暴威
明け方。
門前で三々五々家路につく諸将の中に、瞬華の姿があった。
梅香台、と称されるこの宴会場。
ここから執務する城までは離れており、町中を経由して帰ることになる。ある程度酒の勧めをあしらって、酔いも抜けきった瞬華は徒歩でゆるやかな坂道を降りていた。
朝靄漂う明け方の都城をひとり歩く彼女の前に、二つほど向こうの辻から一頭の軍馬が姿を現した。
馬の白い鼻息がもうもうと立ち上る。
その上に跨がり馬首を巡らせるのは、武官服らしき服を着崩し、さながら遊牧の民のような格好をした偉丈夫――何か獲物でも追っているような目付きが、その風体と相俟って、異様ともとれる雰囲気を醸しだしている。
往来にはその男と瞬華の二人。
目が合った。
本能的に瞬華が身を翻すと同時に、蹄が地を蹴る音がした。
一直線、馬の速度を緩めないままこちらに突っ込んでくる。
「くそっ……!」
瞬華は礼装を着てきたことを今更ながらに悔やんでいた。
夜を徹しての酒宴のあとである。
その後自分が狩りの対象にされようとはさすがに考えが及ばず、消耗した身体に鞭打ってみるものの、脚全体を覆う服地の足捌きがすこぶる悪い。走ることを保つだけでやっとの上、蹄の音は既に間近に迫っていた。
追い付かれる!
瞬華の脳が危機を叫んだ刹那、背後から丸太のような腕が伸びたかと思うと、瞬華は叫ぶより早く馬上へと攫われていた。
瞬華を脇に抱えたまま、馬の腹を蹴る音がする。
身体を引き上げられ、慣れた手つきでがっしりとその両腕の間に固定される。
「このまま俺の領内まで逃げてやろう」
その言葉に、はっと思い当たる。
この男、羅布麻だ。
遊牧民の出身であり、朮の中に唯一領地を与えられている羅布麻は、口元に笑みを刻みながら馬を急かせる。
「待て、私は将……」
言いかけて舌を噛み、瞬華の瞳にじわりと涙が溢れる。
しかしそれを言ったとして、この羅布麻という男に意味が通じることはないという事実に行き当たる。
この男は宴会に来ていない。
瞬華が将軍に任じられたことも、この羅布麻はおそらく、知る由もない。
首の後ろで、すう、と深く鼻から息を吸う音が聞こえた。
「さすが、都の女。いい香りをしている」
香を焚き染めているわけではないが、この男にはそう感じられるのだろう。
みるみるうちに眼前に都城の正門が現れ、一部低くなっている石垣を器用に超えていく。
視界の端に、髪挿しの房が揺れている。髪挿しを抑えようとする動きを模しつつ、瞬華はそれを瞬時に引き抜いた。
「!」
手綱を持つ手の甲へ、がり、という手ごたえを感じる。
次の瞬間、ゆっくりと馬が止まった。
「馬を停めて欲しければそう言え」
低い、居丈高な声が瞬華の背を聳やかす。
「馬から降ろせ。私は瞬華、朮の将だ。軍の同僚である貴殿に、なぜ私が拐われなければならない」
強く抗議するも、大男――羅布麻はそれを軽く鼻で笑い飛ばす。
「何を言っている? お前のような女が将だと? 俺は道にたたずむお前を攫っただけだ」
「っ……」
都城のどこかで耳にした歌があった。
――羅布麻は人の言葉を解さない――
野犬と同等と揶揄されるこの漢だが、本人は意に介することもない。
「この俺が戯れ言を信じるとでも思ったか」
背後からぐい、と顎を持ち上げられる。
「その不遜な口、これから俺が――」
その時、遠くから別の蹄の音が聞こえてきた。
「おやめください!」
遠くから追ってきたであろう馬上の人物は、羅布麻とは違い、軍から支給されている武官服をきっちりと着こなしている。
「おやめ下さい、羅布麻殿。その方は――瞬華殿は我が軍の将でありますぞ」
「錬暁、貴様まで戯言を言うか! 俺は道で女を拾った。俺の自由にして何が悪い!」
「なりません!」
ぴしゃりと遮る、錬暁と呼ばれた男の声に、羅布麻が口を噤む。
その顔を見て、瞬華は驚いた。
「あなたは」
「これは、瞬華殿」