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女王ドミナ・レヴェルサの上客を名乗る者たち  作者: 世良かけり
第4章 見世物小屋のマーチ
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第33話 未完成のハッピーエンド

 数日後、ニーデラーナに帰還した珠子にレダから一通の招待状が手渡された。これに同伴することが今回の対価だと言って。


「仮面舞踏会?」

「そう。自由な交流会だと思ってくれ」

「実は闇オークションの隠語だってことは」

「それはない」


 きっぱりとした返答に、珠子は胸をなでおろした。


「というか、なんでわたしなんですか?」

「同伴者が必要なんだが、知り合いに女がいないんだ」

「それはさすがに冗談きついですって」


 レダはただ笑うばかりで否定しようともしない。昼の彼と、夜の彼。相変わらず、この男の境界線がどこにあるのかさっぱり分からないと珠子は思った。

 会社員だと本人は言っていたが、結局のところ事実かどうかは不明だ。卒業後は企業へ就職するのが一般的と考えれば、会社員という肩書自体はもっともポピュラーな存在であり、疑う方がおかしな話だ。それなのに、なぜか怪しいと穿った見方をしてしまう。そう思わせるのがレダという男だ。


「ドレス一式はあとで送る」

「え、いいんですか?」

「男が用意するのがマナーだ」


 淀みなく言うものだから、珠子は素直に頷くしかない。


 そして後日、届いた箱を開けて固まった。素人が見ただけでもとんでもなく高いドレスとアクセサリーだということが分かってしまったから。しかも、なにも言っていないのに靴のサイズまでぴったりで、それが少しだけ怖かった。






 約束の一週間後。

 舞踏会の会場は、異国の宮殿の一場面を切り取ったかのように華やかだった。高い天井から吊り下がるシャンデリア、艶やかな大理石の床。その上を、仮面の群れが流れるように行き交っていく。


 仮面は目元しか隠していないのに、顔立ちが正しく認識できない。華美な衣装は見分けがつくが、仮面にかけられた魔法によって声すらも変えられている。誰が誰なのか皆目見当がつかない。

 上流階級の遊びなのだろうが、単に無礼講というわけでもないらしい。気ままに振る舞えない以上は窮屈なだけだ。


 最初はレダにエスコートされていた珠子だが、ほどなくして会場へと放り出された。彼曰く「要人が多数いるから警備は万全だ。安心しろ」とのことだが、それが安心材料になるかは微妙なところだ。珠子は数日前までその要人の家に囲われていたのだから。


 とりあえずは食事でもしようと料理の置かれたテーブルに近寄った。そのときだった。


「お嬢さん」


 背後から聞こえてきた声に、珠子は一瞬足を止めた。声を変えられているはずなのに、どこかで聞いたような響きだった。


「名を伺っても?」


 振り向いても、やはり顔は分からない。仮面越しに見える目元すら曖昧だ。


「ここでは、みんな名前がないのでは?」

「仰る通りだ。では、今夜限りの名を聞いても?」


 少し考え、珠子は答えた。


「ルシア・ペルラ」

「――いい名だ。美しいあなたに相応しい」

「顔も分からないのに、よくそんなことが言えますね」


 男はくすりと笑い、珠子の手を取った。ダンスの経験はほとんどないのに、自然と足が動く。誘われるように身を預けていると、会話も踊りも不思議なほど滑らかに進んでいった。


「バルコニーに出ても?」

「どうして?」

「二人きりになりたい」


 口説き文句としては直球すぎる言葉に、珠子は思わず反射的に返した。


「高いですよ」


 それでも男は怯まず、控えめに笑って手を引いた。

 夜風が頬を撫で、火照りをすっと奪っていく。カーテンを閉めてしまえば、そこはもう二人だけの世界だ。

 上流階級の人たちは、このように密会をするのかもしれない。それが純愛だろうが禁断の関係だろうが珠子には興味がなく、ただ単にドラマの舞台に自分が立ったような高揚感があった。


「しばらくシシュティタリアに行っていたと聞いた」

「え?」

「元気にしていたか、タマコ」


 仮面を取るのはマナー違反だとレダに言われていた。だからこそ、男があっさりと仮面を外したとき、珠子は思わず息をのんだ。

 そこにあったのは、仮面で隠すにはもったいないほどの整った面影。


「ベイジル、せんぱ──」

「しーっ」


 細長い人差し指が珠子の唇にそっと触れる。続けて、珠子の仮面も外してしまった。


「なんで、わたしだって分かったんですか?」

「秘密だ」


 ベイジルはシシュティタリアでの出来事を深く詮索することもなく、ただ「元気ならそれでいい」と言った。


 そして、ふいに――


「抜け出すか?」

「え?」

「その名を使えば、いつでもあの部屋に泊まれる」

「……一緒に?」

「もちろん」


 蠱惑的な目をしている。でも、それが演技なのか、もとから彼がこういう人間なのか、珠子には判別できない。


「ハニートラップですか?」


 珠子は自分を理性的であると思い込むことで己を律してきたと言っても過言ではない。うまい話には裏があり、簡単に乗ってはいけないのだ。いまどき、子どもだって甘い話には簡単に引っかからない。


「まさか」

「嘘」

「嘘だと思うなら、今夜ホテルに来ればいい」


 低く、艶のある声。ベイジルがこんな声音で話すとは思わなかった。ベイジルは饒舌ではなくどちらかというと寡黙で、珠子の話に相槌を打つ方が多いくらいだったのに。


「……もしかして、誰かに見られていて、演技しないといけないとか?」

「見られていたら、こんなことしない」


 恭しく手を取ったかと思えば、まるで童話の王子様のように口づけた。その仕草があまりにも様になりすぎていて、呆けたように見つめてしまう。


「先輩って、そういう感じの人でしたっけ?」

「オレは嘘をつかない」

「……今日は、先約が」

「そいつも口説けばいいか?」

「え?」

「そいつと一緒に来ればいい」


 さらりと言ってのけるのだから、性質が悪い。

 ベイジルは仮面をつけ直し、珠子の仮面も手際よく戻した。


「どうしたんですか、本当に。わたしを誘惑しても、国家機密なんて得られませんよ」

「そんなものには興味がない」

「ええ……?」


 短い返答なのに、不思議とそれ以上追及しようとは思わなかった。


 やり取りはほんの数分のこと。

 ホールへ戻ると、ベイジルは「またあとで」とだけ告げて人混みに紛れた。探す間もなく、代わりにレダが現れる。気づけば舞踏会は終盤に差し掛かっており、珠子の理解が追いつかないまま幕は閉じた。


 結局、どのような催しだったのかは分からずじまいだが、こういった場でも人脈は広がっていくものらしい。だったら仮面をつけなければいいのではとも思うが、珠子には理解できない世界があるのだと深く考えることはしなかった。


「タマコ。車を呼ぶ。待っていろ」

「え、歩いて帰れますよ」

「こういうときは、最後まで男に甘えておくべきだ」

「はあ、そういうことなら」

「これも含めての対価のうちだ」

「先輩って、結構がめついんですか?」

「今さらそれを聞くのか?」


 それが最後の会話だった。


 車の心地よい揺れに、珠子はいつの間にか眠りに落ちていた。レダが行き先を告げる声も、車内から運び出される感覚も覚えていない。

 次に目覚めたのは、見覚えのあるホテルの一室だった。眠っていたせいで偽名を書く機会もなく、ただ静かに運ばれたらしい。




 意識の底が、ゆったりと揺れる。夢と現実の境を曖昧にするような浮遊感の中で、珠子はゆっくりとまぶたを持ち上げた。

 触れたシーツは、絹。自宅のものとは比べものにならない上質な肌触りだ。


(ここは、どこ)


 ぼんやりとした視界の端で、二つの影が動いた。部屋は薄暗く、窓からの青白い光が逆光のように輪郭だけを照らす。背の高さも立ち姿も違う二人。声を聞かなくても、誰なのか分かってしまう。


「……彼女を起こすな」


 抑えた声は怒気ではなく、むしろ優しいものだった。


「分かってる」


 短く返す声は微かな笑いが混じっていて、やけに気が抜けている。珠子は呼びかけようとしたが、喉が乾きすぎて声が出なかった。

 ベッド脇のテーブルには水の入ったグラスが置かれ、隣には丁寧に畳まれた外套がある。乱れは一切ない。


(誘拐では、ないみたい)


 ディロンのときとは違う。不気味な静けさも、支配するような圧もない。ただ、腹立たしいほど穏やかで静かな空気だけが漂っている。


「ここ、ミルディナージュまで置いてんのか。誰の趣味なんだ」

「知らない」

「まあ、国際ホテルなんてそんなものか……飲むか?」

「誰が」

「おまえ」


 返事は聞き取れなかった。

 ルームサービスのメニューを見ていたのかもしれない。男たちにとってはただの雑談だったのだろう。珠子には、なぜかそれが少しだけ腹立たしかった。


「すぐ戻る」


 一人がそう言い、扉が開いて閉じる小さな音がした。残った気配はひとつだけになり、呼吸で分かるほど近い。珠子は意識がまた沈むのを感じながらまぶたを閉じた。その境界で、額にひやりとした手が触れた。驚くほど優しい、眠りを(いざな)う手。


「おやすみ」


 それが現実か夢かを判断する前に、深い眠りに落ちていく。

 その夜、珠子は久しぶりに夢を見た。日本で暮らしていた、平凡な日々の夢を。






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