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女王ドミナ・レヴェルサの上客を名乗る者たち  作者: 世良かけり
第3章 張り子の虎のひと噛み
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第23話 椅子取りゲームにルールなし

 恋人の浮気現場を目撃したときの空気はこういうものかもしれないと、珠子は他人事のように思いながらその光景を眺めていた。


 静かな室内に、場違いな足音がひとつ。入ってきたのは、招かれていないはずの男だった。

 ここはレストランの個室で、店員以外が立ち入ることなど、本来ありえない。それにもかかわらず、あっさりとその扉は開かれた。感情を見せぬ、洗練された所作のウェイターの手によって。


「お食事中にすみません、リズワン。それに、()()()お久しぶりですね。タマコさん」

「お、オヒサシブリデース……」


 ぎこちない言い回しが舌の上を転がり、ほとんど噛まずに肉が喉をすり抜けていく。珠子は慌てて水を口に含んでごまかした。


 現れたのは、デリク・ダヴェンポート。

 笑みを浮かべながら、彼は今が仕事中であるかのように頭を下げた。なにか言いたげな目をしているくせに、それ以上は口を開かない。

 デリクと珠子がすでに再会し、しかも珠子の勤め先であるSMクラブの常連であることを、リズワンは知らない。デリクがなにか余計なことを言っていなければ。


「緊急以外は人を通すなと言っておいたはずなんですが」


 リズワンが眉間にシワを寄せ、声にはほんのわずかに棘が混じっている。私的な会食に割り込まれたのだから無理もないが、それにしたって珍しくあからさまに不機嫌だ。


「緊急だから通していただいたんですよ」

「デリク先輩、なにかミスったんですか?」

「相変わらず失礼ですね、あなた」


 デリクは涼しい顔を崩さなかった。リズワン相手に嘘をついてもすぐに気づかれるだろうが、そもそも彼が嘘をつくメリットはない。

 ドアは静かに閉められたが、デリクは用件も告げぬまま二人の前に立ち続けている。


 彼らがなにも言わないので、珠子は肉の皿を前にナイフを止めることなく手を動かして口へ運んだ。このような状況でも、驚くほど肉は美味しい。

 肉を嚥下する音が響きそうなほど、室内は静まり返っていた。


 ほんの数秒の沈黙の後、リズワンは懐から魔力通信機を取り出した。ループタイのようなそれはリズワンがいつも仕事中に身に着けているもので、宝飾石がちかちかと光っている。


「デリク、おまえ――」

「リズワン。僕では対応できかねますので、お願いしますね」

「……失礼。()()()()、席を外します」


 リズワンは続けてなにかを言おうとして口をつぐみ、これ以上は言わずに個室を後にした。個人的な呼び出しにしてはどうも不自然で、デリクが現れたタイミングもちぐはぐだ。


 入れ替わるようにして、デリクがさりげなくテーブルの席に腰を下ろす。この部屋に椅子は二脚しかなく、彼が座ったのはほんの数秒前までリズワンが座っていた場所だ。


 給仕が無言で現れると、リズワンの使用していたカトラリーやグラスを片付けて新しいものを置いていく。デリクはそれを当然のように受け入れ、何事もなかったかのように椅子に背を預けた。最初からそこにいたような態度で。


「レディを一人にするわけにはいきませんから」


 珠子は目を細めたが、なにも言わなかった。どこか誇らしげな言い草に皮肉のひとつでも返したくなるが、面倒なのでやめた。純粋に料理を楽しむためには余計なことだ。

 きっと、リズワンはこのまま戻ってこない。そんな予感がした。


「今日はリズワン先輩にお礼の食事を奢るつもりだったんですが」

「リズワンのことですから、もう支払いを済ませて帰ったと思いますよ」

「貸し借りは早めに清算しないと、あとが怖いでしょう?」

「信用ないですね、リズワンは」

「自分にはあるみたいな口ぶりはやめてもらっていいですか?」

「着飾ったタマコさんと食事ができるなんて、光栄ですね」

「人の話、聞いてます?」


 軽口の応酬はいつも通りだが、内容は少しずつずれていく。

 その間、人が入れ替わったことなどおかまいなしに、二人の前にはコース料理の続きが置かれた。


 やがて、話題はつい先日あった騒動へと流れていく。


「――なるほど。ディロン・マカロック、ですか」


 事情を聞いたデリクは、うなずきながらグラスの水を口に含んだ。


「あの家の子飼いは大勢いますからね。タマコさんがニーデラーナにいると分かれば、すぐに情報は届くと思っていいでしょう」

「迷惑ですね。大富豪って暇なんですか?」


 行儀悪くテーブルに突っ伏した珠子を咎めることなく、デリクは「そんなわけないでしょう」と笑った。


「マカロック家は執念深いことで有名ですから。敵に回したくない一族ですよ」

「詳しいんですね」

「次代当主候補筆頭が、魔力持ちの女性を探しているのは有名な話ですから」

「……へえ」

「以前お渡しした香水、そろそろ減っている頃でしょう?」

「高いですか?」

「今回は、優待価格にしておきましょうか」


 珠子は口をへの字に曲げながら軽く頷いた。

 アンリによる認識阻害魔法は初対面の相手には効果があるが、顔を知っている者には意味をなさない。用心するに越したことはないだろう。


「助かります。あの魔法、わたしの顔を知る人には効かないらしいので」


 そして、珠子の予感は的中した。

 デザートが食べ終わっても、コーヒーを飲み終えても、リズワンが戻ることはなかった。




 デリクと話していると、いつも時間の感覚が狂う。気づけば食事は終わっていて、彼の言った通り、支払いはリズワンによって済まされていた。


「リズワン先輩って、デリク先輩がわたしの居場所を突き止めてたこと、知ってるんですか?」

「さあ、どうでしょうね。僕から話したことはありませんけど」

「そういえば、デリク先輩ってうちの店に個人情報を握られてるわけですけど、未来潰されるかもって考えなかったんですか?」

「まさか。僕がそんなヘマをするわけがないでしょう」

「その自信、どこから来るんですか?」


 珠子の口調には呆れと皮肉が混ざっていた。肝が据わっているのか、ただの無鉄砲か。どちらにしても、情報の重みを知っているはずの人がする態度ではない。

 珠子はオーナーの正体を知っている。だからこそ、デリクのこの余裕がどうにも理解できなかった。


「ま、人生ギャンブルってことですかね」

「あなたの人生のほうが、よっぽどスリリングですけどね」

「……確かに」


 肩の力を抜いたように笑ったデリクの声は、どこか本気とも冗談ともつかない響きを含んでいた。


 真相は分からないまま、食事を終えた二人は何事もなかったかのように席を立った。

 リズワンが呼び出された理由が本当に緊急事態だったのか、あるいは最初から仕組まれていたのか――知らないままのほうが、きっと身のためなのだろう。






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