15.
旅行当日、アラームで起きた香澄が花連を起こし、一緒に顔を洗っていく。
「花連ちゃん、旅行の準備は?」
「できてるよ? 香澄が勉強に熱中してる間に」
――いつのまに……。
油断のならない『猫又』である。
顔を洗い終わった花連が「喫茶店で会おうねー!」と部屋を飛び出していった。
香澄も旅行用の服に着替えると、喫茶店に向かって部屋を出た。
****
喫茶店には、まだ誰も来ていなかった。
カウンターの中で晴臣が微笑んで告げる。
「いらっしゃい。朝ごはんはなんにする?」
「えっと……じゃあサンドイッチで」
カウンター席でサンドイッチとサラダを食べながら、香澄が尋ねる。
「他の人は?」
「そろそろ来ると思うよ。
みんなちょっと、のんびり屋だから」
香澄が晴臣の服装を見て告げる。
「マスターは旅行に行くんじゃないの?」
「行くよ? ――ほら」
晴臣が奥の扉に目を向ける。
香澄もそちらを見る――化粧室から、スラックスと開襟シャツにジャケットを羽織った晴臣が出てきた。
肩にリュックを担ぎ、完全な旅行スタイルだ。
香澄が困惑しながら尋ねる。
「分身で旅行するの?」
「正確には『分身が留守番する』かな。
一緒に行くのが本体だよ」
香澄は乾いた笑いを浮かべながら、二人の晴臣を見比べた。
――これが『あやかし』かぁ。
当たり前のように分身し、当然のように別行動する。
人間と違うんだと、まざまざと見せつけられる思いだ。
一方で、晴臣と一緒に旅行に行けるのを嬉しくも感じていた。
こんな気持ちはいつ以来だろうか。
「――あ! そうだ、これ見てくださいよ!」
香澄がスマホで、自作モデルのダンス動画を再生する。
「どれどれ……」
二人の晴臣が、香澄の顔に顔を近づけてスマホを覗き込んだ。
――これは?! ある種のご褒美?!
美形二人に接近される。
久しく感じていなかった高揚だ。
今の自分の姿がみっともなくないか、つい気になる。
無意識にスカートを手で直し、ブラウスを整えた。
晴臣が嬉しそうに告げる。
「よくできているね。一人で作ったの?」
「いえ、烏頭目さんに手伝ってもらって……」
「ふーん……でも彼女の手癖が感じられない。
ということは、ちゃんと自力でここまで辿り着いたんだね。
すごいんじゃない? 適正、あると思うよ」
香澄がきょとんとした顔でカウンター内の晴臣を見つめた。
「手癖とか、わかるんですか?」
「見慣れてくると、なんとなくね。
『彼女ならこんな構造にはしないな』っていうのがわかるんだ」
――え~、私には全然わからないのに?!
香澄が感心していると、ドアベルを鳴らして花連が入ってきた。
「晴臣ー! ミルクちょーだーい!」
「はいはい」
カウンター内の晴臣が、牛乳をコップに注いでいく。
続々とドアベルを鳴らし、参加メンバーが集まってきた。
最後にやってきた草薙が全員に告げる。
「では出発するとしよう」
草薙を先頭に、参加者が続々と店の外に出ていく。
花連も急いで牛乳を飲み干すと、あわてて香澄の手を取った。
「行くよ! 香澄!」
「あ、待って花連ちゃん!」
花連に手を引かれた香澄が、喫茶店の外に出ていく。
そのあとを微笑みながら、晴臣が追いかけていった。
****
旅行参加メンバーは十一人。
力也も都合がついたようだ。
力也は氷雨と並んで話ながら歩いている。
スタジオウズメのメンバーは、ある程度固まりつつばらばらに歩いていた。
最後尾を香澄と花連、晴臣が付いて行く。
一度横浜駅に出たあと、東海道線に乗車する。
熱海行きなので、終点まで乗りっぱなしだ。
およそ二時間弱で、横浜市民にとっては身近な観光地だ。
ボックス席には香澄、花連、晴臣、氷雨が座った。
「やっぱり新幹線って訳にはいかないんですかね」
晴臣がクスリと微笑んで応える。
「所要時間にほとんど差がないからね。
安く済むなら、その方がいいでしょ」
通路の反対側には、烏頭目、湖八音、拓郎、青川が座っていた。
烏頭目が元気な声で告げる。
「そうそう! 水無瀬さんがここまで一人で作ったんですよ!」
スマホを取り出した烏頭目が、それをボックス席の三人に見せる。
どうやら香澄の動画を密かに自分にもコピーしていたらしい。
恥ずかしさで頬を染める香澄が、あわてて声を上げる。
「ちょっとやめてくださいよ?!
プロの人に見せられるクオリティじゃないですよ?!」
晴臣が香澄の肩に手を置いて告げる。
「水無瀬さん、電車の中だよ」
押し黙った香澄が、羞恥心を我慢してうつむいた。
烏頭目のスマホを見る三人は、女の子が踊る動画を観察するように見つめている。
拓郎がぽつりとつぶやく。
「これ、本当に水無瀬が作ったのか?」
烏頭目がうなずいて応える。
「もちろんなのです! 嘘をついても仕方がありませんですよ?」
湖八音が真顔で告げる。
「水無瀬さん、未経験って言ってませんでしたっけ」
烏頭目が得意げに応える。
「その通り、まったくの初心者です!
参考書を渡して手引きはしましたが、独力での成果ですよ?」
青川が唖然としながら告げる。
「あの子、二週間目ぐらいよね……」
烏頭目は胸を反り返らせながら応える。
「たった二週間でこれなのです!
すごいと思いませんですか?!」
香澄が恥ずかしさでたまらず尋ねる。
「あの……あんまり見ないでもらえますか。
稚拙なのは自分でもわかってますし」
拓郎がため息をつきながら応える。
「なに言ってやがる。
たった二週間でここまでできる奴、珍しいぞ?
リギングまでできてるじゃねーか」
――そう、なのかな。
周囲から褒められるのが、心にこそばゆい。
能力の無さを罵られていた日々が嘘のようだ。
晴臣が優しい声で告げる。
「もっと胸を張って良いと思うよ。
水無瀬さんは、この仕事向いてると思う」
香澄は涙ぐみながら晴臣を見上げた。
そこには優しい微笑みで香澄を見守る笑顔があった。
「……本当に、私は向いてるんでしょうか」
晴臣も、烏頭目たちもうなずいた。
香澄は声もなく、涙を流して泣き出した。
****
香澄が落ち着いたころ、晴臣がペットボトルのお茶を香澄に手渡した。
「ほら、窓の外を見てごらん」
ペットボトルを受け取った香澄の目に飛び込んできたもの。
それは都会を抜け、森を抜けた先に広がる海原。
どうやら泣いているうちに、相模湾にまで出てきたらしい。
ハンカチで目元を拭いながら、香澄は十月下旬の穏やかな海を眺めた。
白い波濤が、遠くにわずかに見える。
窓を開けると、潮の香りがほんのりと香った。
「海、来ちゃいましたねぇ」
氷雨が楽しそうに応える。
「あら、目的地はもう少し先よー?
寝不足だったのでしょう? 少し寝ておいたらー?」
香澄はうなずくと、壁に寄りかかって窓の外を眺めながら、ゆっくりと目を閉じた。
花連が小声で告げる。
「あんなに泣くなんて、びっくりしちゃった。
なんで泣いたんだろう?」
晴臣が優しい眼差しで香澄を見守りながら応える。
「たぶん、初めて他人から認めてもらえたんじゃないかな。
話を聞いていた限り、自分を大切に思えなくなってたみたいだし」
烏頭目が静かな声で告げる。
「なんにせよ、こんな将来有望な人材が手に入ってラッキーなのです。
水無瀬さんには悪いですが、前職を追い出されてくれて助かりました」
拓郎がフッと笑って告げる。
「告げ口したくなってきたな。
かなりあくどいこと言ってるぞ、あんた」
青川が小さく息をついて告げる。
「狭間くん、大切な後輩を失うけど、それでいいの?」
「はいはい、冗談ですよ」
クスクスという笑い声が漏れる中、何も知らない香澄は穏やかな寝息を立てていた。