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急展開にエルトゥールはされるがまま。
恋愛小説で色々なキスシーンを読んだはずなのに、どう動けばよいのか分からず、羞恥と緊張で身体活動は停止。
エルトゥールはマクベスの背中にしがみつくように、寝巻きのシャツを掴んだ。
(こんなこと……。どこで覚えたのかしら……)
読書で得た知識はあっても、まるで役に立たない。キスがこんなにも淫らだったなんて知らなかったと、エルトゥールは必死にマクベスの真似をした。
大興奮、という様子の夫に対し、エルトゥールは今更こう思い至る。
エルトゥールは女性の体のあちこち、特に胸やおしりが、男性の意志に関係なく興奮を与えることも、母親や家庭教師からそれとなく教わっているので知っていた。
マクベスの困り笑い、小さな呻き声、青ざめた様子は自分に対する申し訳なさだろう。
鼻の下を伸ばしながら、相手に不快感を与えるなんてまるで考えず、男の欲望のままに密着しようとしてきたり、近寄ってくる者は多いのに、マクベスは蜘蛛から助けることを優先して安心するように声を掛けてくれた。
感謝を伝えなければ。
喋れないので、1度キスから逃れるように顔を動かし、体を離して少し俯く。
「マクベス様。あの、先程は急に押し倒したりなどせずに……。蜘蛛から助けてくれてありがとうございました」
顔を上げると、マクベスは切なそうな、名残惜しそうな表情をしていた。
(マクベス様。キスしたいのね……)
私もだと、エルトゥールは背伸びをしてキスをしたい衝動に駆られたが、話をしたいと思って耐えた。
「あのように助けを求められている状態で押し倒すような男なんていませんよ」
エルトゥールはクスリと微笑んだマクベスの笑顔に胸をキュンとさせた。
小説の中で描かれているのは美男子ばかりだけど、素朴で優しい雰囲気を醸し出すキャラクターも出してくれて良いのに、とマクベスを見つめる。
「まさか。います。人目も憚らずにイヤらしい目で見てきたり、体を押し付けてきたり。こう、ねっとりネバァってしている目が気持ち悪過ぎて、鳥肌が立つ時があります」
エルトゥールはマクベスにそっと抱きついた。
「でもマクベス様になら触られても気持ち悪くないです……。触られて良いです。サッと助けてくれて、格好良かったです」
「えっ?」
「どうかしました?」
肩に手を置かれて体を引き離されたので、エルトゥールは不安げな表情でマクベスを見据えた。
「いや、あの、そのようなことを初めて言われたので嬉しくて……」
マクベスは視線を彷徨わせて口元を軽く握った拳で隠している。
「初めて?」
「あの。触って良いのなら、その……」
マクベスの視線がチラリと自分の胸を見たので、エルトゥールは恥じらいながらも、どうぞというように少し胸を張って胸を突き出した。
体を近づけて、マクベスの体に軽く押し付ける。
恥ずかしいので顔は横に向けて、絨毯を見つめた。邪魔にならないようにと両手はマクベスの太腿に添える。
恥ずかしいし緊張しているというのに、待てども待てども触られない。しかし、相手も同じかもしれないとジッと耐える。
「脱ぎますか?」
エルトゥールが顔を上げるのと、マクベスの両手が胸を片方づつ、それぞれ掴もうとしたのはほぼ同時だった。
「あの……」
「……」
マクベスは目が合ったことを、拒否ではないか? と考えてしまって、エルトゥールから離れた。
エルトゥールを上から見つめるマクベスの瞳は、真夏の日差しのようなジリジリとした熱を帯びている。
苦しそうな表情で、何か言いたげ。そう思ってエルトゥールはマクベスの言葉を待った。しかし、沈黙が続く。
「あの、今夜まで、触りたくないほど好みでないようだと思っていました。あの、聞かれてしまったように、その、タイプでなくてそそられないのだなあっと……」
「いやあの、俺なんかに恋人なんかがいたことはありません。それなのにこのような美しくて可憐で素敵な……」
「まあ、嬉しいのでもっと褒めて下さい」
褒めて、と要求されたが、マクベスの沸騰した脳みそではそれは難題。
(マクベス様、顔が真っ赤だわ。恥ずかしいのね)
2人はしばし無言で見つめ合った。
「ふふっ。落ち着くと恥ずかしくて仕方ないですね。あの、親しくなりたいので愛称のエルルと呼んで下さい。夫婦ですもの」
エルトゥールに、にこやかに笑いかけられて、マクベスは横から殴られたような衝撃を食らった。
(夫婦ですもの……)
(キスしろ! キス!)
(可愛い……)
(キスしたい! キス、キス!)
(おい、彼女を落ち着かせてはいけない!)
(エルル! エルル! エルル!)
(親しくなりたいだってヒャッホウ!)
エルトゥールの顔が嫌そうに歪む。
「ニヤける事自体は嬉しいですが、今のゆっくりした笑い方は苦手です。先程まで、色っぽくて格好良かったのに台無しですよ」
エルトゥールは体を震わせて、クスクス、クスクスと楽しそうに笑い出した。
淑やかで品も良いが、子供の笑い声のような無邪気な響き。
「俺が格好良い?」
「先程まではですよ。ふふっ。素敵なマクベス様は鼻の下が伸びて消えてしまいました。今のお顔はあどけなくて可愛い感じがしますね」
微笑むと、エルトゥールは手で顔を全て覆った。
「もう恥ずかしいです。そのようにジッと見ないで下さい」
「……す」
「なんでしょうか? 聞こえませんでし……」
全部言い終わる前に、マクベスはエルトゥールの体を抱き起こした。枕を掴み、彼女の上半身が隠れるようにして渡す。
エルトゥールは不思議そうに首を傾げた。彼女の笑顔が消える。マクベスはエルトゥールの両手をそっと取り両手で包んだ。
「好きです。今みたいに、いつも笑っていて欲しいです」
そうっと抱き締められたエルトゥールは、切なく悲しげな響きの声に、トキメキよりも戸惑いを強く感じた。
「欲しいものはありますか? 新しい生活で不自由していませんか? 住み慣れた場所から離れ、その日会った男と結婚させられ、そういう1番不安な時に自分でいっぱいいっぱいで、何もせずに、すみませんでした……」
ああ、とエルトゥールは瞳を閉じた。
「色々思いましたが、今の言葉で全部忘れてしまいました。明日も、明後日も、今のお気持ちをいただけたら……。いえ、乗馬が得意なようですので乗せていただけます? それか並んで散策しましょう」
「はい。これからはずっと大切にします。エルル……ありがとう……」
マクベスがエルトゥールを抱きしめる力は増した。エルトゥールは彼の背中に手を回して、胸板に横向きにくっつく頬をスリッと動かし「嬉しいです」と口にした。
心地良くて、胸がいっぱい。
(体の内側がポカポカ温かい……。何だか幸せ……)
もしかしたら、これが恋という気持ちかもしれない、とエルトゥールはマクベスの体に腕を回し、ギュッと抱きしめた。
「好き……。好きです」
これによりマクベスの理性は決壊。彼は一晩中愛を囁き、妻を眠らせなかった。
☆★
このお話にお付き合いいただきありがとうございました。作者はすぐ調子に乗るので、短編にて「旦那目線の話がみたい」という感想をいただいたので、両者のことが分かる中編を書きました。
(大元は18禁→全年齢短編にアレンジ→今回のバージョンです)
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