子は馬鹿げていると思った。過去のやらかしの尻ぬぐいを、未来に丸投げする。その構図自体が、だ。


 口うるさい魔法省がバックにいるとはいえ、フォローする気にはならない。彼らの態度は誠実とは言い難いからだ。

 いくらでも明かす機会はあったのに、返還術が存在しないという真実を隠したまま珠子を眠りにつかせて時間を稼いだ。実験的な生命維持と、予期せぬ目覚め。命は守られていたかもしれないが、人間の尊厳としてはどうだろう。扱いとしては、どう考えてもモルモットだ。


「返還術の開発は、続けてください」


 珠子は声を搾り出して言った。なるべく無感情に聞こえるように。


「またいつか、召喚術を使ってしまう人がいるかもしれないから」


 彼らに対する情を滲ませてはならない。馴れ合いの延長線上で取引をしてはいけない。だって、ここにいるのは加害者と被害者だから。

 召喚をした本人かどうかが重要なのではない。加害者本人の処遇を決めたのはニーデラーナという国家であり、魔法省からの指示を実行したのは目の前にいる魔法使いたちなのだ。


「わたしが聞き分けのいい大人だったことに感謝してください」


 今でも日本へ帰りたいと願っている。どんなに居心地のいい部屋があっても、楽しいことがあっても、美味しい食事があっても、すべて故郷には敵わない。少なくとも、珠子にとっては。


 でも、召喚された当初とは持ち合わせている度胸が違う。心細い日々を過ごした学生時代とは違い、今の珠子には生きるための基盤がある。

 今の感覚を表現するのであれば、異国に引っ越して十年経った、くらいの気持ちかもしれない。だいぶ強がった言い方かもしれないけれど。


「眠りは、しません」

「眠りにつかなければ、老いますよ」

「分かっています」


 珠子が生きているうちに返還術が完成する見込みはないに等しい。

 ニーデラーナと日本の間にどのくらいの時差があるのかは分からないが、同じであれば十年が経過しているのだ。普通の生活に戻るには苦労するだろう。

 あきらめるための言い訳かもしれないけれど、覚悟はできている。


「わたし、それなりにうまくやっていけそうです。この世界で」


 見栄を張った。でも、それ以上に加害者に慰められたくなかった。

 厄介ごとに巻き込まれたことを、水には流せない。それでも、この世界で得たものがあるのも事実だった。尽くしてくれる人がいて、居場所があって、名前を呼ばれる。

 二択を与えられる人生ではなく、何万とあるはずの隠れた可能性をたぐり寄せて生きていくのだ。自分の力で。


 赦したわけではない。それでも、泣きわめいてみっともない姿を晒すつもりはなかった。だって、無様な姿は見飽きている。


 これはきっと、ハリボテ女王様なりの矜持なのだろう。






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