城内
「お帰りなさいませ、将軍。あの……こちらの方は?」
門前で番をしている衛兵から聞かれ、隻眼の将は渋い顔をしていた。
城の前で馬から降ろされた芸妓は、なぜか将軍の腕にしがみついていたからだ。
「戦利品の芸妓だ。何がいいのかここまでついてきた。しかるべき手続きの後、蒼弦に引き合わせる」
「承知いたしました。お取次ぎいたします」
重厚な扉が開かれ、石敷きの、長い一直線の廊下を歩き、悌夏は芸妓を伴って自分の執務室へ向かっていた。
「これは、悌夏殿」
数人の文官、武官が会釈をしながら通り過ぎるが、誰も彼もが自分と芸妓の交互を見比べながら去っていく。
相変わらず迷惑な眼差しだと辟易しつつ、しかし胸に妙なもやもやしたものを感じながら、悌夏は気になっていたことを口に出した。
「しかし、お前何故、ここまでついてきた」
「……行くところがありません」
「宿代であれば出せるが?」
「一飯のお礼も……ございますし」
「……正気か、お前」
従順すぎる答えに、生理的な不安を覚える。
普段恐れられることの多い悌夏は、その強面をものともしない芸妓に隻眼を見開く。
「お帰りなさいませ、将軍」
自分の執務室前、声を掛けた衛兵に軽く手をやり、そのまま部屋の扉を開けると、芸妓を先に通す。
「そこに椅子がある、座って待っていろ」
自分の執務室に女が入り込む光景を目の当たりにしながら、敢えて部屋の扉を開け放ったまま、わざと背を向けた。
もし、自分を暗殺するならばこの隙に襲ってくるはず――平静を装いながら執務机のほうへ目をやると、竹簡を紐で綴じたものが目に入った。紐の色から察するに、先日来、民の嘆願として出ていた治水関係のものらしい。
「すまないな、すこし仕事を片付けなければ……」
そう言いながら振り返った先、既に芸妓の姿はなかった。
「……消えた?」
扉の外を確認する。
「今、女が出て行かなかったか?」
「いえ、見ておりませんが」
再び彼女のいた場所を見ると、金でできた髪飾りが置いてある。
「どこへ行った?」
そこへ、威厳と親愛の混じった声が、悌夏の耳に届いた。
「戻ったか、悌夏」
それは蒼弦だった。
開いた扉から姿を見せる彼は、悌夏の縁戚であり、朮の丞相をしている男だ。
「蒼弦!」
髪飾りを手に持ったまま、悌夏は焦りつつ、訊く。
「蒼弦、今ここに芸妓が」
「ああ、いたぞ。たった今、わしに会釈して行きおったわ」
その言葉に、悌夏はピタリと動きを止めた。
「な……何?」
「まったく、何年たっても人の良さは変わらんな」
芸妓の代わりに椅子にどかりと腰を下ろした蒼弦は、肘掛に身をもたせ、悌夏の手の髪飾りを抜き取ると、それを片手に眺めながら楽しそうに言った。
「ほう、礼を置いて行ったな。意外に義理堅い」
「探さなくて良いのか」
「構わん。まあ、おいおい判るだろう。あの者は……――」
*
一方、女は別の部屋に現れ出でていた。
「戻りました」
そこは悌夏の執務室より六つばかり奥に設えられた部屋だ。
「瞬華か? 思いのほか早かったではないか」
そうねぎらう、神経質な声──艶のある高めのそれは、朮国の軍師・何首烏のものだ。
その前に現れていたのは、かの芸妓――瞬華と呼ばれたその女は、袖でゆるりと口元を隠して微笑む。
「何首烏様こそ、もう戻られていたのですね」
「早めに発ったからな。……まったく、かの地は遠い。だが、大分捗っているようだ。そう遠くない将来、お前にも我が計を見せることが出来るだろう」
「それは何より。大計、楽しみしております」
芸妓には似つかわしくない、女にしては低く冷悧な声音に変わっていく。
「そう、ひとつお礼を」
「うん?」
「隻眼の馬、ありがとうございました」
その言葉に、軍師がふっ、と頬を弛める。
「なに、それくらい造作も無い。今日はもう下がり、疲れを癒すがいい」
「は。御用の向きは、なんなりと」
「ああ。ご苦労だった」
衝立の向こうへ消えていく何首烏を見届けて――瞬華は、そっと天を仰いだ。