プロローグ 解散
東京エリア第7地区第17集会所。
通称7-17集会所は日本で最も多くのプレイヤーが集まる集会所と言われている。
現在時刻は午前3時15分。2階にあるロビーが開く4時までにはまだ1時間弱あるというのに、今日もすでに多くのプレイヤーで賑わっていた。
ロビーの最寄りである1階カフェの座席は全て埋まり、入り口に設置された掲示モニターには12T待ちと表示されている。
「誰があんたなんかをここまで面倒みてあげたと思ってんのよーーっ!!捨てていったら泣くからっ!うわーーーっん!!」
誰もが萎縮するような屈強なプレイヤーが集まるこの時間のカフェスペースに場違いな嘘泣きが響き渡る。ダンジョン上がりの頭に響く10代の少女の声。
プレイヤー達は皆一斉に声の方へと顔を向けたが、すぐに机へと視線を戻す。
泣き叫ぶ少女が座るのは他の席とは違う黒い革張りのソファ席。
甲高い叫び声の発生地点は店の最奥にあるVIP席だった。
7-17集会所のVIP席に座れるのはチームランク6を超えるエリート中のエリートチームのみ。それはこの鳴き声の発声者が日本における最高位層のプレイヤーということを意味する。
「面倒を見られた覚えはない。面倒はかけられただけだ」
「はぁ!?右も左も分からないバブちゃんのくせに態度だけがでかかったあんたを口うるさい司祭だの司教だのの嫌味に耐えつつ、衣食住を与え、仕事まで手伝ってあげたのが『面倒を見る』ってことじゃなかったらなんだって言うのよ!?」
「日本にはそれを表すに相応しい言い回しがある。小学生でも知っているだろう『余計なお世話』ってやつだ。――おい。」
少女の隣に座る男は、彼女の嘘泣きと怒号を右から左へと流し、空気を読んで少し離れた場所に待機していた店員を指で呼びつけ、注文していたアイスコーヒーとミルクを受け取る。
アイスコーヒーとミルクを頼んで、自分の好きな割合で混ぜるのは彼の数あるこだわりの中のひとつだ。
豪華なテーブルを挟んで少女の向かいに座るチームメンバーの2人が赤ベコのように何度も店員に頭を下げるが、そんなことには気にも留めず少女の激昂は続く。
「……よ、よけい?…よけい、余計ですってぇ……?」
「俺がいつそんなことをしろと頼んだ。例えばさっきの店員がケーキをサービスしてきたらそれを『余計なお世話』と言うだろ?」
「あんたが食べなくても私が食べるし!」
「じゃあお前はこれからこいつらの世話でもしておけ。俺は求めてない」
少女は男が指した2人を睨む。
少女の怒りの矛先は何も言えずに黙って座っていたチームメンバーへと向かった。
「なんで2人はなにも言わないの!?いきなりイタリアから聖女がやってきて、ちょろっと誘われてひょいーってすぐ着いていくって話になるのおかしいと思わないわけ!? それで向こうでチーム組むから『もうお前らはいらん』って、ありえない!ありえない話でしょ!?」
「…とりあえずヒナちゃんは一旦落ち着こう?アリサだって話をしたいことがあるからこうしてわざわざカフェに集まったんだろうし」
「昨日イタリアの聖女(笑)から提案されて、各々考えることがあるだろうから今日はダンジョンに行かないって話になったから私はぐっすり眠ってたのに、こんな朝早くに寝てる私を叩き起こして『おい、2人をカフェに呼べ。俺はイタリアに行く』とか言ってきたやつに話し合うつもりなんてあるかーーっ!! ――はっ!?だいたい呼べってなに!?呼べって!もう当たり前になってたけど、それが仕事だったとはいえこんなやつのムカつく命令を半年の間、毎日毎日毎日毎日ぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐち四六時中ずっーと聞き続けたことが『面倒を見る』てことでしょーーーーーーがっ!!!」
ヒナのすでに切れていたの尾が燃え尽き、アリサの頬を叩く。
どれだけ強く叩いてもヒナのSTRではアリサにダメージを与えることはできない。そのことを理解した上での全力の怒りを込めた殴打だった。
「!!!!!?!!いづっっっったぁぁぁいーーーっっ!!」
素手で硬いものを叩けば怪我をするのは当然。店内に響き渡ったのはやはりヒナの声だった。
「人聞きが悪い。イタリア側が出してきた条件が良かったからそっちに行くだけだ」
一方のアリサは口に含んでいたコーヒーを吐き出すことすらなく、無表情に淡々と注文パネルを操作し、コーヒーのおかわりと軽食を注文する。
彼は最初に頼んだミルクがなくなるまでコーヒーをお代わりする。これもこだわりのひとつだった。
アリサがパネル操作を終え、黙ってしまったヒナの方を向く。
「急に黙るな。泣かれると気分が悪い」
「…じゃあさ、じゃあ、今から同じ条件を出せば残ってくれるわけ…?」
さっきまでの高圧的な姿勢から一転。
ヒナは自分を治療しながら弱々しくアリサにお願いをする。
「残らん。向こうのほうがダンジョンの平均ランクが高い上に、ダンジョンの更新頻度も短い。日本ではまだ一度も出ていないSランクのダンジョンも出てきている。同条件、もっと言うと多少条件が良かったところで日本に残ることはない」
アリサがそれを一蹴する。
彼の心は昨日イタリアから誘われた時点で決まっていた。
「……なんでそんな平気で私を…捨てるわけ…??」
ヒナの瞳には怒りと痛みで涙がたまり、対面に座る2人は胸を痛め顔を歪める。
ヒナほどではないが2人もアリサの移籍を快く思っていない。4人でチームを組んで活動するようになってから5ヶ月。最初は仕事の関係だったかもしれないが今はそうじゃない。
彼らは仕事に支障が出るからという理由だけでアリサの移籍を拒んでいるわけではない。
「捨ててなどいない。俺が抜けてもお前らが苦労しないようにそれなりの後釜を用意した。昨晩から今朝まで時間を置いた理由はそれだ」
そんなことはアリサにもわかっているが、あえてそこには触れずに仕事の話として淡々と進めていく。情に訴えることは無駄だと諭すように。
会話が途切れるたびにアリサの持つグラスの氷の音だけが残る。
その度、静寂を嫌うようにアリサがストローでほとんど氷しか残っていないグラスを混ぜる。
「アリサは昨日提案された時にはもう決めてたってこと?それってつまり…」
泣きじゃくって喋れなくなってしまったヒナに代わり、チームでは最年長のタイガが会話を引き継ぐ。
このチームの男性はアリサとタイガのみ。タイガはヒナとは違う観点からもアリサのことを必要としていた。
アリサが毎日かけているサングラスは、アリサの誕生日にタイガがプレゼントしたもの。眼鏡やサングラスを集めるのが趣味のタイガが大金を叩いてオーダーメイドしたアリサのためだけのサングラス。
屋内では帽子を脱ぎ、日陰ではサングラスを外すというのもアリサのこだわりのひとつだった。
そのためサングラスにはチェーンがついていて、外しても首からかけられるようになっている。アリサをよく知るタイガだからこその気遣いがサングラスに現れている。
人付き合いがよいが故に特定の親友ができたことがなかったタイガにとって、初めての親友がアリサだった。
今もアリサの首にかけられたシルバー製のサングラスを見て、タイガの胸に針が刺さるような痛みが襲う。
「後釜が見つかるまでは日本に残る予定でいた。俺はお前らが思っているほど薄情な人間じゃない」
「…俺たちがアリサに着いていくってことは無理なんだよね?」
「ああ。教会所属プレイヤーの移籍は余程のことがない限り手続きが通らない。日本教会の了承を勝ち取ったイタリア教会の連中はそれ相応の額を積んだんだろう」
「た、たとえばアリサくんが昨日の聖女様にメンバーも一緒じゃないと行かないって言ってみるのは?」
ここまで静観を続けてきたミイが口を開く。
彼女もまたタイガと同じ成人メンバー。辛い話の中にあっても冷静さを欠くことはなかった。
「今回の勧誘の最たる目的は『聖女』と『執行者』を使って、今後増えるであろう高難易度ダンジョンやモンスターショックに備えることだそうだ。俺は向こうに行き次第『聖女』が率いるチームに加えられる。――もっとも、目的が対モンスターのためだけだとも思えんがな」
「えーっと、もしみぃたちがイタリアに行けたとしてもアリサくんとは一緒にいられないってこと?」
「喫茶店で話をするくらいはできるだろうが、そんなことのために面倒なことをする必要もない。相談くらいなら電話で聞いてやることもできるしな。――おい、お前はいちいち呼ばないと配膳もできないのか?」
再び空気を読んで配膳する機会を伺っていた店員が慌ててサンドウィッチとコーヒーをアリサに届ける。
「……なんか甘いもの食べたい」
机に付したままのヒナが、空になったグラスを持つアリサの袖を引く。
「自分で頼め」
「…じゃあイタリア連れてって」
「ケーキセットをひとつ。フルーツタルトのキウイ抜きとアイスのカフェオレだ」
空いたグラスを受けとった店員が注文を受け、静かにアリサ達の席から立ち去る。
フルーツタルトのキウイ抜きとアイスカフェオレは、ヒナがここに来た時に決まって頼むものだった。
ヒナ達は教会所属のチームのため集会所に来ることは普通のチームほど多くはなかったが、それでもこの半年で数え切れないほどこの店に足を運んでいた。
「…なんでそんなに連れて行きたくないの?私のわがままとかいつもきいてくれなかったじゃん…なんで?
――そんなにあの聖女が好き?たしかに美人だったけど…かわいさなら私だって負けてなくない?」
「中途半端なタイミングで泣いたせいで碌に話を聞いてないのかお前は」
「きいてたしっ!でも別にチームとかじゃなくて、恋人枠とかでもいいじゃん!!」
「いつからお前は俺の恋人になったんだ。せいぜいペットが関の山だろう」
「だーかーらーっ!そうじゃなくて恋人ですって言えばいいじゃん!別に恋人じゃなかったとしても!!あんたってそんな感じの傲慢なやつだし、ラノミーだって2番目の恋人ですって言って、タイガは……し、親友ですって言えばいいじゃんっ!?」
「み、みぃが2番目なんだ…」
「まあどちらかと言うとミイの方がアリサの恋人っぽかったよね」
「2人は黙っててっ!!」
ついさっきタイガとミイにも何か言ってと言ったことを忘れ、ヒナはタイガにおしぼりを投げつける。勿論タイガにダメージは入らない。
ヒナが癇癪を起こすのはチーム結成から今日に至るまで何度もあったが、まだ16歳のヒナの癇癪を2人が不快に思ったことは一度もない。
それは2人が寛容なのもあるが、ヒナが不平不満を言いながらも誰より頑張っていてくれたからというのもある。
それ故に、アリサを必死で止めようとするヒナのことを2人は止められない。高校1年生にしていきなり教会の下で働くことになったヒナの気苦労を2人はよく知っていた。
タイガとミイが黙ると席には沈黙が訪れる。
怒りに身を任せてなんとか気持ちを保っていたヒナの心は再び折れ、涙をこぼしながらアリサの肩に額を乗せる。
「…どうしても連れてってくれないの…?」
「連れていけいないと言っている。そもそもお前がイタリアに行くと言っても日本教会が許すわけないだろう。俺の引き抜きに応じた日本教会側の表向きの名目は『イタリアの方が日本よりもダンジョンやモンスターショックの危機に瀕している』ということだ。戦力として心許ないお前までイタリアに行くなんてことが世間にバレれば、教会間で金のやり取りがありますと大っぴらに公表するようなものだ」
「…別に私が行かなくてもそんなのみんなわかるよ…」
「『そうなんだろう』と『絶対そうだ』では話が違う。特に教会のような権威主義の連中にとってはな」
「……」
「…だから話はこれで終わりだ。明日の朝には教会を通して後釜がお前らと合流する手筈になっている。戦職はSの剣聖でプレイヤーネームはカスミ。お前らも名前くらいは知っているだろう」
Sランクの戦職に覚醒しているプレイヤーは世界的に見ても少ない。ましてやカスミは現在Lv42で日本ランク7位のプレイヤー。アリサの後釜を務められる数少ないプレイヤーのうちの1人だった。
「………」
「…すごいな。どうやってコンタクトをとったんだ?」
「ちょっとした知り合いだ。もともとは向こうからランク11位の盾兵と3人でチームを組まないかと誘われていた」
「そんな話があったんだ。相談してくれれば良かったのに」
「盾兵はタイガで間に合っていたし、俺とカスミでは役割が被る。チームが最大4人まででしか組めない以上、そんな無駄な組み方をするはずがない。相談するまでもないことだ」
「ははっ、たしかにアリサがそんなチーム組むはずはないね。でもそれじゃなんでカスミさんは俺らと組むってなってくれたの?興味あったのはアリサなんじゃない?」
「カスミとしても教会所属プレイヤーになれる上に、Bランクまでのダンジョンであれば系統選ばずにクリアできるチームだ。断る理由の方がないだろう」
「…そうか。アリサ抜きでも俺らは日本の中でもトップチームって扱いになるんだね」
「当たり前だ。そうでなければ俺はとっくに抜けている」
タイガとアリサからようやく笑みが溢れる。
最後にメンバーの誰かが笑ったのはイタリア教会に声をかけられる直前。実に10時間前のことだった。
「でもカスミさんかぁ…テレビにも出るような有名な人とチームを組むの緊張するなぁ…」
2人につられてミイも少し明るい気持ちになる。アリサがいなくなることに心の整理がついたわけではないが、離れていくことへ向き合おうという決心はついた。
「アリサが面倒だっていうから教会が取材を禁止にしてただけで、知名度で言えばアリサの方が上だけどね」
「そ、それは知ってるけどぉ!みぃが言いたいのは、なんかやっぱり、その、みんなは有名になっても有名になる前から知ってたから緊張しないじゃん?」
「ははっ。たしかに。例えば今からヒナちゃんとチームを組むってなったら緊張するだろうね」
「ヒナは日本の中じゃトップランカーくらい有名だよね。アリサくんと違って取材も受けるし」
「このガキは知名度だけ一丁前だからな。 ――おい、そろそろ離れろ。離れたら服についたお前の鼻水を拭け」
アリサはヒナの頭を抑えてそっと引き剥がす。
言葉とは裏腹にアリサの手つきは優しいものだった。
「…何もかもめちゃくちゃ…」
「ほんとだな。髪もボサボサだし鼻水と涙で顔もぐちゃぐちゃだ。外見はお前の数少ない取り柄のひとつだろう。しっかりしろ」
「そういうことじゃなくって…っ!」
ヒナは顔を上げアリサを睨む。
普段はあまり目を見て話をしないアリサがヒナの瞳を見つめ返していた。
「ぇ? ――ちょ、ちょっと!なに、ほんと、やめてよ!?」
「…ふん。ガキの癇癪を最後くらい全部聞いてやろう。向こうに行ってから電話でごねられるのも面倒だ。お前は時差なんて考えないだろうし」
「〜〜〜〜っ!! ――じゃ、じゃあ言ってやるけどねぇっ!!私だってこんなつもりじゃなかった!2700年もなにもなかったのに急に『ついにきた運命の日!』とかいきなりプレイヤーとか言われてもよくわかんないし、モンスターとかダンジョンとか授業で習う歴史の話としか思ってなかったし、レベルだってすごいアスリートの人とか天才博士くんみたいな人だってせいぜい3とかだったのに、急にダンジョンでレベル上げ?みたいになっていつの間にか私だってLv30だし、学校1の美少女ってだけで良かったのに、人生がいきなり無茶苦茶になって…なんかいきなり『日本の希望』とか『執行者の付人』とかよくわかんない特集されるし…なんかもうしんどかったぁっ!!」
「そうだろうな」
「わ、私は普通に高校に入って、普通に過ごしてたのに、急にこんなことになって、毎日毎日毎日毎日仕事仕事仕事仕事っ!!高校卒業して、大学に入って、一人暮らしをして、あの地獄みたいな家から出て、って…やりたいこともいっぱいあったのに!よくわかんないおっさん達に偉そうに文句とか嫌味言われ続けて、セクハラとかパワハラじゃない?ってめっちゃなったし、ダンジョンだって汚いし臭いし暗いし怖いし行きたくなんてなかったぁっ!!『修道士』とか言われても、私はもともと教会がこの世で1番嫌いな場所だったし!! ――それでもここまで頑張ってこれたのはアリサがいたからだったのにーーーっ!!」
「お、お待たせしました。ケーキセッ―」
「はぁ!?今それどころじゃないことくらいわかるでしょ!?どっか行ってよ!!」
「か、かしこまり――」
「いや、置いていけ。それがお前の仕事だろう。癇癪に付き合うのは俺の仕事だ」
「…かしこまりました…」
「なに癇癪って!私ばっかいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいっっつも貧乏くじ引いて、みんなが楽しくお茶してる時も、私は禿げたオッサンにぐちぐちぐちぐち文句言われてたのっ!!」
「俺がいたから頑張ってこれたって話はどうなった」
「――っ!勘違いしないでっ!あんたが好きとかじゃなくて、あんたが、あんたがぁ…っ!!!」
過呼吸になりそうなヒナの背中をさすりながら、アリサはじっとヒナの言葉を待つ。
「ーーあんたが、他の子が淹れたコーヒーを飲まなかったり、教会から私より強い修道士を紹介されても興味ないって断ったりしたから…私って、あんたにとってと、と、特別なのかな?って思ったりして…」
しどろもどろに語尾がすぼみ、真っ白なヒナの肌が赤く染まっていく。
「それで、それが…ちょっとだけ、ちょっとだけ、ね?……うれしかったの」
溢れ出したのはアリサに今まで一度も伝えたことがない想いだった。
「まあ信頼はともかく信用はしていたからな」
この半年で一度も見たことがなかったヒナの表情を見てもアリサの態度は変わらない。良くも悪くも彼は女性から想いを打ち明けられることに慣れてしまっていた。
「…だから、私って、ほら。みんなに人気あるけど、人気なだけで別に私がいなくてもいいよねーってなることばっりだったじゃん?そのくせ、なんかみんな私に期待するし、なんかそれこそ、私の人生そのものが貧乏くじ、みたいな。お兄ちゃんなんかなんもできない癖に、夜まで遊び歩いて、中学校の頃からお酒とかタバコとかしちゃって、なのにママには全然怒られないし、習い事もなんもやらされてないし、私ばっかあれやりなさいこれやりなさいって…。 ――って今こんな話関係なくて!!あぁーーっ!!もうなんかよくわかんないよ!!よくわかんなーーいっ!!!」
店内に再び少女の声が響く。
必死にアリサの瞳を捉えていたヒナの顔がアリサの胸に埋められる。言葉にならない声を出しながらヒナは大声で泣き続けた。
悲痛な泣き声に大人達の心が抉られる。
普通の高校生だったヒナにとって、ある日突然大人の中に放り込まれ、慣れないことばかりをさせられるというのは耐え難いほどの苦痛だった。
ヒナの心の拠り所はチームのメンバーだけで、その中でも特に心の支えになっていたのがアリサだった。
世界的に見ても特別な選ばれし者。
一次覚醒からSランクの戦職を持つ輝かしい将来を約束されたプレイヤー。
そんなアリサにとっての『特別』だったのは他の誰でもないヒナだった。
そのことだけがヒナが頑張れる理由だった。
「雛。一度しか言わないからよく聞け」
アリサが自分の胸にあるヒナの顎を支え優しく自分の方へと向かせる。
「俺がこれからイタリアに行くのは仕事のためだ。別に聖女とやらに心を惹かれたわけではないし、お前らに愛想がつきたわけでもない。向こうで気の許せる関係を作るのも面倒だし、簡単に連れて行けるのであれば日本から1人くらい引っ張って行きたかったところだ」
顎から手を離し、ヒナの赤くなった額に軽くデコピンをする。
「そしてその1人を選ぶとしたらお前だっただろう。だからまあ、お前が電話をかけてきても面倒だとは思うが無視することはない。モンスターを倒すことがプレイヤーの仕事だとすると、大人の仕事はガキの世話だし、男の仕事は女の愚痴聞きだ」
「……………あごくいされて言われることがこれなの私ブチギレてもいいよね…??」
「ふん。もしお前が俺と恋愛をしたいなら日本教会でそこそこのポジションについてイタリア教会と上手い関係でも築くんだな。その頃にお前が大人になってたら考えてやらんこともない」
「ぇ、は?そ、それっ、て」
アリサを見つめていたヒナが視線を逸らしたことで会話が止まる。
横を向いていても耳まで真っ赤になっているヒナの感情は、そこにいる誰が見ても簡単にわかることだった。
「み、みぃとはどうでしょうか!?」
そんな甘酸っぱい空気を断ち切るようにミイが割り込む。机の上に両手を置き、乗り出すようにアリサに迫る。
「(ミ、ミイ!?今そういう雰囲気じゃないから…!)」
慌ててタイガがミイを椅子に引き戻そうとするが、ミイが引き下がる様子はない。
「だ、だって!なんかこのまま放置してたらよくないよ!私だって膝枕とかしたことあるし!」
「…わ、私は何度も添い寝したことあるもん!!てか半年ほぼ同棲してたしっ!!」
「同棲って、2人が教会に住んでただけでしょ!?大体ヒナは16歳なんだから歳の差を考えなよ!」
「トイレ」
「ラノミーは22でしょ!?アリサは19歳なんだから別に歳の差は同じじゃん!!」
「で、でも違うの!16と19はなんかダメな感じするでしょ!?19と22は普通だもん!!」
言い争いを始めた女性陣を横目にアリサが席から立つ。
2人は特に気にする様子もなく言い争いを続けているが、アリサの親友であり、冷静な男だけはこれがアリサなりの離別の仕方だとすぐにわかった。
「気をつけてな」
「トイレに行くだけだ」
「それでも、だよ」
「…ふん、言われるまでもない」
ダンジョンから出た後のいつもの別れと同様に、アリサは立ち去りながら右手だけを軽く挙げる。
違うのはその横にヒナがいないということだけ。
――こうして日本教会第4チームは解散となったが、これはまだ未来の話である。