第3話 転移
「それで、さっきのやつはなんだ?」
部屋に帰って来ると女は奥側に座り、白いテーブルの上には飲み物とお菓子が置かれていた。
あと床に散らばっていた衣類が消え、女の髪が整えられていた。
「さっきのって…ステータスパネルのこと?」
ステータスパネル。
なんとも心が踊る単語だ。
俺が思っていたよりもちゃんと異世界に転移しているのかもしれない。
「おそらくそれだろう。時間を確認していたやつだ。あれは生まれつき持っているものなのか?それとも何かしらかの端末を使っているのか?」
「…からかってるわけじゃ…ないのよね?普通にみんな生まれつき出せるものだよ。こういうのってあんまり言いたくないけど、出せない子は、その…障がいを持ってる子とかじゃない?」
「なるほど。出し方は?気にしたこともないか?」
「普通にこうやって、出そうと思えば、ほら」
女が右手で空間をスワイプする。
俺に見えたのはその動きだけだ。
「ほらと言われても何も見えないが、これは見えない俺が異常か?」
「常に見える設定にしてる人なんていないに決まってるでしょ……って、知らないのか。ちょっと待ってね、えーっと、はい、どう?」
何かしらかの操作を経て、女の手元に水色のパネルが表示される。
こっちから文字を読むことはできない。でも白い文字で色々数値が書かれているように見える。
「なるほど……こうか?」
なんだか俺にもできそうに感じたから、女の動きを真似してみた。空間にタブレットがあるイメージで、電源を入れるようにスワイプしただけ。
手元に水色のパネルが出た。
悪くない。
悪くないじゃない。
すごくいい。
「わかんないけど出てんじゃない?」
俺の手元には今ステータスが表示されている。
本当にまるでゲームのように。
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[UR] 1 [Lv] 2 (EXP23%) [カルマ] 81
[PN] なし [戦職] なし [チーム] なし
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[氏名]聖園 愛梨紗 [性別] 男 [年齢] 18
[STR] 13 [INT] 14 [MND] 21 [AGI] 18
[DEF] 12 [RES] 11 [DEX] 12 [MP] 0
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[Passive skill]
【1】なし 【2】なし 【3】なし 【4】なし
[Active skill]
【1】なし 【2】なし 【3】なし 【4】なし
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・【アイテム】0%
・【時計】01/09/22 16:06:34
・【マップ】
・【装備】
・【周囲のユニット】1
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「これはまさにステータス」
これはゲームでよく見るステータスに間違いない。
「…だからそうだって言ってんじゃん。てかまさにって何?知ってたの?」
「ああ。ゲームではよく見たことがあるものだ」
「なにそれ。君の世界?では、ゲームだとステータスがあんのに現実だとないの?いみわかんな」
「一体これはどういう理屈で出てるんだ。科学的に説明をできるのか?」
「科学じゃなくて神学の話だから。…君は神様ってわかる?」
「信じてるかどうかの話なら、今日ここに飛んでくるまでは全く信じていなかったな」
「神様って概念自体はあるんだね。じゃあ昔はいたのかな?昔はいたけどいつのまにか人が忘れたとか、神様に見捨てられたとか?」
「お前は信じているようだが、このパネル以外にも何か神様の力を感じることはあるのか?」
「まあいろいろあるけど…1番はやっぱり昨日神様が降臨したことかな?」
「それは姿形を見たということか? ――ふん、なるほど。つまり、神がその前に降臨したのは2704年前で、昨日再降臨したから新暦になったということか」
「いや姿形を見たわけじゃないけど…てか、君やけに理解が早いね?本当に何も知らないの?私をからかってるの?」
「形を見てないならどうやって神を認識した。このステータスパネルに何か変化があったのか? ――なんのことだかわからない『UR』とか『PN』とか『戦職』とかが関係ありそうか…。お前を見るに『戦職』だの『Skill』だのからは程遠い生活をしていた世界だと予想できるが、もしかして昨日からこんなゲームみたいな項目は追加されたのか」
「ちょ、ちょっと質問なのかなんなのかよくわかんないのが多いし速いって!もう少し頭を整理しながら話してよ!」
女は困った顔をすると、机の上に置いてあるコップを俺の方に押し出す。
確かに、俺は考えたことや浮かんだ疑問を全部口から出す状態になっていた。
女から用意されたコーヒーと牛乳をコップ入れて一度落ち着く。
順を追って考えていく必要がある。
この世界にはモンスターがいるのか、それとも人と人とが戦う世界なのか。
それは昔からなのか昨日からなのか。
「そうだな。お前はスキルだのを使って人と戦ったことがあるのか?」
「……待って、まず君は『運命の日』って知ってる?」
「いや、知らん」
「…じゃあそこから話さないと。私たちの世界ではずっと前から『運命の日』っていうのが予言をされていたの。それがいつかはわからないけど、世界にモンスターとダンジョンが生まれ、人とその都市との生存をかけた戦いが始まる日が来るって。だからそれに備えましょうみたいなのを小さな頃からずっと教えられてきた」
「つまり、昨日…運命の日を迎えるまではモンスターやダンジョンはいなかったわけか」
「モンスターはいなかったけど、ダンジョンになる場所はずっとあるよ。ダンジョンになる場所は人間が触ることができないバリアで覆われていたの」
「それだけでも神様がいることを証明するのに十分すぎるほどの超常現象だな。そのダンジョン予定地みたいなものは危険ではなかったのか?」
「?べつに、鍵が閉まってるだけの部屋みたいなものでしょ?人間が入れないところなら、神学じゃなくて科学の話でもいくらでもあるし」
「その『運命の日』が来るまではなんでもないただの空き地だったというわけか。それで、運命の日がきてからはどうなったわけだ?今はもうモンスターとかがいるんだろう?」
いるのであれば早く戦いに行きたい。
いや、戦う前になんとかしてこの『戦職』とやらを手に入れなければ。
いや、その前に俺のこのLv.2というのが気になる。いったいいつレベルアップなんてしていたんだ。
そのこともこの女に聞かなくては。
目の前に座るこの黒髪ボブの平凡な女が俺にとっての命綱。幸いこいつは善人だ。できる限りの助けをしてもらう方がいいだろう。
コップに注いだカフェオレを飲むといつもの味がする。
出されたコーヒーは俺が買ってるペットボトルと同じものだから当たり前か。
「『運命の日より七日でモンスターが世界に生まれ落ちる』って教わってきたし、多分そうなんだと思う。今はそれに備える期間みたいな」
「つまりこの『戦職』とやらは今から入手できるわけか。いくつかわからない項目があるんだがお前はわかるか?」
「一応全部習ってはいるけど…。ねえ、君のステータスパネル見せてって言ったら怒る?私のを見せて説明するのは…なんかちょっとまだ…」
「別に構わん。 ――この右下のやつか…これで見えるか?」
「ん、見えた。ちょっと待ってね」
女が椅子を運んで俺のすぐ隣に来る。
肩が触れ合う距離だ。女から俺への警戒はもう完全に解けたと思ってよさそうだ。
警戒が解けたのはいいことだが、新たな問題ができた。
甘ったるい臭いが鼻腔をくすぐる。
この部屋の臭いを強くしたような臭いだ。
「近い。もう少し離れろ」
「…なに?君ってその見た目でうぶなの?」
「お前の匂いが苦手だ。勘ち――」
急に頭を全力で叩かれた。
「サイテー。ほんと。ほんっとにサイテー。さっさと出てってよくわからないまま死ねば?」
「最後まで聞け。くさいじゃなく、苦手だと言っただろ。俺は甘いものが苦手なんだ。つまりお前は一般的な感覚で言うといい香りがするということだ。特段香水の臭さも感じない。ただ俺が苦手だというだけだ」
「……じゃあ君に落ち度があるんだから文句言わないで。これより離れると見にくいでしょ。 ――えーと、まずわからないのはどれ?まさか…全部?」
「1番上の段だとURだ。いや、Lvとカルマもよくわからないな。概念自体はわかるが、これがどういう数値なのかがわからない」
「URはユニットランクのこと。これはなんか強さの指標らしいけど、剣術の世界チャンピオンとかでもUR3だから気にしなくていいと思うよ。てか君のカルマなにこれ?最初見た時びっくりしたんだけど。高すぎない?」
「なるほど、URやLvは本来運命の日以降に上がっていく要素といことか。LvとURはどう違うんだ?」
カルマが高いという話も気になるが、まずはこのどうも同じような指標に見える2つの数字が気になる。
「えーっとね…なんて言えばいいんだろ。わかってるんだけど説明が難しくて…例えばさ、アリの中ですっごい強いアリがいたとするじゃん。本当にアリの中で1番強いみたいな。そうなると『アリ』という個体の中では高いレベルになるんだよね。でも所詮はアリだからURになると当たり前だけど1から変わることはないの」
「なるほど。つまりLvというのはその個体の成長度合いを現した絶対的な指標で、URは世界基準の相対的な強さの指標ということか」
「…合ってるんじゃない?たぶん。てか君のそのカルマ81って何?司祭とかクラスのカルマだけど。君、神様なんて信仰してないって言ってなかった?」
「よくわからんが、俺は自分自身が人道に背くと判断したことはしたことがない。逆になぜ81という中途半端な数字なのかわからないくらいだ。カルマというのは0からどこまである?」
「カルマは-100から100までだよ。普通の人は大体50前後。0を下回ったら悪のユニットとして教会に捕まるようになってるの」
「?このパネルは基本的に人には見せないものなのだろう?どうやってカルマを判断するんだ。0を下回っているやつがわざわざ見せるはずがない」
「えーっとね、このちょっと大きいかっこで囲まれている項目あるでしょ?これはタップしたら詳細を開けるの。周囲のユニットってところを押してみて?」
女に言われた通りにする。
【周囲のユニット】1。
これをタップするとだ新たな情報が出てきた。
「UR1,Lv2,カルマ73,PNカスミ…お前カスミっていうのか」
そういえばまだ自己紹介もしていなかったことを思い出した。
だがこの女――カスミが善人であることはこれで証明された。そしておそらく真面目な人間だ。Lv2のカルマ73。俺と近い数字を持つ人間が悪人のはずがない。
あと家にあったコーヒーと牛乳がどちらも俺の家のものと同じものだった。
「そういえばまだ自己紹介もしてなかったね…。私の名前は安達佳純。安達は安い友達で、佳純は佳作の佳に純情の純。18歳大学1年生。…君は…せい、ひじり?このやけに神々しい名前なんて読むの?下の名前も…ありさ?…これ偽名じゃないよね?」
「失礼な女だな。ミソノアリサ、同い年だ」
聖園愛梨紗。
名字はともかく名前はずっと昔からある自分の弱点のひとつだ。中性的な名前と呼ぶにはあまりにも漢字が女性的すぎる。
これは気の早い俺の母が、性別がわかる前に名前をつけたせいだ。
「このPNというのはペンネームということだな。じゃあ[戦職]と[チーム]はなんだ?俺もお前もなしになっているが」
「ペンネームじゃなくてプレイヤーネームね。戦職っていうのは、ゲームやってるならわかると思うけど、役割?みたいなやつ。教会に行くともらえるらしいけど、昨日は混んでたからやめちゃった。チームは経験値を共有できるチームってこと。ダンジョンにはチームを組んでいきましょう、みたいな」
「なるほど。次の項目は…まあ大体わかるとして、このSkillっていうのは戦職で手に入るものだと思っていいか?」
「正解。にしても聖園のステータスの数字やけに高いね。小さい頃から剣術をやらされてきた私よりAGIとかDEXも高いし。これ、もしかしたらもう少し鍛えたらUR2いくんじゃない?」
「だがこんなのは誤差の範疇なんだろう?戦職をとってレベルを上げれば気にするほどのことでもないような」
「そうでもないんだよ?戦職とかレベルによるステータスの上昇は、元のステータスに影響されるから、運命の日が来るその時まで少しずつでもステータスを上げておきなさいってのが教えのひとつなの。昔から剣術とか真面目にやってた?でも聖園の世界にはそういう教えなかったんでしょ?」
「格闘技や武道の類はやったことがないし、ステータスをあげようと思ったこともないが、体づくりを怠ったことはない。健康のためだ」
別に何か競技をやっていたわけではないが、ゲームばかりしていると不健康そうだから鍛えていた。本当にただそれだけのこと。
「…なんかムカつく。小さい頃から剣術をやらされてた私より強いとか」
カスミが複雑な表情をしているが、どう触れてもあまりいい方向に進まなさそうだから放置する。
「この【アイテム】0%というのはなんだ?詳細を開いても真っ白な画面が出るだけだが…まさか『物』をこのパネルの中にしまえるのか?」
試しに手に持っていたグラスをパネルに通して見るが、パネルを素通りするだけ。しまえそうな様子は一切ない。
何度か出し入れしていると、正面に座った佳純にため息をつかれた。
「…そんなわけないでしょ。どうやってただの映像に物体をしまうのよ」
「こんなパネルが出る世界ならそのくらいできてもおかしくないだろ。お前の中で何がファンタジーの話で、何がリアルの話なのかその線引きがわからん」
「何がって…神学と科学は分けて考えないと。このアイテムってのは多分これからモンスターを倒したりダンジョンで宝箱を開けるとかで手に入るんじゃない?わからないけどね」
なるほど。
なるほど?
とりあえず『ダンジョン』や『パネル』、『モンスター』みたいな要素が神学の要素で、スマホやコップは科学の要素だから交わらないということか。
それならばダンジョンには科学のものは持ち込めないということか?衣類や食料はどうなる?
「お前は剣術をやっていると言っていたな。モンスターには化学兵器は通じないということか?」
「そういうこと。だから剣術や弓術が今でも残ってるの。人間の戦争なら銃火器でいいんだけど、モンスターには通じないらしいからね。――ていうかさ、その『お前』ってやめてよ。名前教えたんだから」
「剣術や弓術がなぜ神学なのかがややわからんが、大体のことは理解した」
「剣や弓には信仰が宿るでしょ?でも銃火器には明らかに宿ってないじゃん。科学と神学は正反対のものなの」
「その辺りの線引きはここで生活して慣れていく他ない。そういえば俺と出会った時にカスミが急に冷静さを取り戻したのは、こういう転移みたいな前例が教科書に載っていてからか?それともカルマを確認したからか?」
最初に会った時、何やら手をもぞもぞ動かして急に落ち着いた。おそらく俺のカルマを確認して悪人ではないことを理解したからだと思うが、それにしても異世界転生を受け入れるのがスムーズすぎるように感じた。
もしかするとこの世界には俺以外にも転生者がいる、もしくはいたのかもしれない。
「…急に下の名前で呼び捨てなの、ね…。べつにいいけど」
「違うPN呼びだ。それで、どうなんだ?」
「…………はぁ。いや、前例なんて聞いたこともないよ。でもまあ、急に運命の日がきたくらいだし、そういうことがあってもおかしくないかなって。 ――あ、落ち着いたのはそう。聖園のその妙に高いカルマを見たから。不安はあったけど、襲ってくる危険性はないかなって思った」
なるほど。
少し残念なような、逆に嬉しいような複雑な感情だ。
前の世界に未練がないわけではない。
ただ今は少しこのゲームのような世界を楽しんでみたい。
随分と変わってしまった世界で、俺を除けば唯一変わっていないコーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「とりあえずやることは決まったな。カスミ、準備をするぞ」
「え?な、なに?準備って?」
「決まっているだろう出かける準備だ」
運動着で寝ることが功を奏し、幸いにも俺はこのままの服装で外に出ることができる。
どうせカスミが準備するのに時間がかかるだろうから、メイク道具くらいは少し借りるとしよう。
「出かけるって…服とか買いに行く?お金はあるの?まさか…私に買えって言うわけ?」
確かにそれも必要になってくる。
俺は今衣食住の全てが足りていない。
だが、ここが元俺の家だとはいえ同い年の女の家に住むわけにもいかない。最悪カスミから金を借りることにはなるかもしれないが居候する気はない。
まあ今は、
「――後回しだ。教会に行くぞ」