第1話「好きで跡継ぎになったわけじゃない」
今日は、魔法を使えるかもしれない。
そう思って、昨日よりもフリルの多いスカートを選んだ。
黒い生地に白いレースが幾重にも重なったデザインで、パニエでふんわりと膨らませたため、姿見からはみ出している。
鏡の前でくるりと回ってみた。
背中のリボンもきれいに結べている。
今日のコーデは、我ながら完璧だ。
可愛い呪文だって考えた。
「みらくるコップイリュージョン!」
テーブルのコップに向かって叫んで、可愛くポーズをとってみる。
でも、浮かそうと思ったピンクのコップは、テーブルの上でぴくりとも動かない。
あげた片足が、虚しく宙をさまよっている。
その後も、手のひらを何度かコップに向けてみたけれど――
何も起きなさすぎて、恥ずかしくなってきた。
そのときだった。
「まだ起きてないのか。朝の特訓を始めるぞ!」
怒鳴り声とともに、父が階段を登ってくる音がした。
やばい。
私は慌ててクローゼットから黒い靴を取り出して、窓の外に並べる。
「またそんな服を着て。ほら、練習着持ってきてやったから着替えなさい」
「そんなダサいの着たくない」
父が投げてきたのは、上から下まで真っ赤なジャージ。
人間カラーコーンみたいで恥ずかしい。
絶対に着たくない。
私はジャージを父に向かって投げ返した。
「こらっ、服を投げるんじゃない!」
「先に投げてきたのはそっちでしょ」
父は道場をやっていて、私はその跡継ぎとして育てられてきた。
でも、私の夢は魔法少女だ。
可愛い服を着て、魔法で怪物を倒す魔法少女。
「燃える心で強くなれ。熱血!爆裂!火山道場」なんて暑苦しいスローガンを掲げる道場を継ぐつもりなんか、さらさらない。
私は窓枠に腰掛けて靴を履くと、母屋の屋根をかけおりる。
「待て!」
振り返ると、父親も屋根の上に降りてきていた。
私は雨戸いを伝って、中庭に飛び降りた。
「げっ」
私は顔をしかめた。
中庭を抜けた先――道場の入口を兼ねた玄関の前には、朝練に向かって門下生たちが続々と集まってきていた。
もれなく全員、上下ぴっちり燃えるように真っ赤なジャージを着ている。
「だっさ」
思わず呟いてしまった。
「師匠のジャージになんてことを!」
「真っ黒なドレス? 敵の刺客か?」
「似合わねぇふりふり着てる奴に言われたくねぇよ!」
「今なんて言った?」
似合わない?
すごく考えたコーディネートなのに。
悔しくて詰め寄る。
私の殺気に怖気付いたのか、門下生は後ずさりした。
「お前ら、そいつを捕まえろ!」
父親が屋根の上から門下生に向かって叫んだ。
捕まるのは困る。
私は、目の前のムカつく門下生を一発殴ると、踵を返して家の外に向かった。
父の声をきいて、私を捕まえようと門下生が待ち構えている。
私は庭の飛び石を掘り起こし、門下生の集団に向かって転がした。
門下生はボーリングのピンのように、あっけなく倒れていく。
「何してる、それでもお前らヒーロー志望か!
今日の練習はアイツを捕まえることだ!」
父が屋根の上から声を張り上げた。
門下生の目の色が変わる。
「マグマレッドになるのは私よ!」
倒れた門下生の山の中から、ショートカットの少女が立ち上がり、道を塞いだ。
女の子の門下生は珍しい。
でも、服装は赤ジャージ。
肩にかけた真っ赤なタオルは、恐らく市販されているマグマレッドグッズの一つだろう。
マグマレッドは、怪獣と戦うヒーローの一人で、絶大な人気を誇る……らしい。
私は魔法少女にしか興味ないから詳しくないのだけど、なぜか火山道場の門下生は彼に憧れる人が多い。
私は玄関の壁を伝って、少女を飛び越える。
「待ちなさい!」
「あんなやつが後継者なのかよ……」
ボソッと呟く声が聞こえた。
でも、私だって好きで後継者になったわけじゃない。
譲れるものなら譲りたい。
なんで父はあんなにも、私に拘るんだろう。
門下生を振り切り、路地裏のゴミ箱の影に身を隠して息を整える。
「いたか?」
「いや、見失った」
門下生たちが通り過ぎていく。
「なぁ、なんであいつあんな服着てるんだ?」
ふと、門下生の会話が耳に入った。
「魔法少女になりたいんだってよ」
「男なのに? 気持ちわりぃ。ぜってえ無理だろ」
笑いながら、門下生が立ち去っていく。
私の夢は魔法少女。
道場での暑苦しい修行なんかより、魔法の練習をしていたい。
真っ赤なジャージじゃなくて、リボンいっぱいの可愛い服を着て魔法で怪物を倒すのだ。
でも、無理なんだろうか?
男なのに、可愛いものに憧れちゃダメなんだろうか?
「どうすれば、魔法が使えるんだろう……」
「知りたいか?」
顔をあげると、よれたピンク色の服を着たおじさんと目が合った。