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私の父は公衆の面前で脱糞して憤死しました。

作者: ムルモーマ

第18回書き出し祭り会場内9位、全体32位だった作品。

 仕事帰りの人達がごった返す時刻の満員電車の中。

 鮨詰めになった人達は、老若男女を問わずに全員が同じ礼服を身につけている。

 白を基調としたその薄着は、春が訪れようとするこの時期としては肌寒さを感じさせる。人の熱気が籠る車両の中ならともかく、外に出たのならば空っ風が容赦なく隙間から生肌を撫でる事だろう。

 がたんごとん、がたんごとん。

 微細な揺れが絶え間なく電車を襲っている。それに対して中の人達は一人を除いて無表情のまま虚空を眺めたり、目を閉じていたりと、どこか余裕のない表情でこの時間が早く過ぎ去る事を祈っていた。

 その一人。

 老いが目立つ乗客が多い中では珍しく、まだ若々しい20代に見える男性。

 夕暮れの薄暗さと繁華街の明るさが同居する外の風景。その窓ガラスに薄く反射する表情は、この車両の中で唯一余裕を持ちながらも、至極真剣な表情をしていた。


*


 23年前。

 私の父は視聴率95%を超えるテレビに映されながら脱糞し、そのまま脳の血管を幾つも千切らせながら死んだ。


 日本には、相撲より太古から続く神聖なる国技があった。

 忍便と呼ばれるそれは、その名の通り、便意をどれだけ耐え忍ぶかという競技である。

 相撲より以前から続いていたと判明しているその競技には、プロは存在しない。為政者からヤクザの親玉まで、陰陽問わずに重大な役割を担っている人材から無作為に抽選された上で、年に一度、便意を耐えるという事で超克の姿勢を見せると共に、豊穣の祈りを八百万の神へと捧げるのだ。

 また選ばれた場合、拒否した時点で基本的人権は全て剥奪される。また、海外に居ようとも問答無用で強制送還される。

 そして、選ばれてからの生活は全てが管理下に置かれる。

 肉体を事細かに精査された上で、如何なる肉体的トレーニングも許される事なく、全ての競技者が等しい便意と尿意を持つように整えられた上で来る3月15日、忍便は行われる。

 忍便は太古より便意と尿意を我慢しなければいけない状況を模して行われてきた。また、選ばれた多様な人達の誰もが可能であるような状況が事前に形作られ、様々な技術が発達した昨今では、それは大衆の娯楽としても広く人気であり、視聴率は毎年最低でも90%を超えている。


 幼い頃ばかりの私の父の記憶は、正に傲慢そのものであった。

 楽しい記憶など何一つとない。家庭においてはバブル期に乗じてのし上がり、その後のバブル崩壊も汚い手を駆使して地位を守り切った事を自慢げに語るばかりの父。

 確かにそのお陰もあって幼少期はとても裕福な暮らしをしていた。しかしその頃を思い出そうとすれば、それ以上にその父に虐げられていた記憶ばかりが表に出てくる。

 父が定めた家庭内のルールを守れなければ、そうでなくとも父の機嫌を軽く損ねるだけでも暴力は日常茶飯事。

 旅行にも数度行った事があったが、どこに行こうが何を見て食べようが、楽しいというような感情は微塵も湧かなかった。唯一気持ちが晴れたのが、帰路の飛行機の中で父が一人寝た時だった。

 そんな父はある日、唐突に帰って来なかった。

 忍便の競技者として選ばれ、帰宅も許されずに国家によって連れ去られたのだ。

 私の家庭に訪れた束の間の平和はとても楽しく、そこで初めて私は平穏というものを知った気がした。父の前ではいつも顔に緊張が走っていた母の顔があそこまで柔和になったのを初めて見た。

 だが……それがすぐに過ぎ去ってしまう事も私達家族は理解していた。

 父は、能力はある男だった。それに比例して傲慢になった男であった。

 だからこそ忍便をやり切った上で、もしかしたら更に傲慢になって帰って来るかもしれない、と日が経つに連れて私達は怯えていった。

 しかし。

 父は人混みの中、まず最初に躓いて誰よりも先に脱糞した。

『あっ、があああああああああああああああっ!!!! みっ、みるなぁっ!! こっ、この俺がっ、この俺がこんなところでえええええええええええあがっ………』

 テレビ越しの絶叫。

 視聴率95%の全ての目が、うつ伏せに倒れて叫ぶ父の、白く薄い礼装の尻の部分が瞬く間に茶色く染まっていく様を見ている。三月にしては一層寒い日で、テレビを介しても立ち上る湯気が見えていた。

 そして実況はそんな倒れたままぴくりとも動かなくなった父の事を簡潔に罵倒してから過ぎ去って行く。

 私達家族は暫くそれを唖然と見た後、堰が切れるように大声で笑い合った。

 父は恥ずかしさの余り脳の血管でも切らしたのだろうという事を理解しつつも。

 また忍便を盛大に失敗した父の親族である私達は名前と住む場所を変える必要があり、豪勢な暮らしも出来なくなるだろうと分かりつつも。

 父がこんな醜態を晒しながら死んでいった事を真面目に悼める程、私達家族は父に精神的苦痛を補える程の何かを与えられた訳ではなかったのだった。


 その次の日の早朝には国家の人達がやってきて、既に荼毘にされた父が帰って来た。

 更にこれから起きるであろう事柄に対して、受け入れるしかない提案を矢継早にされ、当然ながら従うしかなく。

 私達家族は故郷を離れ、名前も変えて小さく生きる事となった。

 食卓に並ぶものはとても質素になり、新しい家も元の2割の敷地もない。知り合いも誰一人としていない環境。

 それでも私達家族は以前より幸せだった。父が亡くなった事による全てよりも、家が心身ともに落ち着ける場所になった事の方がよほど幸福だった。

 けれど……そんな一新された生活を過ごしていく内に、私の中には鬱屈とした怒りが少しずつ、少しずつ蓄積されていった。

 柔和であれど、どこまでも質素な暮らしに対して、既に肥えてしまっていた五感が多少なりとも不満を訴え始めたというのもある。

 しかし、それ以上に。

 あれ程の豪華絢爛を維持していた男が、あんな醜態を晒して実質の自殺をした事に。

 とても慎ましい暮らしをながらも、やはりあの男の居る生活には戻りたくないと思わせる程の傲慢さを誇っていた男が、あんな事で命を含めた全てを失った事に。

 そんな男の血筋を自分も引き継いでいる事に。

 私はどうしようもなく見返したくなったのだ。

 父を完全に上回った事を証明した上で、共同墓地に埋められて一度も弔われた事のない父の墓前に立ち、心の底から笑いたくなったのだ。

 だから。

 私は忍便に選ばれるようになるまで偉くなる事を決めたのだ。


*


 この日本では、どのようにして尿意や便意を我慢するかといった情報が悉く遮断されている。

 どんなに稚拙な事であろうとも、それを公の場所で話せば即座に懲役を課せられる事も、この日本では小学生でも知っている常識である。


 とにかく勉強をするのと同時に、忍便への対策も始めた。

 まずは母が寝静まる深夜に尿意と便意が来るように調整した上で散歩をする事にした。

 自らにとってどの程度の歩幅でどの速度で歩けばどれだけの距離を稼げるのか、その最大効率となる歩き方や精神の持ちようを身体に刻み込んだ。

 段々と慣れてきたら今度はわざと躓いたり壁にぶつかったりして、ハプニングへの耐性も高める事にも尽力する。

 どのように体を起こすべきか。どこの力みを維持したまま体勢を維持すれば漏らさないのか。

 漏らしてしまった日は公園のトイレで夜な夜な洗濯に励んだが、それでも百枚を超えるパンツがひっそりとゴミ捨て場に捨てられ、ジャージは少なくとも十枚は使い物にならなくなった。

 だが便意のコントロールを習熟しようとも、それはあくまで深夜の誰の人の目もない時、という条件が付随していた。もし今、私があの緊張感溢れる状況で忍便を実際に行ったとしたら、私は父の二の舞になってしまう可能性を否定出来なかった。

 だから、高校生になった私はスーパーでバイトを始めた。だが、責任が発生する場所という事もあって中々そんな事をする勇気は湧かないまま日々が過ぎていく。

 そんな夏のある日。学食で食中毒が発生したらしく、同じバイトに励んでいた皆が倒れていく最中、私はその中でも勤務を続ける事が出来、とても感謝された。

 ……私のやってきた事は無駄ではなかった。私の努力は実を結んでいる。

 私はそこから、バイトでも忍便をする度胸を得る事が出来たのだ。

 そして私は最終的に、共通一次でも便意を我慢しながら高得点を取る程の実力を手にする事が出来た。

 明言こそ出来ないものの、私は既に忍便のプロであると胸を張って自負出来たのだ。

 しかし、それで満足する私ではない。

 大学生になって一年、短期留学をする機会があった。

 便意を我慢する為にはどの筋肉をどのように鍛えれば良いのかを学ぶ為に、海外旅行に行った時に参考になるような医学書を買い込んで読み耽る。

 私の父への怒りはいつまで経っても失せる事がなく、また反芻する度に強くなっていた。

 あそこまで醜態を晒して、そして憤死したようなだらしない野郎は、あれから未だ現れていなかった。


*


 努力の甲斐もあって私は三十になる前に巨額の財と、そして忍便に選ばれる程の地位を手に入れ、あれから23年経った今、私はこの忍便に臨んでいる。

 がたんごとん、がたん、ごとん。

 景色の流れる速さが少しずつ緩やかになっていく。

 もう一分も経たない内に電車は止まる。複雑怪奇な駅の構内で行列の並んでいるであろうトイレにまで辿り着くか、それか外に出てどこかのトイレにまで、平静を保ちつつ辿り着かなければいけない。

 私は、あの傲慢な父を超えなければいけない。あれから二十年余り、待ちに待ったこの時「カンチョオオオオオーーーーッッッッ!!」

読者からの評判は良かったんだけど、思ったよりは伸びなかったなー、っていう印象。

続きの構想は少しあるから、ちょっと書くかもしれない。

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