第32話 自称会社員は服のセンスがいい
格好つけて魔法陣を発動させたものの、珠子は自分が正確な位置に移転できるのかどうかは分からなかった。書き換えた魔法陣は突貫工事同然で、座標を細かく指定できるほどの余裕などなかったのだ。
アンリが作った防犯ブザー型の魔法具は、発動するとルーシッド――正しくはヴェスル・クリドウェン――の家に移転する仕組みだった。しかし、移転魔法は制約が多く、既存の魔法陣を再利用する場合は座標となる対象が限定的になる。
単にマカロック家の敷地外に出ることだけを条件にできたらよかったのだが、それがシシュティタリア国内であれば珠子は再び捕らえられてしまうだろう。しかも防犯ブザーが取り上げられている今、珠子はあまりにも丸腰だ。失敗すれば確実に路頭に迷う。
そこで、珠子が行ったのは「特定の条件に合致する人物」に紐付ける方法だった。学生が基礎練習で何度も行うもので、失敗も少ないと言われている。それでも実践するのは初めてだが。
珠子が一か八かで選んだ座標は、最後に会った人物。つまり――
「うわっ!?」
視界が戻った瞬間、床に盛大に叩きつけられた。落下地点は見たことのない部屋で、簡素ながら質の良い家具が整然と並んでいる。人の気配はなかった。
(どうしよう。遊んでる最中だったら、完全に修羅場だよね)
四の五の言っていられる状況ではなかったが、珠子が指定できたのは「レダの近く」という一点だけだ。レダが今どこでなにをしていようと、問答無用でその近くに移転してしまう。たとえ彼がどんな状況であったとしても、だ。
さすがに仕事部屋に連れ込むタイプではないと信じたいが、この男に限って絶対はない。そもそもここが職場とも言い切れず、誰もいないから安心ということもない。
(うそ、誰か来たっ)
足音が近づいてくる。自分が不法侵入中の不審者であるという自覚は十分にあるが、緊急事態ということでどうにか見逃してもらいたい。珠子は頭の中で状況を説明する言い訳を必死に組み立てていく。そして、不意に扉が開き、声が飛んだ。
「タマコか!?」
「えっ⁉」
いつもより数段かっちりした装いのレダが、勢いのまま抱きついてきた。見知らぬ誰かではなかったことに安堵しつつ、移転魔法の成功を心の中で祝った。
「突然消えたから、心配したんだぞ!」
「す、すみません。不可抗力で……あの、ここってどこですか? もしかして、仕事中ですか?」
「ここはシシュティタリアで、俺の執務室だ」
「え」
「タマコが消えて、すぐ魔力の痕跡を辿った。あの類いの魔法はニーデラーナじゃ許可されてないから、犯人の目星はすぐついたよ。まあ、簡単には尻尾を出さなかったけどな」
「もしかして、探しにきてくれたんですか?」
「そうだと言い切れたら格好がつくんだが、ちょうど仕事の用事もあったんだ」
言いながら、レダは珠子をソファに座らせた。
「マカロック家に出入りしている商人が持ち込む品が変わったと聞いて、もしかしたらと思っていたんだ。で? どうやって抜け出した?」
「先輩を座標にして移転してきたんです」
「なるほど。それは光栄だ」
「あの、先輩って、実は結構偉い人だったりします?」
「……まさか。ただの会社員だよ」
レダは笑みを深めたが、それ以上はなにも言わない。
異国シシュティタリアで、こんなにも立派な部屋がただの会社員に与えられるものだろうか、という疑念は胸の内にしまった。
「面倒ついでに聞きたいんですが、わたしって、不本意ながら違法出国してるんですよね。こっそり帰れませんか?」
「家出した子どもみたいなことを言うな」
「実情は似たようなもんです」
「……まあ、できなくはない」
レダは言外にやりたくないというオーラを出していたが、珠子は食い気味に「お願いします」と言った。
「おいおい、やるとは言ってないぞ」
「そこをなんとか。対価は、その、臓器売買以外で」
「おまえは俺をなんだと思ってるんだ」
「図々しいついでにお願いなんですが、服もいただけませんか? 実はコートの下はパジャマでして」
「おまえな……」
仕事モードのレダはバーで会うときとは少しだけ雰囲気が違っていて、それでも珠子の無茶に応じてくれるところはいつも通りだった。
レダがどこかへ連絡を取っている間に、珠子はヴェスルへ電話した。開口一番「この家出娘が」と怒られたが、不可抗力であると説明しても「危機感がない」の一点張りで取りつく島もない。ただ、魔法陣を書き換えて自力で脱出したことだけは素直に褒められた。ニーデラーナ学園の教師とは、総じてそういう人たちなのだ。
防犯ブザーを通して珠子の居場所は把握できていたそうだが、あれほど強い妨害魔法が施されていると外部からの干渉は容易なことではないと言い切られた。
一か月経っても出てこなければ強硬手段に出るつもりだったらしいが、珠子が自力で脱出したことで事情が変わった。
マカロック家の防犯魔法は一般家庭のそれではなく、大きな金庫や貴賓室を守るためや、犯罪者の脱走を阻止するために使うレベルのものだったと知ったのは後日のことだ。
「ちゃんと勉強しておいてよかったです」
ヴェスルは深いため息をつき、肯定とも否定ともつかない声音で「そうだろう」とだけ返した。
結局、珠子はレダの会社で使用している魔法陣を使ってニーデラーナへ戻った。もちろん限りなく黒に近いグレーだが、レダが「なんとかする」と言ったので信じるしかない。
これは余談だが、用意された服はジャストサイズだった。
珠子を送り届けた帰り道、レダはあるところへ電話をかけた。
「助かった」
『お役に立てたようで』
「情報通の知り合いがいてよかったよ」
『こちらも以前お世話になりましたので。でも、まさかあなたがタマコさんと通じていたとは』
「通じてるなんて、人聞きの悪い。おまえも似たようなもんだろ」
――なあ、リズワン?
『……さあ、どうでしょうね』
電話の向こうで、皮肉屋の男は愉快そうに笑った。




