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女王ドミナ・レヴェルサの上客を名乗る者たち  作者: 世良かけり
第3章 張り子の虎のひと噛み
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第24話 首輪のない猛犬

 食事を終えた珠子は、タクシーの後部座席にすっと身体を沈め、「適当に走らせてもらえますか」と運転手に声をかけた。そして、鞄の中から魔力通信機を取り出す。


 パスワード解除の操作は複雑だった。画面に浮かぶアイコンや文字列は、他人に言葉で説明しようとしても到底伝わらないような抽象的な形をしている。

 しかし、珠子の指は迷いなく動き、発信履歴の中から目当ての番号を素早く見つけ出す。誰かさんのせいで着信履歴だけは無駄に膨れ上がっているが、自分からかけた回数となると案外少ない。だから、探すのは簡単だった。


「わたしです。今日、三十分後って空いてますか?」


 挨拶も詫びもなく、ずいぶん生意気であまりにも都合のいい一方的な呼びつけだった。通話は一分もかかっていない。

 珠子は通信機をしまうと、ようやく運転手に正確な行き先を告げた。




 通話から三十二分が過ぎた頃、レダは珠子よりも早く店に到着していた。いつものように飄々とした顔つきで、店の景色に自然と紛れ込んでいる。まるで、ここに来ることが数日前から決まっていたみたいに。


「久しぶりだな」

「すみません。突然」

「いいよ。慣れてる」


 レダの声が不思議と懐かしく感じる。その声はいつもに比べてほんの少しぬるい笑みが伴っていて、自嘲なのか揶揄なのかは分からなかった。


 こんな時間に呼び出されたというのに、レダは「今夜、誰かに会う運命だった」と予め知っていたかのような整った身なりをしている。グレイッシュなジャケットに秋風のように軽やかなスカーフ。華美ではないが、誰が見ても「おしゃれだ」と認めるような恰好だった。このままファッション誌の一頁を飾れるくらいには。


「最近、忙しいのか?」

「まあ、色々ありまして」

「そうか。俺の周りも騒がしかった気がするよ」


 取り立てて意味のない言葉のやりとりだ。互いに深くは踏み込まない。赤の他人には持ち得ない独特な距離感がそこにあった。でも、深入りされないことをありがたいと思えるのに、ほんの少しだけ不気味でもある。


「珍しいな。こんな時間に」

「すみません」

「ははっ、それこそ今さらだろ?」

「確かに、そうですね」


 気づけば、何度目の夜になるのだろう。

 レダはこれまで一度たりとも珠子の誘いを断ったことがない。それがどんなに突然であっても、彼は時間通りに期待を裏切らない姿で現れてくれるのだ。


 ――どこかに自分専用の舞台袖があって、珠子が幕を開けた瞬間に彼が登場する。


 そんな馬鹿げた想像すら抱かせるほどに、彼の日常は謎に満ちていた。

 今夜も例外ではない。一般的には非常識な時間なのに、いつでも出かける準備ができていたかのような洒落た身なり。

 それに慣れてしまっている自分を怖いと思う一方で、安心とも呼びたくなってしまう。


 しかし、珠子はある違和感が喉元に引っかかった。


(いつもの香りが、しない?)


 レダにしては珍しい。

 彼の香水の匂いは、珠子の記憶と感情に密接に深く染みついている。街ですれ違っただけで立ち止まってしまうような、無意識に深呼吸してしまうような。そんな、心地よくて澄んだ香り。

 けれど、今夜はなにも香らない。


「先輩、シャワーでも浴びました?」

「ああ、ちょっと汗かいたんでな」


 言葉以上に深い意味はないはずなのに、レダが言うだけで含みを感じてしまうのはなぜだろう。まるで、直前まで他の誰かと会っていたのかと勘繰りたくなるような答えだった。


「レダ先輩って、どこか怪しい組織に所属してないですよね?」


 冗談めかした問いなのに、心の奥には針のように細い疑念が刺さっている。

 レダの「当たり前の顔をした異常さ」は、ときに現実の手触りを曖昧にしてしまう。見えているはずのものが、ふっと霧に包まれるように。


「所属? 所属って言われてもなあ。普通の会社員だが」

「普通の会社員が、毎回不規則な時間に呼び出されて、当然のように会ってくれることってあります?」

「あるだろ」

「うっそぉ。でっかい秘密、抱えてません?」

「おまえじゃあるまいし」


 反論の余地はなかった。

 でも、珠子は知っている。レダの出身国がシシュティタリアであることを。そして、彼がそれを内緒にしていることを。


 偶然だと分かっている。ニーデラーナには多国籍の人間や獣人が集まっていて、留学生も、商人も、外交官もいる。レダがその一人であっても、なにもおかしくない。

 最近の珠子はなにかと忙しかったから、過敏になっているだけだ。


 レダが何者で、どこに属し、なにを隠しているのか。

 珠子はただの人間にしては情報通で、知らなくていいはずの真実をあちこちで拾ってしまっている。それを自分勝手に問いただすことはタブーだし、できれば知らないふりを貫きたいと思っている。


「……先輩、最近なにか変わったことありました?」

「変わったこと? ああ、財布を落としかけた」

「それは危なかったですね」

「俺のじゃなくて、横にいたおばあさんのが」

「え?」

「ポケットからするっと抜け落ちたから、拾っただけ」

「なんですか、それ。ヒーローエピソードですか?」

「おまえと違って、俺の日々は平凡なんでね」


 話の内容はどうでもよかった。深い意味もない。でも、レダが言うだけでなにか意味があるのではないかと勘繰ってしまう。

 これは珠子が疑い深いのではなく、レダという男があまりにも胡散臭いのだ。


「それで?」

「え?」

「今日はどうして俺なんだ?」


 ずるい問いだった。

 レダはいつも「なぜ連絡してきたのか」ではなく、「なぜ自分だったのか」と聞く。それが優しさなのか意地悪なのかは分からないけれど、珠子は自分でもしっくりくる答えを言えたことがない。


「誰でもよかったけど、先輩なら安心できるかなって」

「そりゃ光栄だな」

「そんなこと、思ってないくせに」

「思ってるさ。そうじゃなきゃ、すぐに来ないよ」


 いつもの冗談交じりの口調に、わずかな真剣さが滲んだような気がした。でも、それが本気なのか本気っぽく見せる技術なのかは珠子には見分けがつかない。レダという男は、どこまでいっても正体が見えてこないのだ。

 人間味があるようで、時折綺麗すぎて怖くなる瞬間がある。




「わたしが、いなくなったらどうします?」

「唐突だな」

()()、そうでしたしね」


 レダはすぐには答えない。ふっと視線を落とし、珠子がいない方を静かに見つめた。


「……また、いなくなるのか?」

「どうでしょう。あくまで仮定の話ですけど」

「だったら俺は、仮定のまま終わってほしいと願うよ」

「その言い方はずるいです」

「ずるくてもいい。俺はもう、後悔するのは嫌なんだ」


 珠子は思わずレダの顔を凝視した。目が合うと、レダは少し照れたように笑って頬をかく。


「素直な先輩は、ちょっと不思議です」

「俺はいつも素直だよ」

「先輩って、いつもなに考えてるんですか?」

「質問攻めだな」

「そんな気分なんです」

「今夜、珠子を帰さない方法」

「は?」

「おまえと朝まで過ごすにはどうすればいいかを考えてる」


 卑怯で真実味のない、どこか甘さを含んだ言葉。仕事で困ったことがあったら、そのような顔をするのだろうか。少し眉を寄せて、なにかをねだる犬よりも謙虚な目で。

 実際、彼を狙う女であれば即座に首を縦に振るのだろう。


「いつもそうやって老若男女を口説いてるんですか?」

「さあ、どうだろうな」


 レダのことを都合よく扱っている自覚はあるのに、彼から危険な香りがすると珠子の機嫌は急降下する。今の珠子は子どもよりも厄介な存在だった。面倒で、扱いづらくて、手に負えない。


「ま、俺はただのいい人で終わるつもりはないから」

「悪い男になろうとしてるんですか?」

「どっちに見える?」

「さあ。いつもの香水の匂いがしないので、別人かもしれないと疑っています」


 香水をつけてこなかった理由なんて、正直どうでもいい。ただ、まっさらな状態のレダが珍しくて、少し落ち着かなかった。


「香水をつけ忘れるくらい、急いで来たんだ」

「……ふうん?」

「三十分で駆けつけた俺を褒めてくれないのか? ご主人様は」


 どちらかといえば、レダは支配する側だと珠子は思う。

 父性めいた包容力と、異性を意識させる甘い雰囲気と、隠し切れない剣呑な気配。女は男に安定感を求める一方、理性がほんの少しでも揺らぐと危険な道を選びがちだ。

 だからこそ、レダという男に引き寄せられてしまうのかもしれない。


「え、先輩って褒められたかったんですか?」

「少なくとも、三十分後に来いと言われて動くのはおまえのためだけだよ」

「それは、光栄なことですね」


 珠子は「レダは誘いを断らない」と決めつけているわけではない。連絡はいつも唐突で、聞くのは会えるか会えないかの二択だけ。代替案は用意していない。断られても仕方ないと思っているし、会えなくても幻滅することなどありえない。だって、無茶を言っている自覚があるから。


「いい子ですね」

「それだけか?」

「最大の賛辞ですけど」

「そうやって、いろんな男を手玉に取っているんだろ?」


 珠子は控えめに、それでも今までの会話よりは大きな声で「あっはっは」と軽快に笑った。レダの声があまりにも切ない響きをまとっていたから。それこそ、お預けをくらった犬のように。


「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」

「なにを」

「星よりも多い女心を弄んできたんでしょ、ってこと」


 レダの目が驚愕に見開かれることはない。この反応こそが肯定の代わりだと思うのだが、彼は素知らぬふりでため息をついている。


「おまえは男を袖にするのがうまいな。やっぱり慣れてるのか?」

「まさか。レダ先輩じゃあるまいし」

「ほら、そういうところが」

「……先輩って、思ったより面倒な性格してますね?」


 レダはなんとも感情の読めない表情で「今さら気づいたのか?」と言った。

 彼に好意を寄せている女であれば、単純に喜んだかもしれない。自分に関心を寄せてくれているのだと、そう思わせるには足りるほどに。


「おまえにだけだよ」


 鼻で笑わなかった自分を褒めてやりたい。レダは狡猾で、女の扱いに長けていて、何百回と繰り返した台詞を初心に表現できる男だ。ドムス・ヴェネニに女性向けの事業があればスカウトしたかもしれない。


「ちょっとだけ、先輩のことが可愛く見えた気がします」


 珠子は心の中で「たぶん」と付け加えた。

 そのときのレダの表情は、正確には覚えていない。ただ、ほんの一瞬――見てはいけないものを見たような、そんな気がした。






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