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第6話 一次覚醒


「『不滅の聖書(せいいぶつ)』の前に立ったら、神へ祈りを捧げてください。人によって差はありますが、5〜30秒ほどで体に戦職を授かったと明確にわかる時が来ますので、授かりましたらステータスパネルは開かず、順路に沿って速やかに退場してください」


 祭壇には少し大きな本が置かれ、戦職を受け取りに来た人間の横と対面には司祭の代わりに警察官が立っている。


 大きな本はきっと古くからあるものだとわかるデザインをしているが、その状態は新品のように美しい。美術のわからん俺でも美しいということがわかるような本だ。


 その景色が見えるような位置。

 最後の折り返しを終えたところで、神職の男から説明を受けた。


「何か特別な祈り方とかありますか?」


「いえ、ご自分の好きなように祈っていただいて構いませんよ」


「そうですか。ありがとうございます」


 念の為聞いておいたが、特に変わったルールはなさそうだ。

 ここで変な祈り方をして面倒ごとになるのは避けたい。前のやつをみて無難にこなすとしよう。



「…アリサって敬語とか使えたんだ」


 袖を引っ張って俺を屈ませ、小声でわざわざ話しかけてきたからどんな重要なことかと思えば、こいつは何を馬鹿なことを言ってるんだ。


 よくわからんふざけたことを言うカスミに、空いてる方の手でデコピンをする。


 確かに俺は今のところこいつの前で敬語を使ったことがなかったかもしれない。だがそれはそのタイミングがなかったからというだけの話。

 俺がそこまで常識のない人間だと思われていたとは心外だ。


 何か言いたそうな視線を左下から感じるが、分かっていてあえて無視する。

 こんなところで不敬なことをしたせいで碌な戦職を貰えなかったとあれば笑いものだ。



 戦職を貰う直前まで来たわけだが、どういうわけか緊張や高揚は一切存在しない。



 次の数秒には運命が決まると言っても過言ではないはずだが、教会の雰囲気のおかげなのか、それともまだ実感がないのか。

 あるいは異世界転移とかいう一大イベントをすでにこなしたからなのか。


 不貞腐れた俺の隣のやつは若干震えている。

 これは恐怖からではなく緊張からだろう。


 ーーそうか、さっきの謎のやりとりの意味は緊張をほぐすためだったのか。


 勿論俺の緊張ではなく自分の緊張をだろうが。



「次の方、前へお進みください」


 俺の前の人間が聖遺物の前に進んだ。


 アクシデントがなければあと1分以内に俺の番がくる。カスミは一旦引き剥がしておこう。



 俺の前にいた仕事終わりらしき男も緊張をしているのか、両手両足を同じ向きで動かしている。


 警察の間に挟まれる形で立ち、両手を組んで祈りを捧げる。祭壇には大きめの燭台が置かれているから、割とはっきりと確認できる。暗闇に目が慣れたというのもあるだろう。

 特別なことはしていない。俺も問題なく真似できる。

 

 10秒。

 本当にものの10秒で終わったらしく、前の男が出口へ向かう。その表情には驚きが見えた。


 そして確実に歩き方も変化している。

 両手両足がどうこうという話ではない。明らかに体の使い方を知っている人間の歩き方。平凡なサラリーマンのそれではない。


 つまり、あれこそがステータスの恩恵なのだろう。



「次の方、前へお進みください」


「建物を出たすぐのところで待っておく。お前の番までに深呼吸でもしておけ」


 カスミの頭に左手を置き、耳元に顔を寄せ小声で声をかける。緊張と恐怖でおかしなことをされては、一緒にきた俺が恥ずかしいからだ。



 この混雑だ。カスミから離れ、テンポを乱さないよう迅速に祭壇の前へ向かう。


 おおよそさっきの男と同じ位置に立ち、同じように両手を組み、目を閉じて祈りを捧げる。



 『祈り』か。



 俺は生まれてこの方、一度も神に祈ったことなどない。


 神の存在を信じているかどうかは別として、神に祈る必要がある状態まで追い込まれたことがない。


 …いや、ゲームでならあったか。


 思い返せば数えきれないこと祈ったことがあったな。

 

 そう思うと神への祈りなんてなんの役にも立たないことだと断言できる。俺の世界での話だが。


 こっちの世界だとどうなのか、あるいはもっと切実な祈りだとどうなるのか。


 だが、今の俺が祈ることといえば『より良い戦職をください』ということくらいだ。ソシャゲのガチャでする祈りとなんら変わりがない。


 大概ソシャゲのガチャは金に物を言わせて欲しいだけのものを引いてきたが、今回のガチャは金をかけようが何しようが、1人につきたった1回きりのガチャ。



「…君、大丈夫か?」



 右側の警察官が声をかけてきた。

 そういえばやけに長いな。もしかして異世界人は戦職が貰えないとかあるのか?


 いや、それならそもそも俺にステータスパネルを配らないはずだ。配られているということは、神は俺にもガチャを引かせる気があるということ。



 ふん、ならもういい。


 思えば俺は容姿も能力も環境も、最高のものを持って生まれてきた男。


 祈る必要もクソもあるか。


 俺はただ配られるものを受け取るだけ。






 ――不意に宙に浮くような感覚。




 油断した瞬間にきたが、はっきりと戦職を受け取ったと理解できた。


 何か肉体的な感覚のほかに得られたものはない。

 特別な音が脳内に響いたりもしなかったし、神に話しかけられたりもしていない。


 ただ『そういうこと』だと理解できる程度にはっきりとした感覚の変化。



 深く息を吸ったタイミングだった。


 体が明らかに軽くなった。両腕で持っていた荷物を下ろしたような感覚。さらにいえば水中から上がったような感覚。左手で持っていたペンを右手に持ち替えたような感覚。



 これがステータスが上がったということだ。



「君、戦職は受け取れたか?」


 俺が動き出すと、随分と時間がかかってしまったからか、さっき話しかけてきた右側の警察官が再び話しかけてきた。


「ご心配をおかけしました。確実に授かれたという感覚がありますので大丈夫です」


「そうか、ならよかったよ。…ふ、楽しみだな」


 俺の父親ほどの年齢の男が静かに笑う。

 その体の動きは勿論、口の動き、瞬き、全てをはっきりと見ることができる。

 どうやら上がったのは単純な運動能力だけではなさそうだ。


 順路に沿って歩く。


 歩くとき、体に全く負荷がかからない。


 例えようのない感覚。明日になれば今までの煩わしかった肉体での感覚など忘れてしまうだろう。


 ジャンプをしたらどこまで飛べるのだろう。


 走ったらどれほどの速度が出るのだろう。



 面白い。


 これは…楽しい。神ゲーだ。


 語彙力がなくなるほどの興奮。

 俺は確実に異世界に転移し、その恩恵を受けている。


 勉強、運動、接客。

 絵を描いたり歌を歌ったりすることを除けば、なんだって上手くできる俺が1番好きなのがゲームだ。興奮しないはずがない。

 

 出口まで歩くその順路すら面白い。


 さっきまで見えなかった教会の様子がはっきりと見える。梟か猫にでもなった気分だ。


 燭台の炎のゆらめき、蝋の溶けていく様子を見ることさえおもしろい。これが眼鏡をかけるやつの感覚なのだろう。

 俺の視力が落ちたことがなかったのは、この時の感動をより深く味わうためだったのか。



 音もよく聞こえる。


 カスミが祭壇に歩いて行き、今止まった。


 息遣いすら聞こえてくるほどだ。

 列に並ぶ他の奴らの音も聞こえる中で、はっきりとカスミの音だけを拾うことができる。



 流石に筋肉の音を聞いて動きを予想するみたいな超能力を得ることはできなかったが、俺にはまだスキルが残ってる。



 カスミはまだ動く様子がない。

 どうやらカスミも10秒では終わらなそうだ。


 とりあえず外で待つとしよう。










 流石に外から中の音を聞くのは簡単ではないか。



 教会の外は都会の喧騒。

 人の会話や木の揺れ動く音もそうだが、何よりこうも車の音がしていては、教会の中の音を聞くのは容易ではない。



「そういえば…変わったような気がしないな」



 外の景色を改めて見てみたが、入る前から変わったような気がしない。

 たった数十秒で俺はこの目に慣れてしまったのだろうか。


 入る前の景色は思い出せるが、はっきりと今見てる景色との差を言語化ができない。


 もとからこのくらい見えていたような気もしてくる。



「ね、大丈夫?なんか問題とかあった?ちゃんと戦職受け取れた?」


「問題ない。少し時間がかかっただけだ」



 やたら機嫌が良いカスミと合流して例の交差点に向かう。


 もう特になんの意味もないはずなのにカスミは当然のように手を繋いできた。それだけ気分がいいのだろう。



 赤信号で立ち止まると、戦職を授かる前とのステータスの差を具体的に感じることができた。


 大通りの交通量は入る前と大きく変わっていないのに、向かい側の歩道の様子がはっきりと確認できる。

 これは俺の動体視力や、空間の認識能力が大きく上がったということだろう。



「ねねね、いいこと教えてあげよっか?」


「なんだお前。もうステータスパネルを確認したのか?教会から出たらと言われたら普通、敷地を出て落ち着ける場所についてから確認するだろ」


「し・て・ま・せ・ん。せっかくステータス確認するのがもっと楽しみになることを教えてあげようと思ったのに。教えてあげないよ?」


「そんなこと聞かずともすでに俺の『楽しみ』は限界まで到達している」


 いいから早く確認したい。


 どこかで飯を食いながら確認するのも悪くないが、同じようなことを考える連中のせいで混んでそうだ。


 それにステータスの話をするのであれば、極力周囲に他人がいない方がいいか。


 であれば、俺らがとるべき行動は必要最低限のものだけを買ってさっさと家に帰ること。


 信号が変わると同時に歩き出す。

 新しく得た反射神経を大いに活かした速度だ。


「まあきいてよ。受け取る時の時間が長い人ほどランクの高い戦職が貰えてるんだって。Xの情報だからどこまで本当かわかんないけど、アリサはやけに長かったし期待していいんじゃない?」


「…ほう。夕飯もコンビニで買って帰るぞ。俺は一分一秒でも早く部屋に帰りたい。道案内は俺がする」


「えー?せっかくなんだからもう少しいいもの買って帰ろよ。こういうのって焦らしたら焦らしたらだけ楽しいものでしょ? ――美味しいもの買って、ケーキとかも買って、お風呂に入って、髪も乾かして、スキンケアもして、完璧な状態になってからホームパーティをしつつステータスを確認するの。そっちの方がよくない?」


「…ケーキ以外は悪くない提案だ。そうと決まれば何を買って帰るかだな」


 カスミがしてきた提案は俺の心を躍らせた。


 こいつはやはり俺と気が合う。


 ステータスを確認する時を想像しながら選ぶ飯、焦らしながら風呂に入る時間、どれも魅力的だ。


 それに一生の思い出になるイベントなら、コンビニ飯で済ませるのは勿体無い。



 通り沿いに丁度ピザ屋が見えた。



「ピザは買おう。ピザは総合芸術のような料理だ」


「いいね!その表現はよくわかんないけど私もピザ好き!あとは…パーティといえばチキンとか?」


「俺は大いに構わないが、お前はそんなに食えるのか?」


「そんなに食べれる方じゃないからこそ、いろんなものを食べたいの。だって今日はアリサがいるから私が残しても問題ないでしょ?」


「ならば寿司も買おう。いや寿司はもう時間的に厳しいか?」


「こんな状況だしまだ営業してるんじゃない?いろんな店が臨時で遅くまでやってるらしいよ」


「よし。ピザは距離的に直接店頭に行くとして、最寄りのチキンと寿司を買える場所でモバイルオーダーをしておけ。ピザを待つ間にコンビニで飲み物やらアメニティやらを買うとしよう」


 できるだけ無駄な時間は省きたい。


 焦らすほうが楽しいというのはわかるが、それでも無駄な時間は省く方がいいに決まっている。

 むしろこの急いでいる感覚こそが楽しいんだ。


「急に遠慮なくなりすぎじゃない?」


「この程度のことを遠慮するくらいならそもそも家に泊まるという選択肢をとっていない」


「ま、その方が楽だしいいんだけど。あとケーキは買うからね。時間の無駄とか言わないでね」



 上機嫌なカスミと手を繋いでピザ屋へ向かう。


 行きより足取りが軽いのがステータスの恩恵だけではないというのは言うまでもない話だ。


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