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第2話 ネクタイを外すな

 ニーデラーナ国は魔力社会というわけではない。

 医師がその技量を思うままに用いることが許されないように、魔力の使い手にも制約という名の枷が存在する。それを学ぶためにあるのがニーデラーナ学園の魔法科だった。

 この国では国民の三割程度に魔力が発現するとされていて、出自を問わず国立学園への入学許可が下りる。ただし、犯罪者はこの限りではない。


 人間以外の種族も当たり前のように生活している不思議な世界だが、珠子以外の存在にとってはそのすべてが常識だ。

 SMクラブに来店するのが()()()()()だけとは限らない。社会的地位の高さはもちろんのこと、身体的能力の高い獣人や魔力持ちが他人には言えない特殊な嗜好を持ち合わせていてもおかしいことではないのだ。


 しかし、珠子のようなか弱い人間が対峙するには分が悪い。

 いくらオーナーが審査しているとはいえ、感情が伴うことに絶対はあり得ないからだ。男女というだけでも力の差があるのに、襲われでもしたらたまったものではない。


 だから、本クラブ――ドムス・ヴェネニ――の会員になれるのは三つのルールを守ることができる者だけと決められている。

 ひとつ、女王様に勝手に触れないこと。

 ふたつ、指定の首輪をつけること。

 みっつ、地下室で見聞きしたことはすべて他言無用であること。


 欲望を満たすためには難しくないルールだ。

 重要なのはふたつめで、特注の首輪は装着している者の魔力を無効化することができるという、本来であれば捕虜に使うレベルの代物だ。加えて、なにか()()()をしたときは全身が脱力状態に陥るというオプション付き。獣人対策も見栄えもばっちりで、一石二鳥以上の働きをしてくれる。


「まさかデリク先輩がおとなしく首輪をつけるとは思いませんでしたよ」

「郷に入っては郷に従え、という言葉を教えてくれたのはあなたじゃないですか」

「だったら服を脱がないと」

「見たいんですか? 僕の裸が」

「見てもギャーギャー騒ぎませんから、そこは安心してください」


 珠子は、学生時代とは違った心持ちでデリクと向き合っていた。

 場違いなのは明らかにデリクの方なのに、なぜだかどうして違和感がない。大人の余裕はあるにしろ、表情が豊かになったのか歪んだ顔ですら様になっている。


「とりあえず、座ります?」

「三角木馬に?」

「お好きなところにどうぞ。洗浄魔法をかけてありますから、安心してください」

「……今のあなたと話していると、気が抜けますね」


 世の中には存外()()()()()男が多いということを珠子は知っている。

 どんなに見てくれがよかったとしても、仕立ての良いスーツを着ていたとしても、立ち振る舞いに品があったとしても、そのすべてを帳消しにしてしまうような醜態を何度も見てきた。そして、自分でも驚くような行為を何度もしてきたのだから。


 オーナーは見る目がある。

 確かに、珠子は女王様業が殊の外気に入っていた。




「あの男は綺麗に洗っておきましたので、もうあなたの匂いは残っていませんよ」

「どうやって洗ったんですか?」

「ご想像通りだと思います」

「水をぶっかけただけでも匂いって落ちるんですか?」

「さあ、どうでしょうね」


 デリクの前で弱みを見せてはならない。それが彼と接したことがある者たちの共通認識だろう。

 命があるだけ上出来だが、珠子の上客だった男がデリクの言いなりになったことは明白だ。今後も取引が続くのであれば、SMクラブでは味わえないような地獄を経験することになるに違いない。あの男にとってはある種のご褒美かもしれないけれど。


 兎にも角にも、上客の一人が減った。

 珠子の給与は固定給と出来高によって決まるので、指名客は多い方がいい。


「不満そうですね」

「手取りは多い方がいいですからね」

「黙秘を撤回するんですか?」

「わたしは給与の話をしているんですよ」


 自分の欲望に忠実すぎた客のせいで居場所を突き止められてしまった。学園の関係者から隠れているわけではないが、まさか店に突撃訪問されるとは思っていなかったのだ。


「先輩って友達いますか?」

「なんですか、突然」

「先輩みたいな特殊な性格をした人と交遊関係を長期継続できる人だったら、うちの店に興味を持ってくれる人がいるんじゃないかなって」

「はっきり言いなさい」

「先輩にドMの友達がいたら、うちの店に送り込んでもらえませんか?」


 デリクの性格は難だらけだが、見た目はいいし口も上手い。彼の近くにいる人間や獣人であれば、一歩どころか二歩も三歩も人生を踏み外している者がいるのではないだろうか。


「つまり、あなたは指名客を増やしたいということですか?」

「簡単に言えばそうなりますね」


 デリクは長い脚を組み直す。三角木馬には座らず、ただ壁にもたれかかっているだけなのに、それすら絵になる姿だった。

 無骨な首輪はスーツには似合わないはずなのに、どういうわけか彼の見た目に馴染んでしまっている。


「……では、僕はいかがでしょう」

「は?」

「僕が、あなたの奴隷に」


 珠子は一瞬、言葉を飲み込んだ。喉の奥が引っかかるような奇妙な感覚に、反射的に眉をひそめる。


「先輩がわたしの客になったところで、なんの得が?」


 危うく「むしろこちら側では」と余計な言葉を添えそうになって慌てて口を閉じる。

 デリクはその沈黙を読み取ってか緩やかに口角を上げると、「ええ、そういう趣味はありません。ご安心ください」ときっぱり言い切った。


「あなたとの付き合いはお釣りが来ます。言ったじゃないですか。指名手配犯も顔負けの人気ぶりだって」

「わたしを売るってことですか?」

「違いますよ。そんなもったいないことはしません」


 デリクは傲慢の一言で片づけることができるプライドの高い獣人だ。どんなに振る舞いが礼儀正しくても、相手に価値を見出せなければ簡単に切り捨ててしまう。

 そんな男の言葉に振り回されて、嘘なのか本心なのかを見抜けないことに苛々した。ただひとつだけ分かるのは、彼がこの状況をお遊びでやっているわけではないということだ。


「行儀の悪い僕に、その鞭をお使いになりますか?」


 デリクは正式で面倒な手続きを踏んだうえで地下室に降りるための権利を得ている。この契約は珠子ではなくオーナーと交わしているものだから、彼が簡単に反故にするとは思えない。社会的に不利になるのは圧倒的にデリクの方だからだ。

 だからこそ、彼は試している。珠子ではなく、ドミナ・レヴェルサがどのような行動を取るのか。


「先輩は女王様のわたしが見たいの?」

「どうでしょう。ええ、もしかすると」

「――はっきりしなさいよ」


 鞭が空気を裂く。軽やかに、それでいて威嚇のように。この音に慣れている自分に気づいて、珠子は心のどこかが静かにざわめいた。


「ねえ、デリク・ダヴェンポート。奴隷ってそう簡単になれるものじゃないの。彼らがわたしを主にと望んだと同時に、わたしも彼らを選んだの」


 珠子の客たちはオーナーからのお墨付きを得ている者たちだ。金払いがよく、口が堅く、文句を言わない。だが、それだけでは務まらない。

 彼らは非日常を楽しむために店に来る。そして、珠子は日常から切り離された世界を提供する。割り切った関係と言ってしまえば身も蓋もないが、ビジネスよりは肉付きのいい関係性だと思っていた。


「結局、なにをするにもお互いの信頼関係が必要って分かる? わたしはサービスを提供する側だけど、一歩間違えたら危険な行為だらけなの」


 信頼という言葉がもっとも似合わない男に吐き捨てた。


「そんな覚悟もないくせに」


 コツコツとハイヒールを鳴らして歩く。最初は履きなれなかったこれも、今ではすっかり身体の一部だ。ボディラインを強調するボンテージスーツは自分を飾り立てる鎧で、自分以外に脱がすことのできる者はいない。


「今のあなたには鞭を振るう価値もないわけ」


 その一言で部屋の温度が変わる気がした。でも、目の前の男は笑顔を崩さない。


 デリクよりも身分があり、役に立つ客は大勢いる。彼にこだわる必要はないし、本当に客を増やしたければオーナーに言えばいいだけだ。

 地下室で首輪をつけている以上、客は珠子に強く出られない。非力な立場を理解すべきなのはデリクの方なのだ。

 それでも、賢い男は自分の思うように事が運べると思っているに違いない。


「――自信なくすんで、ちょっとくらい表情変えてもらっていいですか?」

「十分驚いていますが」


 一瞬で緊張感が飛散する。

 相変わらず笑みを崩さない男がそこにいて、理不尽に踏みつけてやりたくなった。


「うっそだぁ」

「会わなかった間、あなたになにがあったんでしょう」


 珠子が答えないとわかっているからか、デリクの問いかけは風に紛れるように軽く、独り言のようだった。


「で? わたしのこと、誰かに話すんですか?」

「やめておきます。ドミナ・レヴェルサ嬢がとても素敵でしたので、独占したくなりました」


 次の瞬間、長身の男が音もなく跪いた。まるで、よく躾けられた大型犬のように。

 信じられない光景を前に、珠子は無意識のうちに肩を引いた。


「先輩って、もしかして被虐嗜好があったんですか?」

「まさか。座っただけですよ。お座りが上手でしょう?」

「は?」

「僕は狼の獣人ですので、あなたの鞭では僕の肌を傷つけることはできないでしょう。やってみますか?」

「え、嫌ですけど……」

「ふふ。本当に? これもプレイの一環ですか?」


 デリクの目が歪んだ気がして、珠子は一歩下がった。しかし、目の前の男は軽やかに距離を詰めてくる。

 今の服装には相応しくない態度だと分かっているのに、未曾有の異常事態に脳が警鐘を鳴らしていた。

 そんな珠子を見て、彼はなおも笑っている。瞳の奥には異質な光が宿っていた。


「僕は長いことあなたを誤解していたかもしれません」

「どういうことですか?」

「あなたは確かにご主人様に向いている。先ほどの目も声も、とてもよかった」


 デリクが笑う。真っ赤な舌と鋭い牙がのぞき、彼が「獣」であることを否応なく思い出させた。


「ふざけないでください。え、なぜネクタイを――」

「僕がふざけて膝をつくような男だと? あの客の代わりに、あなたに金を落とします。それをお望みでしょう?」

「いや、でも」

「信用していただけるように、まずは奴隷の真似事から始めましょうか」


 言うが早いか、デリクはゆっくりと両手を床につけた。そして、エナメルの爪先に口づけを落とす。

 悲鳴を上げた女王ドミナ・レヴェルサが顔を上げろと命令するまで。






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