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「二週間後に婚約破棄される」と予言された令嬢の物語

作者: 藤田桜


 今日は春の第一日。

 託宣を受け取らせるために神殿に送っていた侍女が帰ってくる日。

 新しい季節が始まると共に、人々は神々からの予言や祝福を受け取り、生活の指針を立てるのだ。


「ルーシーお嬢様、ただいま帰って参りました、メアリにございます。至急お耳にお入れしたいことが」


 小さい頃から聞きなれた使用人の声に、私の胸は弾む。


「メアリ、長旅ご苦労様。早速だけれど、結果はどうだったか聞かせてちょうだいな」


 しかし、扉を開けた私を待っていたのは、血の気が引いて、幽鬼のように青ざめた顔だった。


「どうしたの!? メアリ、一体何が……」


「お嬢様、決してこれを聞かれても気落ちなさらないでくださいませ。お嬢様は――」


 ――二週間後、婚約者であるマイク様に、婚約を破棄されてしまうとのことです。


 私はその言葉を聞いて、膝から崩れ落ちた。

 神々の言葉は覆すことができない。

 必ず何らかの形によって成就される。


「そんな……ああ、どうか、嘘と言ってちょうだい……そんなこと」


 マイク様と私の婚約は、家の事情による強制的なものだった。

 その時の私はまだ子供で、マイク様は何にも悪くないのに彼をなじり「あなたさえいなければ、こんな望まない結婚をしなくて済んだのに」と言ってしまったのだ。

 それでも彼は怒ることなく「すまない」と頭を下げるだけで、誰かに告げ口することもなかった。

 以降、マイク様は決して私に触れることはなく、それでも婚約者としての義務を果たそうと花を贈ってくださったり、外出の度に付き添ってくださったりした。


 いつしか私は、そんな心優しい彼に恋をしていた。

 けれど散々なことを言ってしまった手前、今更好きだなんて到底言えなかった。

 その結果、私に下された罰がこれだ。

 情けなくて、涙がほろほろとこぼれ落ちる。


「お嬢様、どうか、後悔だけはなさらないように。どんな運命が待ち受けていてもメアリはお嬢様の味方です。ですから、決して捨て鉢にだけはならないでくださいませ」


 その言葉に、ようやく泣き止んだ私は息を整えてから答えた。


「メアリ、ありがとう。そうね。あなたの言う通りだわ。私ね、本当は、マイク様のことが好きなの。だから、最終的に婚約破棄されることになっても、マイク様と一緒にいられる時間を投げ出さないわ。せめて、彼にひどいことを言ってしまった償いだけでもしたいの。だからメアリ、少しだけ、私に力を貸してしてくれないかしら?」


「――ええ、もちろんでございます」


   *   *   *


 私が始めにしたことは彼への謝罪。

 お茶をしましょうと誘って、挨拶を済ませてからこう切り出した。


「マイク様、あなたに謝りたいことがございますの」


「はて、何のことだい?」


 高い背丈に、柔らかな鳶色の髪の毛、太陽を溶かしたような瞳……これが私の婚約者だ。

 低く落ち着いた声で尋ねられれば、胸が締め付けられるような感じを覚える。

 私は深呼吸をして、口を開いた。


「はじめてお会いした時、私はあなたに沢山の言ってはいけないことを言ってしまいました。ですが、あんなものは道理も分からない愚かな娘の言いがかりです。あなたは、そんな私にさえ忍耐と優しさをもって接してくださいました。それなのに、私は今日まで礼を失したままだったのです。ですから、私はあなたにお詫びを申し上げなければなりません。――申し訳ございませんでした」


 下げた頭を上げた時、彼の笑顔は消えており、悲しげな表情だけが残っていた。


「そんなこと今更言ったって、もう遅いじゃないか」


 この時、私の後悔の念は再び激しく燃え上がった。

 そうだ、何でもない振りをしていらっしゃってはいたけれど、マイク様だって傷つかないわけじゃない。

 そもそも望まない結婚だったのは彼も同じではないか。


「許してほしいとは申し上げません。ですが、これだけは申し上げさせてください。私は愚かで間違っていました。あなたはとても素敵な方です。きっと、あなたと結ばれるべき方は、誰よりも幸せな者となるでしょう」


 マイク様は魅力に溢れる殿方だから、きっと私との婚約を破棄しても、引く手は数多あるだろう。

 言葉をひとつ、またひとつ喉から絞り出す度に、どうしてか胸は痛くなる。


「ルーシー、君はいったい何を――」


 今はまだ、マイク様は私たちが破局することをご存知ではない。

 だから、少しの間だけだけど、彼の婚約者でいられるうちに私は彼を諦めるための思い出を作ってみせる。

 勝手な話ではあるけれど、私はもうこれ以上ないほどの失態を犯したのだ。

 ここで退いてしまえばそれまでになる。


「ねえ、マイク様。今日はせめてものお詫びに、お茶菓子を作ってみましたの。こんなもの足しにならないかもしれませんが、どうか、召し上がってはいただけませんか?」


 この屋敷の中でいちばん上等なドレスで身を飾って、淡い花の香りの香水を纏って。

 そうしてまで勇気を奮った私が差し出したのはマドレーヌ。

 初心者にも作りやすいとメアリに勧めてもらって作ったのだけれど、それでもやっぱりお手本に作ってもらったものよりもかなり味が劣る。

 彼は優しいひとだから、うち捨てるなんてことはないだろうけど、いっそう不快にさせてしまわないかと気が気でなかった。


「……いかがでしょうか」


「とても、おいしいよ」


 ああ、その時の彼の微笑みと言ったら!

 きっとそれがお世辞であったとしても、私は彼の笑顔を忘れることができないだろう。


「よかったです。初めて作ったものなので、そう仰っていただけて嬉しいですわ」


 それからも、私は彼に手紙を送ったり、ハンカチに刺繡をしてプレゼントしてみたりした。

 彼はその度に喜んでくれて、私はかつて自分がしてしまった無礼も忘れて舞い上がった。


 運命の二週間後は、少しづつ迫っていた。


   *   *   *


「ルーシー、君との婚約を破棄させてほしい」


 とうとうこの時がやってきた。

 今更じたばたするつもりはない。


「ええ、謹んでその決定をお受けします」


 ひどいことをしたのは私の方なのだ。

 今更イヤだと言って彼を困らせてしまうわけにはいかない。

 ――いかないのに。


「ごめんなさい、取り乱してしまって……」


 こぼれるのは涙。

 ああダメだ、マイク様だって困った顔をしていらっしゃる。

 けれど、泣き止まなきゃと思うほどに自分で自分を抑えられなくなる。


「……僕のせいで、すまない」


 そう言ってマイク様が差し出したのはいつか私が差し上げたハンカチ。

 今も持っていてくださったのか、と思うと余計に頬が濡れてしまう。


「ごめんなさい、ごめんなさい……悪いのは私です。あんなにひどい言葉を投げつけて、それで愛想を尽かされないわけがないんです。今まで、優しくしてくださってありがとうございました」


 だが、返ってきた言葉は意外なものだった。


「君は、何を言っているんだい?」


「え?」


「……何か誤解があるようだね」


 彼が説明してくれた事情は――隣国との戦争に指揮官として駆り出されることになった。生きて帰れるかどうか分からない。だから、一度この婚約を破棄しよう。もし僕が生きて帰れなければ、もしくは僕が出征している間に誰か素敵な人を見つければその人を選んでくれて構わない――というものだった。


「君にはてっきり嫌われているものだと思っていたから……。だから、戦場に行くことが決まってから君の謝罪を聞いた時は恨んだよ。君の父上への手続きも済ませてしまったというのに。――どうして今になって希望を抱かせるようなことを言うのか、と」


「私は……あんなひどいことを言っておいて、今更あなたを好きと言うなんておこがましいと思って、ずっと言えなくて」


「今は気にしてはいないよ。僕はあの時、君のような可憐な人と婚約できることに舞い上がっていたけれど、君が戸惑っていたことに気が付けなくて、無遠慮に触れてしまった。……怖かっただろう?」


「ええ、少し。でも、だからといって無礼を働く理由にはなりませんわ」


「そう思うなら、ひとつお願いがある」


「構いませんわ。どんな裁きでもお受けいたしましょう」


 ――僕が帰ってきたら、また僕と婚約してくれないか。


 その一言に、私は目を見開き、そして笑顔で頷いた。

 どうしてか、嬉しいのに涙がまた溢れてくる。


「ええ、喜んで」


   *   *   *


 あれから数年後、マイク様はいくつか傷も負われたけれど命を失うことなくお帰りになり、結婚できる年齢になった私たちは式を挙げることとなった。


 私の着付けを任されたメアリは、感慨深いと言った様子で口を開いた。


「まったく、人騒がせな神様もいたものです」


「ね。一時はどうなることかと思ったわ」


「――さて、出来上がりました。向こうでマイク様がお待ちですよ」


 マイク様は純白の礼服を纏い、鳶色の髪を後ろに撫でつけて佇んでいた。

 私は彼の前で裾を広げてみせる。


「どうでしょうか? メアリがやってくれたんです」


「ああ、とても似合っている。綺麗だ」


 目を細める彼の優し気な表情が愛おしい。

 この人と結ばれることができて、本当に良かった、

 これからきっと沢山の困難があるだろうけれど、彼となら全て乗り越えられそうな気がした。


 初夏の鮮やかな日差しが会場を照らす。

 私は彼の手をとった。

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