19.
今日もデリバリーのサンドイッチを片手に、香澄はノートPCに向かっていた。
花連がベッドから香澄に尋ねる。
「ねぇ~サンドイッチばかりで飽きないの~?」
「いいの。これが一番食べやすいし」
黙々と作業を続ける香澄のスマホが音声着信音を鳴らした。
画面を見ると、知らない番号からだ。
香澄がスマホをタップして応答する。
「――はい」
『あ、水無瀬さんかい? 草薙だが』
「なにかあったんですか?」
『あんたの離職手続き、無事に終わったよ。
もうすぐにでも再就職手続きができる。
就職先は、スタジオウズメでいいんだね?』
香澄は一度唾を飲み込んでから応える。
「……はい、よろしくお願いします」
『わかった。
手続きを進めておこう。
明日から君は、スタジオウズメの社員だ』
通話を終えた香澄が、体を震わせた後に声を上げる。
「やったー! 再就職先、決まったー!」
花連がベッドから飛び起きて告げる。
「ほんとに?! おめでとー香澄!」
花連はそのままベッドから飛び降り、ローテーブルを回りこんで香澄に抱き着いた。
「これで香澄も正式に『マヨヒガ』の一員だね!」
香澄がきょとんとした顔で尋ねる。
「『正式に』って、どういう意味?」
花連はニンマリと微笑んで応える。
「ここは『迷い人』を保護するセーフハウスなんだって。
でも『迷い人』じゃなくなった人は、いつかここから出ていっちゃうんだ。
――だけど! 就職先が『マヨヒガ』の中なら話は別ってこと!」
そこで香澄が「あっ」と声を漏らした。
――言われてみれば、『スタジオウズメ』はこのビルの中だ!
花連が香澄に抱き着いたまま告げる。
「転職するまで、ここに居られるよー? 香澄ー!」
「いいのかなぁ~? それで」
「いいんじゃない? それで」
悩んだ末に、香澄は気合を入れた。
「よーし! 勉強頑張ろっと!」
「じゃあお祝いに、晴臣にコーヒー頼んでおくね」
「なんで?!」
賑やかな午後が、今日も過ぎていった。
****
午後六時になり、花連が勉強中の香澄に抱き着いて行った。
「かーすーみー! ご飯の時間だよー?」
香澄がノートPCの画面にへばりついて応える。
「もーちょっと! あともう少しだから!」
「いっつもそれじゃん! お腹空いたから早く行こうよー!」
香澄がため息をついてマウスを置いた。
「もー、しょうがないなー。
今日はどうしたの?
いつもはこんな時間に言いださないのに」
花連がジト目で香澄を見つめた。
「あー、もしかして香澄ってば、明日から私が居なくなるのを忘れてる?」
香澄が真顔になって「え?」とつぶやいた。
花連が香澄を引っ張りながら告げる。
「最初に言ってたでしょ?
『再就職するまでは居てあげる』って。
明日から再就職なんだから、私は今夜で最後なんだよ?
最後の夜くらい、ゆっくり一緒にご飯を食べようよ」
香澄が呆然とした顔で告げる。
「花連ちゃん、どっかに行っちゃうの?」
「自分の部屋に帰るだけだよ。
香澄も大人なんだから、ちゃんと自立しないとね!」
肩を落としながら香澄が応える。
「自立、かぁ。そっか、そうだよね」
「ほーらー! 落ち込む必要ないでしょー!
それよりご飯行こう?」
「うん……」
香澄が立ち上がると、花連がその手を引いて歩きだした。
****
花連に背中を押されながら香澄が『喫茶わだつみ』に入ると、店内からクラッカーの音が鳴り響いた。
驚く香澄に、晴臣が告げる。
「再就職、おめでとう」
「マスター……」
良く見れば店内には、『スタジオウズメ』のスタッフが揃っている。
烏頭目が元気に告げる。
「我が社の期待の新戦力!
水無瀬香澄さんに拍手なのです!」
店内の湖八音、青川、黄原、拓郎が拍手で香澄を迎えた。
おずおずと店内に進む香澄の背中を、花連がぐいぐいと押していく。
「ほら香澄! 主役の席はこっち!」
「ちょっと花連ちゃん、危ないって!」
烏頭目と拓郎が座るテーブル席に、香澄と花連が着く。
黄原がビールを片手に告げる。
「それじゃあ期待の新星に――乾杯!」
手の中の缶ビールを掲げた黄原が、一気に飲み干していく。
それぞれが避けて掲げて飲み干すのを真似て、香澄も目の前に置かれたビールを一口飲む。
拓郎が缶ビールをテーブルに置いて告げる。
「――ぷはぁ! いやぁ、めでたい話のあとは酒が美味いな!」
香澄がきょとんとした顔で尋ねる。
「おめでたいんですか?」
烏頭目も美味しそうにビールを口にしながら応える。
「――ふぅ、そりゃあもうとびっきりめでたいですよ?!
ちょっとサポートしただけでこれだけ伸びる人材、中々拾えませんですからね!」
香澄は眉をひそめて告げる。
「でも私、まだ揺れ物とかさっぱりですけど……」
拓郎が酔いで顔を染めながら告げる。
「ああいう『セットアップ』――ああ『リギング』のことな?
そういうのはクライアントのオーダーに合わせて条件が変わってくる。
クライアントが使用する環境で使える範囲でセットアップしなきゃいけないんだ。
そういう広い知識は、覚えるのに時間がかかるからな。
そこは俺みたいなリガーに任せてくれればそれでいいさ」
烏頭目がつまみのゲソを口に運びながら告げる。
「狭間くんはほとんど適性がありませんでしたが、リガーだけは良いものを持ってますからね。
安心して任せてしまって良いですよ?」
「そういう『才能がない』みたいな言い方、やめてくれよ?!」
烏頭目が肩をすくめて告げる。
「事実、デザインもモデリングもさっぱりでしたからねぇ。
一言でいえば、『馬鹿の一つ覚え』です」
「せめて『馬鹿』はぼかしてくれ!」
明るい笑い声で満ちる店内で、香澄は微笑みを浮かべながら不安を感じていた。
――明日から、また仕事か。
前職のように、自分の能力の無さを思い知るのだろうか。
今は笑っている烏頭目たちから、白い目で見られる日が来るのだろうか。
そんな不安を感じて、静かにビールを口にしていく。
烏頭目が力の抜けた声で告げる。
「心配はいりませんですよ?
年内は余裕のある案件でOJTをしますです。
引き続き私がメンターをしますから、ゆっくり仕事を覚えればいいです」
「OJT……ですか」
前職の嫌な思い出が香澄の脳裏をよぎっていく。
いきなり新人の香澄が案件を任され、タイトなスケジュールと格闘した日々。
烏頭目がため息をついて告げる。
「どうやら重症ですね?
OJTは本来、現場で案件に携わりつつ、メンターの指導の下で業務を覚えるシステムです。
教育を放棄して現場に投げ込む『OJTもどき』と一緒にしないで欲しいです」
「年内の案件って、納期はいつなんですか?」
烏頭目がニヤリと微笑んで応える。
「聞きたいですか? どうしても聞きたいですか?」
香澄は緊張しながらうなずいた。
「それは……はい。
納期に合わせてスケジュールを組まないといけませんし。
知らずにのんびりと作業はできませんから」
烏頭目が缶ビールを掲げて告げる。
「では発表しますです!
明日から水無瀬さんに任せる案件の納期は――来年、三月です!」
あっけにとられた香澄が「三月……?」とつぶやく。
「しかも、もうキャラクターデザインも終わってますです!
湖八音の手が空かないので、ペンディングしてる案件ですね!
リギングは一か月もかからないので、年越しまでかかっても問題ありませんです!」
「あの、担当するキャラクターは何体なんですか?」
「とーぜん、一体です!
新人にいきなり何体も任せる訳がないのです!」
香澄は拍子抜けし、力が抜けていた。
恐ろしくゆとりのあるスケジュールだ。
今の香澄でも一体のキャラクターを作るのに一か月、添削を受けて追加で一か月もあればお釣りがくる。
それが二倍の期間を見積もっているという。
「それで利益が出るんですか?」
烏頭目が得意げに微笑んだ。
「新人教育で利益が出る訳がないのです!
一言でいえば、『損して得取れ』! なのです!
つまり今コストをかけて香澄を教育すれば、後々数倍になって利益として返ってくる。
その投資期間ということだろう。
――スタジオウズメに入社できて、よかった。
香澄はしみじみと思っていた。