第2話 起床
「…なんだ?」
妙な寝心地の悪さで目が覚める。
枕の高さ、マットレスの弾力、あるいはこの甘ったるい臭い。甘いものが嫌いな俺の部屋からこんな臭いがするわけない。
天井は見知ったものと変わらない。
だがそれ以外は何もかもが違う。
体を起こして辺りを見る。
「なんだここは…?」
俺の部屋ではないどこかの部屋。
部屋は白とピンクで統一され、よほど服が好きなのかクローゼットの他に衣装ラックが3つも置かれている。
床には脱ぎ捨てた衣類が散乱しているのに、ベッドの隣にある化粧台の上だけは綺麗に整頓されている。
正面にあるテレビはベッドからでもよく見られるような大きさで、手元を見ると枕の横にテレビのリモコンとスマホが転がっている。
状況がよくわからんが、俺は今若い女の部屋にいる。
酒を飲んだ覚えはない。
というより野菜ジュースを飲んで寝たことをよく覚えている。俺が自らの意思で女の部屋に転がり込み、その記憶を失っているという線はまず否定できる。
次に考慮すべくは厄介なストーカーに誘拐されたという展開だ。
だがそれなら俺に何かしらかの拘束をすべきだ。
相手が刃物を持ってこようがなんだろうが、この部屋の主が俺を制圧できるとは到底思えない。
それに誘拐されたのであれば、ここまで全く気が付かないとも思えない。
それならば次の可能性はファンタジーな展開だろう。
まず可能性として考えられるのは体が入れ替わったというやつだ。
考えていてバカらしくなってきたが、状況があまりにも理解できない以上、考えないわけにもいかない。
幸いにもすぐ横に化粧台がある。
ベッドから降りて鏡を見れば1発でわかることだ。
鏡に映っているのは目元にかからない程度に伸ばされた前髪、色素の薄い肌と血色の悪い唇。不健康そうに見えるが至って健康的な生活を送っているのがこの俺。
襟足をさわれば3年の付き合いになる狼のような毛先が確かに存在している。
間違いようがない見慣れた顔。
普通に俺だ。
ならばこれはどういう状況だ。
「!?っっ!!だっ、だれ!?だ、誰ですか!?」
扉が開いて知らない奴が部屋に入ってきた。同い年くらいの知らない女。160cm前後の痩せ方。
この部屋にある衣類の持ち主像に当てはまっているな。
女はルームウェアらしきショートパンツの右ポケットに手を入れると、焦ったように反対側を探し始めた。
「スマホならベッドの上に置いてあったぞ」
「!なっ、な、なに!?何が目的!?ね、ねぇ!」
「とりあえずお前の反応でお前に悪意がないことはわかった。質問だ、俺はいつからここにいた?」
「し、知るはずないでしょ!? ――ねぇ、本当にだれ!?警察呼びますよ!?」
「知らないわけがあるか。お前は今どこに行っていて、どれくらい部屋から離れていた。俺はどのタイミングでここに現れた?」
女がスマホを持たない手元をもぞもぞ動かすと、少し驚いたように肩をすくませ、落ち着くように深いため息をついた。
警戒心はむき出しのままだが、恐怖は消えたように見える。
どういうわけだか冷静さを取り戻した女は自分の服装を見ると、また少し焦ったようにあたりを見まわし、落ちていたパーカーを着てファスナーを首元まで上げた。
「…よくわかんないけど、トイレから帰ってきたら君がいた」
「どのくらい時間がかかった?」
「な、なにそれ?変態?」
「必要な情報だ」
「…わかんないけど、そんなに。普通にすぐだと思う」
「なるほど、だいたい理解した」
つまり俺は誰かに運ばれてここにきたわけではなく、どういうわけだか一瞬でここに飛んできたということか。
「は?私はわかってないんだけど」
「ここの住所は?」
「言うはずないでしょ!」
「警戒心が強いのはいいことだが、もうその場にいる奴に隠す意味はないだろう。これも大事なことだからさっさと答えろ」
「うっ…東京エリア第7地区教会領26-7の704号室。…てか、なんで君はそんなに偉そうなの?」
704号室。
俺の部屋は702号室。
だいたい間取りが全然違う。ここは俺の知る建物ではない。
「第七地区というのは大雑把に言って東京のどのあたりだ?」
「えぇ…?右の方じゃない?右の上の方」
「次の質問だ。今は何年の何月何日だ?」
「えーと、2704年の…あー違うのか、新暦1年の9月の23か24?」
「正確な日付を教えろ。お前のスマホを見ても日付が出なかった」
「か、勝手に人のスマホさわんないでよ!てかスマホで日付なんかわかるわけないでしょ!」
女はよくわからないことを言うと、右手で空間をタッチする。
何かタッチできるものがあるようには見えないが、明らかにあれは何かを操作している手つきだ。
ウェアラブル端末でもつけているかのようだが、女の顔には何もついていない。
「9月22日」
日付は俺の認識とずれがない。
暦が違うせいでよくわからないことになっているが、概ね時間軸は同じだと認識してもよさそうだな。
もうひとつの可能性は700年近く未来に飛ばされたということだが、目の前にいる女やこの部屋を見ればそうではないことがわかる。謎の時間の確認の仕方から多少の技術のズレはあることはわかるが大きな相違ではない。
「…で、日付でなんかわかったの?」
「3でも4でもなかったな」
「…イヤミを言うために黙ってたわけ?」
「いや、上出来だ。だいたいの状況は理解した。次の質問だ。さっきお前が日付を確認するときに何かしらかを見たな。あれはどういうものだ?」
「………はぁ?記憶でも失ったの?てかさ、理解したならまずは理解したとこまでの状況を私に共有しなさいよ。私はわからないことが増えてく一方なんだけど」
「…ふん、これはお前が正しいな。 ――とりあえずの状況把握はできたから一度落ち着こう。顔を洗ってくるからコーヒーを淹れておけ。砂糖はなしでミルクは入れずに置いておけ」
「だからなんでそんなに偉そうなのよ!?て、てか普通に怖いから近づかないでよ!!」
俺が動き出すと恐怖が帰ってきたのか、女は後ずさってテレビの方へ逃げていく。
俺はそれを無視して女が入ってきた扉から外へ向かう。
顔を洗いにいく前に最低限の安心をさせるため、とりあえず今のところの俺の推理を女に伝えておくか。
「答えはここが俺の部屋だからだ。何かしらかが起きて別の世界における同一時間、同一座標に飛ばされたようだがそれに俺の落ち度はない。知らない人間が近くにいるのはお互い様、俺は知らない世界について考えないといけないことを考慮して、お前の方が俺に気を遣え」