10.
ボイスチャット用ヘッドセットを受け取った香澄は、また烏頭目と一緒にノートPCの前に戻った。
「ではレクチャー再開なのです!」
「あの……本当に業務は大丈夫なんですか?」
烏頭目が胸を叩いて応える。
「問題ありません!
何かあればスマホで連絡が来ますから!
それに私はメンター、教育係も兼任してますです!
これもいわば、業務の一環なのです!」
香澄がおずおずと告げる。
「でも私、まだ離職が終わってないんですけど」
「オーナーが手続きをして、失敗することはないのです!
一か月ぐらいはかかってしまいますが、離職は問題なく終わりますです!
この隙間時間を無駄にするのはもったいないのです!
なので、自主勉強をやれるだけの知識を叩きこむだけなのです!」
「自主勉強、ですか」
やったこともない業種の勉強をひとりでやる――自信などあるはずもない。
眉をひそめている香澄に、烏頭目が自信満々で告げる。
「そのためのボイスチャットなのです!
弊社はこのビルの三階にありますが、別に出社の義務はないのです!
業務はすべてリモートで済ませられるので、お部屋で仕事しても良いのです!
――どうです?! 魅力的に見えませんか?!」
出勤時間がなく、身支度を整える必要もない。
その上、技術職なのでキャリアアップにもなる。
あとは将来性ぐらいだが――。
「実際、この業界ってどれくらい将来性があるんですか?」
「エンターテイメント業界は水ものなのです!
確かな未来はわかりませんですが、CG技術がすたれることは当分ありませんです!
少なくとも水無瀬さんが生きてる間は使われ続けるのです!
活用シーンは変わるかもしれませんが、将来性はバッチリなのです!」
少なくとも、香澄が見ているコンテンツはどれもCGが使われているようだ。
コンテンツが移り変わろうと、実写とCGを合成する映像の需要が無くなることはないように思えた。
それなら確かに、将来性は高いだろう。
「案件はエンターテイメント業界だけなんですか?
それだけだと、ちょっと不安定すぎませんか?」
烏頭目がニヤリと微笑んだ。
「今はXRといって、実写とCGをリアルタイムに合成する技術も活発なのです!
民間では知られてないですが、医療分野や自動車業界、建築業界では普及している技術なのです!
――つまり! 太い客を捉まえたら安泰なのです!」
香澄には縁遠い業界ばかりだ。
困惑しながら香澄が尋ねる。
「……そういった案件はあるんですか?」
「たまーに依頼が舞い込みますですね。
金払いは良いのですけど、技術的に面白いことはしづらいのです。
医療分野だと求められる水準も高いですし、うちではスポット案件のみですねー。
――やはり! 面白いのはエンターテイメント案件なのです!」
「は、はぁ……」
――『面白い』か。面白さで仕事を選んだことって、なかったな。
だんだんと興味が湧いてきた香澄が、モデリングの参考書を手に取った。
「この『モデリング』っていうのは、何をするんですか?」
「では、順番に説明していきますです! ――」
最初にデザイナーがデザインを起こす。
起こされたデザインをベースに、モデラーがCGモデルを作成する。
CGモデルを動かせるように、リガーが設定を追加する。
最後にアニメーターがCGモデルを動かす。
近年ではモーションキャプチャーで演者の動きを取り込むのがスタンダードになりつつある。
取り込んだ動きを補正して、コンテンツに仕上げるのもアニメーターの仕事だ。
「――という訳なのです!
水無瀬さんがどれかに適正があれば、うちで採用できるのです!
ぜひ頑張って欲しいのです!」
香澄がおずおずと手を挙げる。
「あの、どの手順もいまいちピンとこないんですが」
「そうですか? では順を追って見せていきますですね?」
烏頭目がネットからダウンロードしてきたファイルを展開し、一つ目のファイルを開いた。
中高生ぐらいの女の子を前と横、後ろから見た図だ。
「これがデザイナーが起こす『キャラクターデザイン』になりますです!
俗に『三面図』と呼ばれますです!
必要であれば、上から見た図なども追加されますです!
そこはデザイン次第で、ケースバイケースなのです!」
「はぁ……これは難しいんですか?」
「キャラクターの魅力を出しつつ、動かすことも念頭に置いたデザインセンスが問われますです!
モデリングの時点でデザインを変更することも多いのですが、普通のキャラクターデザインとは少し変わってきますですね!」
つまり、考えることが通常より多いということだろう。
あとで動かしにくくなるデザインは、途中で差し戻されて修正が必要になる。
その手間を省けるデザイナーが、『良いデザイナー』なのだろう。
「さっき自動車とか建築業界って言ってましたよね?
そっちにもキャラクターを使うんですか?」
「使いませんですよ?
モデルには静物、つまり動かないものとキャラクターがあるのです!
両方できる人は少なくて、大抵はどちらかのモデリングに特化しますです!」
烏頭目が見せてくれた別の図は、SF映画に出てきそうな宇宙船のデザインだった。
建築物や自動車は、こちらのカテゴリーなのだろう。
「なんで分かれるんですかね?」
「良い質問なのです!
一番大きいのは、生物と非生物ということですかね?
柔らかいものに本物そっくりの動きをさせるのと、機械工学通りに動かすのでは理屈が違うのです!
そこで得意・不得意が生まれるみたいなのです!」
――なるほど、生きてるかどうか、なのか。
誰かのデザインとはいえ、自分が生み出したCGモデルが動いて命を持つ。
それはなんだか、心にときめきを感じる出来事だ。
烏頭目が別のファイルをクリックして告げる。
「試しにモデルを表示させてみるのです!」
ブラウザが起動し、その中に手を横に広げた女の子が表示された。
烏頭目がブラウザにカメラ使用を許可すると、ブラウザ画面にカメラの映像が映る。
そして烏頭目がブラウザ上のスタートボタンをクリックした瞬間、女の子が烏頭目と同じ姿勢を取った。
その後、烏頭目がカメラの前で姿勢を変えると、女の子の上半身が同じように動いて行く。
「これは『フェイシャルキャプチャ』と呼ばれる技術なのです!
カメラに映る部分をCGキャラクターに真似させることができるのです!
表情のトラッキングが主な役割なので、口も動かせるのですよ?」
実際に、烏頭目が話すのと同じようにブラウザ上の女の子も話していた。
烏頭目が香澄にカメラの前を譲り、香澄自身も試していく。
香澄が顔を動かせば、その通りに女の子の顔も動く。
「……なるほど、動画配信者ってこうやってキャラクターを動かしてるんですか」
烏頭目がニヤリと微笑んだ。
「そういう人も居ますですね!
一番安上がりなので、個人ではそういう人が多いです!」
香澄が烏頭目に振り返って尋ねる。
「『個人では』って、どういう意味ですか?」
「業界の裏側、覗いてみたいですか?」
香澄は好奇心が疼き、思わずうなずいていた。
烏頭目が元気よく腕を天井に突き上げて宣言する。
「では! スタジオにご招待なのです!」
――スタジオ?
きょとんとする香澄に、烏頭目は意味深な微笑みを向けていた。