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第36話 タイムカプセルの名はパンドラ

「……夢の中?」


 掠れた声でそう口にした珠子に、アンリは否定も肯定もせず、小さく息をつく。改めて肯定されるより、鉛を食ったように気分が沈んだ。

 ヴェスルが一歩前に出る。説明役を引き受けるときの、感情を切り離した目をしていた。


「順を追って話す。混乱するだろうが、事実だ」


 その前置きだけで、珠子の胸の奥がひやりと冷えた。恐らく、今の珠子は逃げ道を塞がれた獣と同じ心地を味わっているはずだ。


 返還術は、まだ完成していないこと。珠子は、十年前から仮死状態に近い眠りについていたこと。そして、珠子が「ニーデラーナから日本へ戻り、日本で過ごした一年」は、すべて夢だったこと。


 みっつの事実は、どれも等しく現実味がなかった。頭では理解できないのに、否定の言葉すら出てこない。むしろ、どこかで「そうだろうと思っていた自分」がいる。そのことが、ひどく腹立たしかった。

 発した声は自分のものとは思えないくらい冷たくて、ざらっとしている。


「どうして、夢なんて」

「それは我々が意図したものではなかった」

「本来であれば、夢も見ないはずだった?」

「ご名答」


 ヴェスルは憎たらしいほど淡々と補足する。


「深い眠りによって脳が勝手に記憶を作り出したか、あるいは長期使用による後遺症だと考えている。現に、目覚めた直後のおまえは『もう一度ニーデラーナに召喚された』と信じ切っていたからな。まあ、正直言うと、サンプルが少ないから正解は分からない」


 珠子はヴェスルの説明を聞きながら、自分が疑心暗鬼に陥っていないことに驚いていた。

 そして、ここが日本であれば荒唐無稽だと笑い飛ばすような話なのに、ニーデラーナという非現実な世界はそれを現実にしてしまう。

 珠子は確かに日本に戻った気でいた。でも、気づいたときには()()()()ニーデラーナにいて、それが正しい記憶だと証明できるものがない。


「返還術の研究には、時間が必要でした」


 黙り込む珠子をよそに、アンリが続ける。


「早くても数百年。現実的には、数千年単位になる可能性が高い」


 珠子の寿命が先に尽きる。その言葉は、言外に置かれていた。


 召喚術の被害者である珠子を日本へ返す。それは、珠子を異世界から誘拐した魔法国家としての絶対的な責務だった。魔法使い個人の都合や感情とは切り離された、もっとも重い誓約。

 でも、すぐに叶えられる魔法はこの世に存在していない。だから、嘘が生まれた。


 返還術が完成するまで珠子を生かし続けるため、保存魔法を応用した生命維持魔法が用いられた。眠らせることで時間を稼ぐ。そのために結成されたのが、アンリが所長を務める「汎魔術理論応用研究所第二分室」だった。


「国内でも指折りの魔法使いが集められた組織です」


 アンリの声は低い。


「魔法省はどうしてもあなたの存在を秘密にしたいようです。第二分室に送り込む人材は学園関係者ばかり。しかも、長命種を多めに」


 珠子はこの()()()()()を黙って聞いていた。怒りが湧かないわけがない。悲しくないわけでもない。ただ、この感情に正しく当てはまるピースはなく、それでもいちばん近いのは、裏切られたという感覚だった。


「あなたが十年で目覚めたのは、完全に想定外でした」


 やりようはいくらでもあったが、珠子を再び眠らせるには膨大な魔力が必要になる。だから、再召喚だと勘違いしている方が都合がいい。そう判断され、珠子の行動は監視されることになった。


「今回、長期の眠りを誘発したのは、あの(こう)だろう」


 ヴェスルが言う。


「それに引きずられて、十年前に施した魔法が誤作動を起こした」


 何度も読み直した誓約書の内容が脳裏をよぎる。珠子を必ず日本へ返すと書いてあった。でも、確かに期限はなかった。返還術はすでにある術だと、珠子が思い込んでいたからだ。

 それが、抜け穴だったのだ。


「返還術は、今も完成していないんですね」


 珠子の問いに、ヴェスルは頷いた。


「一度きりしか使えないのは返還術じゃなくて、わたしを眠らせる魔法だったってことですか?」

「そうだ。発動に膨大な魔力を消費する。だから一度きりだと説明した」


 ヴェスルの抑揚のない声は、過去の授業を思い出すには十分だった。懐かしくて、憎たらしくて。でも、嫌いになれない。


「だが、おまえの魔力量を改めて測定した結果、以前とは比較にならない数値が出た」


 珠子自身の魔力を使えば、再び「日本に戻った夢」を見ることができる。

 返還術が完成する、その日まで。


 部屋に沈黙が落ちる。誰も、結論を急がなかった。


 珠子は、ただ思った。あの一年が夢だったのなら、自分が積み重ねたと思っていた日々はなんだったのだろうか。過ごした日々の、どこからどこまでが本物で、どこからが嘘だったのか。自分の記憶すらも信じられないこの状況で、なにを信じればいいのだろうか。


 そして、もう一度眠るという選択肢が、救いなのか、不毛な願いなのかは――まだ、判断できそうにない。






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