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第20話 カボチャの馬車は来ないので

 ディロンの機嫌はすこぶるいい。気まぐれな猫よりも扱いにくく、ときに狂暴にもなるこの男は、仕事もそっちのけで珠子の部屋に居座り続けていた。もう五日になる。

 当然のような顔をしてソファに腰を下ろし、勝手に紅茶を飲みながらくつろぐ姿は厚かましいを通り越して図々しい。そもそもここはディロンの家なので、珠子が文句を言える立場ではないのだが。


 本人は否定していたが、ディロンが珠子を攫った理由は明白だった。自分のハーレムの一員にするため。それ以外に考えられる理由など、どこにもない。


「茶に毒が入ってるか、聞かないのか?」


 からかうような口ぶりに、珠子は眉ひとつ動かさず返した。


「さすがに、わたしを害すことはないはずなので」


 ディロンは喉を鳴らして笑っている。


「どうだろうな。タマコに焦がれて、正気を失ってるかもしれない」

「おかしいという部分は否定しませんが、焦がれてというのは嘘ですね」

「嘘なものか」


 軽口の応酬だ。でも、その裏にある緊張感を、珠子は忘れていなかった。ディロンの冗談はいつ変容するかも分からず、油断はできない。

 笑っていても、彼の瞳にはいつも別の感情が宿っている。光の届かぬ底になにかおぞましいものを飼っているようで、珠子はどこか落ち着かない。


 ディロンと囲む食卓は毎回とても豪華だ。磨き上げられた銀の食器。肉も魚も一種類ではなく、添えられた野菜は彩りも鮮やかで瑞々しい。甘い果実の盛り合わせは見た目も美しかった。

 どれも手間暇かけて用意されたもので美味しくないはずがないのだが、それが毎食続けばさすがに胃も悲鳴を上げ始める。

 給仕たちは準備を終えるとすぐに退室し、扉の向こうには護衛が立っている。もてなされている自覚はあったが、豪奢な檻の中はとても窮屈だ。


「わたしを連れてくるのに、移転魔法を使ったんですか?」


 ふと投げた疑問に、ディロンは真っ赤な酒を傾けながら答えた。


「移転魔法は魔力の痕跡が残るからやめた。うちが仕切ってる貿易会社に手を回して、色々経由させている」

「わたし、なにも覚えてないんですけど。何日かかったんですか?」

「まあ、おまえは寝ていたからな」

「ここは、本当にディロン先輩の家ですか?」


 ディロンは笑ってグラスを置いた。底に残った赤い酒が、血のようにゆらゆらと揺れている。

 珠子に抵抗の意思がないとみると、ディロンの態度は初日に比べて少しだけ和らいだ。そう見せているだけかもしれないけれど。


 ここは豪邸と呼ぶにふさわしい立派な家だ。珠子が自由に出入りできる場所は限られているので正確な広さは把握していないが、富豪の本宅にしてはこじんまりとしているのが気になっていた。


「おまえのために用意した別邸だ。本宅には、色々()()からな」


 はぐらかされると思っていたが、ディロンは「間違いなく、オレの家だ」と言い切った。しかも、珠子のために建てたのだという。


「いるっていうのは、先輩の奥さんたち?」

「オレは独身だが」

「うっそぉ!」


 珠子は純粋に驚いた。ディロンのことだから、すでに何人かは娶っているだろうと思っていたのに。


 マカロック家の現当主は健在だが、後継者は未定。嫡男のディロンが有力とは聞いていたが、第五夫人の子という立場は決して強くないらしい。彼自身は跡目に興味がないと公言しているものの、それもどこまで本心かは分からない。


「おまえはハーレムが嫌いなんだろう?」

「嫌いというか、わたしの故郷にはそういう文化がないんです。だから、自分がその一員になる未来は想像してませんね」

「この家にほかの女を住まわせる予定はない」

「そうですか。それで、奥さん候補は何人いるんですか?」

「だからオレは――」

「ま、わたしには関係ないことでしたね」


 ディロンが言葉を続ける前に、珠子は食後のお茶を飲み干し、椅子を引いて立ち上がった。その動作は静かで丁寧だったが、今さら淑女ぶったところであまり意味はない。


「どうした」

「ごちそうさまでした。わたし、そろそろ帰りますね」


 一瞬の沈黙のあと、ディロンは肩をすくめた。


「どうやって? ここはシシュティタリアで、オレの庭だぞ。そもそも、この家から出られると思ってるのか?」

「さすがに、無理ですね」

「だったら――」


 珠子は振り返ることなく、ソファ脇に置いていた自分の荷物と服を手繰り寄せた。


「おい、おかしな真似は――」


 ディロンが立ち上がるのと、珠子の指がネックレスの鎖を引きちぎるのは、ほぼ同時だった。


「これ」


 珠子の声に反応するように、ネックレスが淡い光を放った。パリンと砕ける音とともに魔法陣が広がっていく。金色の光が体を包み、床には複雑な紋様が走った。


「とっておきの防犯ブザーなんです。気づきませんでした?」

「どういうことだ⁉ おい! 誰か来い!」


 ディロンの声が響くが、扉は開かない。誰かが激しくノックしている気配はするが、中には入ってこなかった。鍵はかかっていないはずなのに。


 ディロンは慌てて拘束魔法を展開したが、珠子の周囲に張られた格子状の光がそれを跳ね返す。


 この家に囚われてから何度か脱出を試みたが、すべて失敗に終わっている。使用人の目を欺くことができても物理的な施錠が多すぎて突破できず、がちゃがちゃといじる間に連れ戻される。

 ちなみに、魔法は使うことができなかった。仕組みは分からないが、「特定の人物以外」の魔法が無効化されるように設計されているらしい。


 シシュティタリアという国は、隣国ニーデラーナよりも治安が悪い。それ故に、防犯や監視の魔法技術が異様に発達していると聞いたことがある。


 通信は遮断され、電話も繋がらない。珠子一人の魔力では、現状を打破するのは不可能だった。当然、ディロンもそのように思い込んでいただろう。


 しかし、珠子が身につけていたのはただのアクセサリーではない。

 これはアンリが作った特製品で、魔法が発動できない環境下にあったとしても、一時的に魔法陣を展開して登録した人物を強制的に現在地から移転させることができるという怪物級の代物だ。しかも、魔力持ちが見てもただのアクセサリーに見えるように隠蔽魔法が施されていて、見破ることができるのはアンリ以上の魔力を持つ者だけ。

 ディロンや彼の部下たちが見抜けなかったのは当たり前といえばそうなのだが、それだけアンリが規格外の魔法使いであることを改めて思い知らされた。


「おいおい、この家で魔法は使えないはずだぞ」

「すごい魔法使いがくれたんです」

「……うちのお抱え以上の魔力持ちとは恐れ入った。そいつの名前を聞いても?」

「有名人だと思いますけどね」


 服を着替える余裕はない。本当はもう少し穏やかに出ていきたかったが、それは叶わぬ贅沢だった。

 ここは檻だ。見た目がどれだけ美しくても、贅を凝らしていても、閉じ込められているという事実は変わらない。


「じゃ、お元気で」


 静かにそう告げて、珠子は光の中に消えた。最後、ディロンの顔は見なかった。万が一、叱られた犬のような顔をしていたら決意が揺らいでしまいそうだったから。


 ――そういえば。魔法陣の転移先を聞くのを忘れていた。






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