第1話 昼寝
ここ数ヶ月間繰り返してきたなんの変哲もない1日。
春や秋でも薄暗いような早朝に起床し、洗顔と歯磨きだけを済ませたら部屋の外へ向かう。翌日の運動着を着て寝ているため着替える必要はない。
靴箱の上に置かれた水入りペットボトルをポケットに入れ、カードキーのケースを首からかける。
扉を開けると、白い壁と赤みの強いブラウンのカーペット、そして夏場はやけに暑いという特徴を持つ廊下に出る。
廊下を出て左へまっすぐ進むとエレベーターホールに着く。↓のボタンを押し、少しでも時間を無駄にしないよう、水を軽く飲みながらストレッチをする。
早朝の七階から一階まで降りていく時、他の住人に会ったことはこの半年のうちに片手で数えられるほどしかない。
今朝も誰にも出会わずにエントランスまでついた。
春や秋でも薄暗いと言ったが、夏だと薄明るい時間。
大学の夏休みも終わりに近づき、ほんのりと涼しい季節になってきた。
最初は歩きながらストレッチをし、体がほぐれてきたらランニングを始める。
音楽やラジオは聴いたりしない。
ただ無心で走り続けるだけ。
何も考えずに走っていると、体が覚えたコースを勝手に辿る。今日どうやって走ったかなんて覚えてない。
つまらない都会の景色を周り、気がついたら見慣れたマンションのエントランスに帰ってきていた。
ダウンストレッチをしながら部屋に帰る。
帰りは度々他の住人と出会うため、『おはようございます』と口に出して挨拶をする。会釈だけで済ますと、最近の若者は人付き合いが悪いとか思われそうなのが気に入らないからだ。
部屋に帰ったらそのままシャワーに向かう。
今日着る服は前日に用意してあるため、汗だくのまま寝室に入らないですむ。
汗を流すだけの軽いシャワーを終えたら、タオルを髪に巻き付け、先にメイクをする。ベースメイクと軽いアイメイク、ナチュラルな色のリップだけで済ませた簡素なもの。
バイトの時はこれくらいがベスト。ノーメイクも良くないが、気合の入ったフルメイクも印象が良くない。
タオルをとり、ドライヤーで髪を乾かしながら髪型を整える。アイロンやワックスを使わずにドライヤーだけでセットできるのは、生まれつき全く癖のないストレートな髪質と、高校生の頃から一度も変えたことがないウルフヘアのおかげだろう。
ヘアセットを終えてから服を着る。
洗面所で過ごしているため、服を着ていると少し暑いからだ。
着替えるのは白いシャツと黒いパンツ。バイト先の服装の指定に従うと、こういった形に落ち着く。
あまりにもシンプルな服装をアクセサリーで飾る。
両耳9箇所のピアスと両手6つの指輪は全て人からの貰い物で、ネックレスだけが自分で買ったもの。系16点のアクセサリーは基本的に固定で、毎日同じ場所に同じものをつける。
最後に最近買ったクリアレンズのサングラスをかけたら準備完了。
靴箱の上に置かれた鞄を持ち、部屋から徒歩10分程度のバイト先へと向かう。たまに腹が鳴ることもあるが、朝食はバイト先で取ると決めているため、そこまでは水だけで凌ぐ。
バイトもランニングと同様に特に考えることなく淡々とこなす。
最初のうちこそ覚えることや、身の振り方に頭を使っていたが、今ではもう同じことの繰り返し。
この2ヶ月、同じ先輩が俺と全く同じシフトに入れているのも楽な理由のひとつだ。
平日店に来る客はほとんどが固定されている。
話しかけて来る客とは程よく会話をし、いつも通りの手順で作業を続ける。こだわりの強い客のカスタマイズも一度覚えて仕舞えばどうということはない。
15分の休憩時間は店のものを適当に食べる。
ベタベタとくっついて来る先輩を軽くあしらいながらも適度に機嫌を取る。この先輩は大学生活を送る上で便利なため無碍にはできない。
それに、店の決まりで香水はつけられないため、くっついてこられてもそれほど不快ではない。
休憩後も同じように仕事をこなせば、やらなければいけないことはほぼ終わったも同然。
昼飯はコンビニで買いつつ部屋に帰る。
今日買ったのは大盛りのナポリタンとサラダチキン。家には常に野菜ジュースがあるため、それさえ飲めば健康だと自分に言い聞かせている。
帰宅したらまたシャワーを浴びる。
今度は髪も洗うし、メイクも落とす本気のシャワー。
シャワーから出たら体の水気を切って、化粧水だけの簡単な肌ケアをする。
ここまで起床から一度もダイニングより奥に帰っていない。
俺の部屋は所謂2DKだが、DKにリビングの役割も持たせ、残りの2部屋はゲーム用の部屋と寝室という形に分けられている。
ゲーム用の部屋は特にインテリアにこだわり、サイバーパンクをモチーフとしたゲーミングルームになっている。
天井、床、一面を除く壁を黒に統一し、残された壁は白にしておくことでプロジェクターを投影できるようにしてある。
壁面と天井はLEDネオンで飾り、モニター3つとゲーミングPC2台を用意。どちらもスケルトンの箱を使ってデザインまで拘った自慢のPCだ。
サイバーパンクと並立してモチーフにしているのは、幼い頃から好きなゲームのモンスター。ゲームプレイはしなくなってしまったが、いまだに登場するモンスター達は好きなままだ。
1番好きなのは電気タイプの犬型モンスター(このモンスターの進化系統は全部好き)で、部屋にはぬいぐるみや高額のトレカを飾ったり、キーボードやPCはこいつをモチーフにしてデザインした。
そんな自慢のゲーミングルームと同じくらい愛すべき場所が寝室。
寝室はベージュと白を基調とした落ち着いたデザインにし、観葉植物(全て造花)を飾ったりなんかしている。
ベッドとクローゼットの他にある家具は、衣装ラックと本棚くらい。基本的には寝ることだけを目的とした部屋になっている。
ダイニングを通って寝室に向かうわけだが、この時にダイニングのエアコンをつけ、電子レンジに昼飯をセットする。こうすることで電子レンジを待つ無駄な時間が省ける。
セットをしたらテレビ棚の左にある扉から寝室に入る。
この部屋に帰って来てようやく仕事を終えた気がする。
ランニングのために部屋を出てから約9時間。
まずはクローゼットから翌日の運動着を出して着用し、エアコンをつけ、翌日の私服を準備して脱衣所に運ぶ。
脱衣所から戻る時に洗濯物を洗濯機に入れ、洗濯機のタイマーを2時間にセットする。こうすることで昼寝から覚めた時にちょうど洗濯が終わるようになる。
明日の準備まで終え、ダイニングに帰って来ると、だいたい電子レンジが鳴るタイミングになる。
もう少し小さくても良かったと後悔しているバカデカい冷蔵庫から野菜ジュースを出し、弁当と一緒に食卓に運ぶ。
白と黒だけで統一されたLDKはわざと無機質でリラックスするできない場所にしている。これは客人が長居するすることを防ぐためだ。
真っ黒で食欲がそそらない食卓で手早く食事を済ませる。
食事中、テレビは見ないがスマホでSNSだけはチェックしておく。大事なメッセージなどがあった場合は、この時すぐに返すようにしている。逆にどうでもいい連絡は2日3日放置することが多い。
食事を終えたら、ゴミを捨てるだけで片付けが済む。これがコンビニ飯のいいところだ。
手と口を洗い、エアコンを切ったらいよいよベッドに帰ることができる。
枕、マットレス、布団、全部拘った俺の楽園。
寝ることが嫌いだなんて言う奴がいるのはせいぜい中学生までだろう。
俺は無駄な時間が嫌いだが、寝ることを無駄だと思ったことはない。
大きく大の字になって横たわり、白い天井を見上げていると、自然と瞼が落ちていく。
昼寝から起きたら適当にスマホをいじり、洗濯機の音が鳴ったら洗濯物を回収する。そのあとは眠たくなるまでゲームをして過ごすだけ。
ここ数ヶ月間繰り返してきたなんの変哲もない1日。
幸せを噛み締めながら眠りについた。