同じ場所のあなた
車内に戻ってからも私の心臓は、心音が鮮明に聞こえるほど大きく鳴っていた。
なんで……なんで学校を。
なんで先生……阿波野邦和と中村栄子の事を、自分から。
考えても全く分からなかった。
冷や汗が出る。
まさか……私と涼子さんとの会話を……
「ねえ……石丸さん。なんで……学校へ」
「え? だって思い出めぐりですよ。通っていた学校や先生の事は私だって懐かしいです。それを愛する先生にも見てもらいたい。これっておかしな事じゃないですよね」
そう言って私の頬にキスをしてきたが、その後で
「ふふっ、先生大丈夫です? 秋なのにそんなに暑いんですか? 汗が凄いです」
と、からかうような微笑を向けてくる。
はぐらかす気かな……
そのまま石丸さんは何も言わず、車は彼女の案内のまま住宅街の中を進んでいくと、やがて「清明小学校」と書かれた学校の前に着いた。
ここに通ってたんだ……
「ここからで良いです。中には入れませんし」
そう言って石丸さんは目を細めて学校を見る。
「当時、中村栄子と言う先生が居ました。私、その人を本当に信頼していたんです。でも……ある日屋上から落ちちゃった」
私はその話を緊張しながら聞いていた。
その詳細は知っている……
「原因は……私です。中村先生の恋人だった阿波野先生が私に酷い事をしてて……それのショックで」
石丸さんはホッと息をついて続けた。
「酷いんですよ、阿波野先生。誰にもばれない様に、離れたところに別にアパートまで借りて……実際、誰も知らなかったから最後まで助けも求める事ができず……怖かった」
私はその時のことを想像し、彼女の恐怖と苦痛を思い吐き気を感じた。
お母さんの事。そして先生の事……
彼女はどれだけ……
その時。
フッと、石丸さんの言葉にある疑問を感じた。
あれ……?
記憶の中に市原教頭と江口先生の言葉が鮮明に浮かぶ。
そして、さっきの石丸さんの言葉……
それはある結論となる。
でも、私はギリギリの所でそれを口から出さなかった。
石丸さん……さっき言った事本当なの?
だったらあなた……ありえない嘘をついてる。
「阿波野先生が居なかったら今でも中村先生は元気にお過ごしだったのに……」
そう言って表情を硬くする石丸さんに、私は内心の緊張を悟られないように聞いた。
「ねえ、阿波野先生って今……どこに?」
「さあ、あの人の事は知りませんけど、中村先生のご実家なら知ってます。この近くなんですよ。今はお母様がお1人で住まわれてます。今は遊びに行く気にもなれないから、土日の昼間は必ず家に居る、って言ってたのでお伺いしてみようかな……とは思うんですが中々……」
そう言うと石丸さんは私の方を向いて言った。
「帰りましょ、先生。もう思いで巡りはおしまい」
頷きながら、私は車を再び動かした。
私はすでに一つの決心が固まっていた。
石丸さんは明らかに嘘をついている。
ねえ……あなたの言った事が全部本当なら、どうして中村先生はあなたと阿波野先生の……恋人の酷い行為を知ったの?
誰かが中村先生に言う以外ありえないじゃない。
※
翌週の土曜日。
私と涼子さんは一緒に再びG県に向かっていた。
今回は目的地はハッキリしている。
中村栄子先生のご実家。
私から話を聞いた涼子先生は表情を引き締めると、私の手を握って言った。
「今度こそ彼女を追い詰めましょうね。せっかくあの子がボロを出したんだから」
私は頷いた。
でも……なんだろう。この妙な引っかかりは。
石丸さん、気が昂ぶってたのかな?
あんなにベラベラしゃべるのは珍しい……
住所の場所に行くと、閑静な住宅街の中に周囲に溶け込んでいるような2階建ての一軒家があった。
白い壁と庭の気取りが秋の光を優しく反射している。
門前払いされたらどうしよう……
後、留守だったときの事を
話す言葉は考えてきていたが、緊張しながらインターホンを押す。
すると、少しして「はい」と軽やかな声が聞こえてきた。
石丸さんの言うとおりだった。
「あ、あの……私、瀧郷中学校で教師をしているものです。石丸有紀さんの心のケアの事もあり、中村栄子先生の事について伺いたくて……」
こんな内容で聞いてもらえるだろうか……
そう思っていたが、次に聞こえた言葉は予想もしないものだった。
「どうぞ。有紀ちゃんからお二人の事は聞いてます。土日のどちらかで、自分のために来てくれるから、って」
私たちは思わず顔を見合わせた。
何で……
※
無駄の無い上品な家具の配置は、実際以上に広々と感じさせる。
そんなリビングに通された私たちは、紅茶を出していただきゆっくりと飲んだ。
「今回はこんな所まですいません。私、栄子の母の中村恵美と申します。有紀ちゃんに何かあったんですか? 彼女とは久々にお話ししたんですが、ただお二人の事ばかりで……」
「あの……石丸有紀さんは、過去の心の傷が再発してしまい苦しんでいます。あの……阿波野先生との事で。ただ、私たちは詳細を知らないので彼女の助けになりたくても、どこまで立ち入ってよいのか……なので、当時の事をお伺いできればと」
中村さんは、石丸さんから話を聞いているだけに特に警戒する様子も無く、頷いて話し出した。
「あの当時の事は……栄子にも有紀ちゃんにも辛いことだったと。有紀ちゃんは栄子に本当に懐いていました。勉強で聞きたいことがあるといっては、しょっちゅう家に来ては二人で部屋に篭って勉強して。お休みの日も一緒に出かけていたようです」
中村さんはそう言うと、表情を硬くしながら紅茶を飲んだ。
まるで喉元に上がってきた嫌なものを飲み込もうとするかのように。
「それが当時、付き合っていた阿波野さんには気に入らなかったんでしょうね。阿波野さんは途中から、栄子に対して付きまとうように……えっと、ストーカー行為って言うんですよね? をするようになったんです。二人の後をこっそり付回したり、栄子が友達と会っているとき、そのお店にまでこっそりと。でも、栄子が一番恐怖を感じていたのが……」
中村さんはそう言うと、肩をすくめてはき捨てるように言った。
「家の中に忍び込んでたんです。それを見つけたのが有紀ちゃんで……栄子に伝えたらしいです。が、それが最後の引き金となって、栄子は阿波野さんに別れを告げました。それから……阿波野さんの名前で、自分と有紀ちゃんとの事が書かれた封書が送りつけられてきました。その後……栄子は」
そう言うと中村さんはハンカチで目を押さえた。
私は何も言えずに、隣の涼子さんを見た。
しかし、涼子さんはどこかこわばった表情で窓の外を見ていたので表情が分からなかった。
どうしたのかな……体調が悪い?
「すいません、嫌な事を思い出させて。でも、石丸さんは最後まで中村先生のために……」
「はい。有紀ちゃんは自分が辛い目にあってたのに、栄子の事をずっと心配してました。でも良かったです。お二人みたいな方が今は支えてくれている。私もホッとしました。有紀ちゃんの事は娘のように思ってたから」
私は深々と頭を下げた。
石丸さんと中村さんのお母さんへの罪悪感が心の中を支配していた。
石丸さん……
彼女の笑顔が思い出される。
彼女、たません好きなんだ……
本当は無邪気な普通の女の子だったのかも……
「有難うございました。貴重なお話し伺えて本当に助かりました。お忙しい所、すいませんでした。あの、これ……つまらないものですが」
そう言って買ってきていたクッキーの詰め合わせを出すと、中村さんは手を振りながら何回か固辞したものの、最終的には受け取ってくれた。
「有難うございます。こんな美味しそうなものを……あの子の仏前にもお供えしようと思います。あ、そうそう。実はお二人へ……なのかな? 有紀ちゃんから預かり物があるんです。2日前に届いたんですが」
私は目を見開いた。
石丸さんが?
ここに来る事を予測していたのは、以外ではなかった。
彼女のここまでを思うとありうることだ。
でも、預かり物って……
「えっと……ああ、これこれ。この絵葉書を見せてもらえれば分かるから、って電話で言ってたわね」
それはG県の観光名所である、昔ながらの建物が並んでいる特に変わったところの無いハガキだった。
しかし裏面を見た私は、思わず眉を潜めた。
何……これ?
全く意味が分からない。
絵葉書の裏面には短い言葉が書かれているだけだった。
『私はあなたを知ってます。当時と同じ場所に立つあなたを誰よりも』
「あの……これは一体?」
私の問いに中村さんは首をひねっていた。
「私も分からないんです。有紀ちゃんも何も言ってなかったから」
そうなんだ……
後で涼子さんと一緒に考えてみよう。
そういえば、涼子さんずっと黙ってたな……
そう思って隣の涼子さんを見た私は、思わずギョッとした。
彼女は青白い顔をしたまま、絵葉書を見ていたのだ。
身体を震わせながら。
お礼を言って、中村さんのお宅を出た時、石丸さんから電話がかかってきた。
「どうしたの、急に?」
「先生。私、丁度こっちに叔父様と遊びに来てるんです。先生と一緒に来たら懐かしくなっちゃって。もし良かったら落合公園でお会いしませんか」
「え? いや……今は……ちょっと」
「佐村さんもいらっしゃるんですよね? よければ3人で会いませんか。叔父さんは別件があるので大丈夫ですよ」
石丸さんに全部ばれているからには今更小細工も無理か……それに絵葉書の変な言葉の事も聞いてみよう。
「……うん……考えとく」
私はいいけど、涼子さんは絶対に嫌だろう。
「じゃあ14時に落合公園の展望台で」
そう言って電話が切れた。
14時……今からだと1時間ほど余裕がある。
「ねえ、涼子さん。今から石丸さんが会いたいって。でも、嫌だよね。今から断りのラインを……」
「大丈夫ですよ」
涼子さんの言葉に私は驚いた。
「え? ……大丈夫?」
「はい。行きましょう……私も由香里さんとお話ししたい事があるので」




