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第16話 庶民派の招き猫

「今もタマコ・シモノソノの居場所を探している者は少なくない」


 ラスロの声が、静けさに溶け込むように低く響いた。

 いよいよ三杯目の紅茶が注がれ、合計でみっつめの角砂糖がカップに沈んでいく。それを眺めながら、珠子はわずかに眉を上げた。


「一応聞くけど、例えば?」

「ディロン・マカロック」

「げ、ディロン先輩?」


 咄嗟に出た自分の反応に驚いて口に手を当てる。ラスロは気にする様子もなく言葉を続けた。


「君は彼と仲がよかっただろう」

「悪いわけじゃないけど、得意ではない」


 少し間を置いてから、慎重に言葉を選んで返した。表面的には悪い人ではなかったが、独特のテンションを相手にするのは気力も体力も必要だったことを覚えている。

 ラスロは珠子の返答を意外に思ったのか、目線を外さずに小さく首を傾げた。


「珍しいな。君がそんな風に言うなんて」

「あの人は、わたしのことを招き猫だと思ってるだけだから」

「招き猫とは?」

「幸運を招く猫の置物」

「猫の像が祈りの対象になっているということか?」

「そんな仰々しいものじゃなくて、まあ、縁起物ってこと」


 珠子がそれらしいポーズを取りながら言うと、ラスロは納得したように無言で頷いた。

 隣国シシュティタリアでは「魔力持ちの女は幸運をもたらす」と古くから言い伝えられていて、現代でもそれを信じる人は多いという。


「なるほど。確かに、ディロン・マカロックにとっての君は縁起物なんだろう」

「ちっとも嬉しくないんだよなぁ」


 ディロンは蛇の亜人で、太陽の化身かと思うほど明るい男だった。しかし、その本質は太陽のような眩しさとは対極にある。珠子から見た彼の印象は陽気の一言で済むが、最初から人好きのする男であれば今のような反応にはならない。

 ディロンが冷たく鋭い目つきで他人を見るのは日常茶飯事だった。どのような基準があったのかは知らないが、彼が一方的に気に入った人物以外とは目を合わすことはおろか必要最低限の会話で済ますという徹底ぶりだった。

 太陽とは対極にあるとは言っても、決して月のように穏やかというわけではない。あの笑顔の奥になにがあるのか、珠子には今でも分かっていないのだ。


「あの人、わたしが卒業したら自分の国に連れて帰るって言ってた。ハーレムに入れる気満々よ。絶対に嫌でしょ、そんなの」

「マカロックの一族の男は大勢の女を囲うのがステータスだからな」


 呆れるように言った珠子の言葉に、ラスロはあくまで事実として補足した。

 聞いた話だが、マカロック家は代々一夫多妻制らしく、当主であれば何十人と妻を持つことも珍しくないらしい。


「魔力量測定までは虫けらを見るような目で睨まれてたのに、わたしに魔力があるって分かった途端にあれでしょ?」


 そのときの光景はいまだに忘れられない。ディロンの目には女というだけで見下すような軽蔑と、はっきりとした嫌悪が浮かんでいた。

 しかし、珠子に魔力があると知った瞬間から目つきも態度も変わった。あれは、見くびっていた石ころが金塊だと気づいた者の目だ。


 ニーデラーナ学園の魔法科に在籍する以上、魔力を持っていることは隠しようがない。しかし、遠い異国からの特待生という設定と、アンリが後見人を引き受けたことで表向きの立場はすでに確立されている。これは妙な噂や手出しを防ぐための手段でもあった。

 トップシークレットなのは、あくまでも「珠子が異世界人であること」だけ。

 ディロンとの交流は先輩と後輩の域を出なかったが、彼の瞳の奥がぎらついていたことに気づかぬ珠子ではない。


「ディロン・マカロックは現当主の嫡男だが、第五夫人の息子だから立場が弱い。シシュティタリア国の名家では跡目争いが苛烈だと聞く。珠子を妻の一人にすれば箔が付くと思ったのかもしれないな」

「わたしは家内安全と子孫繁栄のお守りじゃないっての」


 ぼやきながら珠子はカップを手に取り、いささか乱暴に紅茶をあおった。

 さっき飲んだものと比べてずいぶんと華やかな香りがする。口に合わないわけではないが、明らかに好みが分かれる味だと思った。


「ねえ、ラスロくん。このお茶、すごい独特な匂いがしない?」

「これはディロン・マカロックが送ってきた隣国の高級茶葉だ」

「え、もしかして賄賂?」

「違う」


 即答だった。

 珠子はリズワンと飲んだ紅茶の味を思い出そうとしたが、当然のように失敗した。もう一口含んでみると、今度はなぜか美味しく感じる。上流階級の味覚を持ち合わせていない珠子にはこれ以上評価のしようがない。

 高級と言われた途端にそこまで苦手ではないように思えてしまうのだから、現金なものだ。


「有名なお茶?」

「ミルディナージュという。ニーデラーナでの流通量は極めて少ない。レストランで飲んだらヴァルミュゼールといい勝負か、時期によってはそれ以上値が張るだろう」

「なんでそれをラスロくんに?」

「さあ。ディロン・マカロックの気まぐれだろう」

「卒業してからディロン先輩と連絡取ってたの?」

「必要に応じて」


 珠子は現在のディロンがなにをしているのか検討がつかない。卒業後に帰国したはずだが、珠子も一度日本へ戻っているためとっくに縁は切れている。


「ねえ、これ本当に賄賂じゃないよね?」

「ディロン・マカロックがこれを対価になにを要求したと?」

「わたしの居場所」


 ラスロは相変わらずの無表情で珠子を見やると、カップを置きながらわずかに姿勢を正して言った。


「ボクが簡単に買収されるわけがないだろう」

「本当かなぁ」


 皮肉混じりに笑ってみせたが、ラスロの表情は動かない。

 否定の言葉に嘘はなさそうだった。彼がそういう人間であることを、珠子はよく分かっている。


「この茶葉は、別名誘惑茶と呼ばれている。百杯目を口にしたとき、最後に視線を交わした相手に心を奪われるそうだ」

「え、本当に?」

「冗談だ」

「え?」


 ラスロは飄々とした表情のまま、「隣国では定番の贈答品だ」となんでもないことのように言った。心底どうでもよさそうに。

 異世界ジョークはちっとも慣れない。珠子は深いため息をつき、残った紅茶を飲み干した。高級と聞けば飲まないわけにはいかない。庶民である珠子の血が騒ぐのだから。




 アンリが戻ってきたのは日が暮れたあとのことだったらしい。珠子がラスロの部屋のソファで昼寝をしている間に姿を現し、なにも言わずに去っていったそうだ。

 残されたのは珠子の卒業証書と魔法使いの身分証明書。まるで、存在の証を置いていくだけで十分だとでも言いたげな、静かな帰還と出立だった。






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