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女王ドミナ・レヴェルサの上客を名乗る者たち  作者: 世良かけり
第4章 見世物小屋のマーチ
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第30話 おまじないを飲み干して

 珠子の周囲を取り巻く護衛や侍女も、以前より明らかに増えていた。

 ディロンが仕事で不在の間、珠子は使用人たちから過剰なほどの世話を焼かれる。与えられるのは、豪奢なドレスと宝飾品、そして限られた娯楽だけ。息苦しいほどの贅沢だった。


 使用人たちは珠子の名を呼ばず、ただ「姫」と呼ぶ。どうやら、ディロンは珠子のことを「異国から来た姫君」と説明しているらしい。

 シシュティタリアでは正式な結婚が決まるまで女の名を口にしない風習があるという。何人も妻を囲うのが当然の文化ゆえに、名を呼ぶことは選ばれた証なのだそうだ。


 「結婚する気はないんですけど」と言っても、侍女たちは柔らかく微笑むだけで取り合わない。珠子はいつしか反論をやめていた。


 夜、眠るのはいつもディロンと同じベッドだった。

 ただし、彼は穏やかに抱き寄せるだけで、それ以上のことはしてこない。あれほど支配的だった男が、今はまるで別人のようだ。いまだに他の女の影もない。この家以外のどこかに囲っているのかもしれないけれど。


「どうして抱かないんですか?」

「抱いてほしいのか?」

「まさか」

「じゃあ、黙って寝ろ」


 淡々としたやりとりに、珠子は内心で肩をすくめた。

 以前の監禁とは違い、いまは会話も成立している。だが、それでもディロンの真意はつかめない。彼の思考は常に霧の向こうにあった。


 珠子の自由になる時間は限られている。恐らくは余計なことをさせないためだろう。まとまった時間が取れるのは、入浴中か、ディロンの帰りが遅い日だけだ。

 それでも、珠子はあきらめない。自分の世界が奪われても、絢爛な檻の中に囚われても、自分の意思だけは誰にも奪わせないと決めているから。




 その日、ディロンは珍しく朝から家にいた。二人きりのティーパーティーが、いつもの広間で静かに開かれている。


「そういえば、このお茶ってなんて名前ですか?」

「知らないで飲んでたのか?」

「いつも同じお茶だったので。シシュティタリアでは水みたいなものなのかなと」

「ははっ。警戒心が強いくせに、そういうところは迂闊なんだな」

「え、毒でも入ってるんですか?」

「そんなもの、入ってない」


 ディロンは少し間を置いて、もったいぶるように言った。


「――ミルディナージュ」

「え」

「その様子だと、知っているな」


 にやりと笑う憎たらしい顔に、珠子の心臓が跳ねた。

 その名を知らぬはずがない。珠子が初めて飲んだミルディナージュは、ディロンがラスロに送ったものだったのだから。


「本当に?」

「嘘ではない」

「……色も匂いも、違くないですか?」

「新茶はとても貴重でな。淹れ方や温度によって味も香りも、色も変わるんだ」


 ディロンはそう言って、自らのカップを空けた。珠子は、今日までにこれを何杯飲んだだろうか。


 ――この茶葉は別名、誘惑茶と呼ばれている。

 ――百杯目を口にしたとき、最後に視線を交わした相手に心を奪われる。


 ラスロの声が脳裏で蘇る。珠子は静かにカップを置いた。

 香りは華やかで独特だが、どこか人の心をゆるめるような素朴な甘さがある。ほとんど飲み干してもなお、その香りは部屋に残っていた。


「高いお茶だって、聞きました」

「そうだ。シシュティタリアでも一、二を争う高級茶だ」


 一般家庭では到底口にできない代物を、珠子は麦茶のように日常的に飲んでいたということか。ラスロの言葉を思い出しながら、思わずため息をつく。


「これはな、誘惑茶――またの名を求婚茶と呼ばれている」


 魔法という概念が生まれる以前、お(まじな)いと呼ばれた儀式の名残だという。感情を操作するための儀礼が、いまも秘術のように語り継がれているらしい。


「シシュティタリアは政略結婚が多い。だから、これを百杯飲めば相手に惚れると思い込ませるんだ」

「定番の贈答品だと聞きましたが」

「茶葉で贈る場合はな。だが、意中の相手に淹れる場合は違う」


 ディロンはティーポットを取り上げ、珠子のカップに新しい茶を注ぐ。その仕草にはいつもの軽さがなく、どこか儀式めいた静けさが漂っていた。


「――オレを好きになれ。タマコ」

「縁起物として、わたしを家に置いておくためですか?」


 魔力を持つ女は幸運をもたらす。それはシシュティタリアでの常識であり、だからこそ珠子は簡単には靡かない。


「オレがおまえを欲しいんだ。それ以外に意味はない」


 低く落とされた声に、微かな熱が混じる。

 珠子はカップを取り、躊躇なく口に含んだ。今日までに飲んだミルディナージュの杯数はもう覚えていない。だが、まだ二十にも届いていないことは確かだ。


「先輩って、こういうの信じてるんですか?」


 わざと軽く言えば、ディロンの眉がわずかに動く。


「どうだと思う?」

「念のため聞きますけど、惚れ薬の類が成分として入ってるわけじゃないですよね?」

「そうだ」


 事実なら、ミルディナージュは単なるお呪いに使われた高級茶にすぎない。でも、暗示というものは繰り返せば毒にも薬にもなる。珠子は、心のどこかでそう理解していた。


 ――意外と可愛いところがあるんだな。


 そう思ったが、言葉にはしない。


「わたしとしては、伝承を否定するつもりはありません。なんにせよ、高いお茶なんだったら飲みます。それだけです」


 下手に刺激するのは得策ではない。それに、庶民気質の珠子はミルディナージュの価値を知ってしまった。不用心だと言われようが、出されたものを断るようなプライドは持ち合わせていない。


 新しく注がれた茶に再び口をつける。ディロンは、珠子の喉を通るその一滴一滴を、まるで祈りのように見つめていた。






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