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マクベスは右腕を妻の肩に回し、反対の手で部屋の鍵をかける。その手はその後腰に回した。
「エルトゥール様。この半年、影からコソコソと盗み見していました。庭木を切っていたり、馬に乗られたりと意外に活発で、笑顔が絶えなくて、美しいだけではないと、どんどん惹かれて……。想いが募る程顔を見られず、喋れず……。自信がなくて……」
マクベスはそうっとエルトゥールの頬に唇をつけた。
「情けない男から成長します。貴女をもう2度と泣かせないように励みます」
エルトゥールの耳元で囁くと、マクベスは彼女の左頬にもキスをした。
「ああ、エルトゥール様、初めてお会いした時からこの時を夢見ていました」
それから妻を抱きしめながらベッドへ近づき、彼女をベッドへ座らせた。
ローテーブルへ近寄り、花束を両手で抱える。
マクベスが用意した花は白とピンクのカンパニュラ。
謝罪と感謝、そして誠実に向き合いたいという祈りと願いを込めて選んだ花。
「エルトゥール様……?」
花束を抱えてエルトゥールに向き合ったはずのマクベスの前には、誰も居なかった。
代わりに、布団が膨らんでいる。
「あか、あかり、明かりを消して欲しいです! キ、キ、キスをするのでしたら……」
キスの前に花束を渡したい。マクベスは一先ず緊張しつつも、奥歯を噛んで己を奮い立たせ、布団をめくった。
緊張でコントロールがきかないのか、思ったよりも乱暴な手つきになってしまう。
バサリと剥がされた布団は、うずくまって丸まるエルトゥールの寝巻きの裾をめくった。
再臨、頭隠して尻隠さず。
フリルたっぷりのドロワーズとおみ足だけではなく、背中も丸見え。
(ぶほっ。頭側に布団をめくった自分を褒めたい)
マクベスの冷静さは大ダメージを受けた。理性ゲージがギュゥゥゥンと縮み、本能ゲージがグワアアアンと上昇。
エルトゥールはスースーする足と背中に気がつき、ガバッと体を起こした。
その勢いで、エルトゥールのたわわな2つの胸がポヨンポヨンと揺れる。マクベスの視線は釘付けになった。
寝巻きの上からでも分かるあの豊かな質量に、これから触れると想像したマクベスの理性ゲージはもはや一桁台。
「す、すみません! 花を渡そうとしたら隠れてしまったのでつい……。明かりを消します……」
マクベスはエルトゥールをベッドに組み敷いてしまいたい衝動をなんとか堪え、慌てて花束をエルトゥールの膝の上に置き、背を向けた。
オイルランプを消しながら、深呼吸をして目を瞑り、今夜投げ捨てた蜘蛛を思い浮かべる。
あの気持ちの悪い蜘蛛がエルトゥールだと想像して、理性を保つ。
(エルトゥール様が蜘蛛って、うえっ。気持ち悪いプレイ。絶対にしたくない……)
緊急事態を回避したマクベスは、脳内緊急会議を始めた。
(このままでは彼女を怯えさせてしまう! 何か対処法はあるか?)
(一旦逃げよう!)
(賛成!)
(おい、それでもし戻ってくる勇気が出なかったらどうする! 任務失敗だぞ!)
(そうだそうだ! 初夜のやり直し、任務達成しないなんて許されないぞ!)
(いや待て、やり直しのやり直しを出来る方法を考えよう。マイエンジェルハニーエルトゥールちゃんなら誠実に話せば大丈夫だろう!)
(やり直しのやり直しなんて無理だろう!)
(やり直しのやり直しは却下。で、真っ暗は嫌だな。エルトゥールを隅から隅まで見たい)
(その通り。賛成)
(((賛成!)))
マクベスはオイルランプの明かりを全ては消さず、ほんの少し残した。
それから、花瓶を持ってきます、という言い訳をしてエルトゥールの反応を確認せずに部屋から脱出。花瓶の用意と冷静になるために走った。
一方、残されたエルトゥールは膝の上に置かれた花束を見つめた。
「カンパニュラ……。後悔していて、誠実な愛を伝えたいってことよね?」
きゃああああ、と心の中で叫び、もじもじしながらエルトゥールはベッドから降りた。
「愛? 素敵だわ! 素敵! 今の私、まるで小説の中のヒロインみたい! マクベス様が戻ってきたら、想いのこもった素敵な花をありがとうございます、ね」
んー? とエルトゥールは首を捻った。
(違うわね、もっと可愛らしい声でないと)
「ありがとうございます♡」
(ぶりっ子過ぎて気持ち悪いわ)
「ありがとう……ございます……」
(これだと陰気臭いかしら。嬉しさが伝わらなそう。はっ。マクベス様が帰ってきたら後ろから抱きついて、ありがとうございますよ。この間読んだ本の挿絵、あのシーンを手本にするのよ!)
エルトゥールは花束を抱えながら、寝室内をウロチョロし、よしっと意気込んで出入り口の脇に立った。
仄暗いドクドクと脈打つ心臓。手に滲む汗。緊張している時というのは、時間が過ぎるのが遅いものだ。
「マクベス様っておっちょこちょいね。消しそびれだわ」
エルトゥールはオイルランプが消灯していないことに気がつき、明かりを消した。
「思ったよりも真っ暗。この部屋、私の部屋よりもカーテンの遮光性が高いわ。何かに躓いて花瓶を落としたら大変」
気を利かせて、今度は消灯前の明るさまで戻し、もう少々明るくしておこうと調整。
結果的に、全開の明るさから比べて、丁度半分程度、下を向いて見える足の色がぼんやりと判断出来るくらいとなった。
結果的に、エルトゥールの希望よりもマクベスの要望に近い明るさである。
再びエルトゥールが出入口脇へ移動してから数分後、マクベスは廊下を走り回って冷静になったは良いが花瓶探しが面倒になり、見つけられなかったことにしようと決めて、己の寝室へと戻った。
扉を押し開き、部屋に足を踏み入れる。
まず部屋の明るさに驚き、次にベッドにいた妻が消えたことにも驚き、その次に落胆した。
(えっ……。いない……)
その落胆は長くは続かなかった。
「マクベス様。想いのこもった素敵な花をありがとうございます」
エルトゥールはマクベスに攻撃を仕掛けた。
後ろからの抱きつき攻撃。効果は覿面で、マクベスの心臓に会心の一撃を食らわせた。
エルトゥールの持つ天然装備、豊満おっぱいがムニュムニュと追撃を繰り返す。
マクベスは妻の攻撃で憤死寸前になるも「背中にいるのは今夜見た蜘蛛」という妄想で生還を果たした。
しかし、もはや理性は遥か彼方である。
「エル……エルトゥール様……」
マクベスはグルリと回転し、エルトゥールと向かい合った。名前を呼ばれたので、エルトゥールはマクベスから少し離れた。
「もう……無理……」
「無理?」
マクベスの正面に移動し、エルトゥールの顔を覗き込む。彼は指で鼻を摘んでいた。
「マクベス様?」
「ちょっともう無理! 無理無理! エルトゥール様、貴女の全身は凶器です! 押しつけたり、見せつけたり、無理です!」
そう叫ぶと、マクベスは空いている片腕でエルトゥールを抱きしめた。エルトゥールの左肩にマクベスの顎が乗る。
「恋人なんていません。毎晩貴女の部屋の前で固まっていました。エルトゥール様……。すみません、これ以上は心臓が持ちません」
「まあ……」
自分の容姿が良いことは自他共に認める事実。なので、マクベスの主張をすんなり聞き入れることが出来た。
「それなら……」
「でも羞恥心くらい跳ね除けます。エルトゥール様……」
マクベスの体がパッとエルトゥールから離れる。次の瞬間、マクベスはエルトゥールの唇を塞いだ。
エルトゥールは目を瞑り、ずっとこうされたかった、とマクベスの首に腕を回した。
パサリ、と花束が床に落ちた。その花束をマクベスが拾い上げる。鼻を摘んでいたはずのマクベスの手は、いつの間にかエルトゥールの頬に当てられている。いや、掴んでいる、という方が正しいかもしれない。
(今夜、ついにマクベス様と結ばれるのね……。枕を投げて良かった……)とエルトゥールは心の中で微笑んだ。
しかし、と気がつく。
「明かり……」
「えっ? つけて良いのです? 全身くまなく見たいので、その方が嬉しい……」
マクベスはエルトゥールから離れ、スキップ混じりでオイルランプに近寄った。部屋が一層明るくなる。振り返ったマクベスが、襟のボタンを外し始めた。
エルトゥールは現れる素肌に、見入ってしまった。そうしているうちに2人の距離は縮まり、エルトゥールが気がついたときには、彼女はベッドの上で組み敷かれていた。
「エルトゥール様……足に抱きつかれた時から、我慢出来なかった……」
(あの青ざめって、我慢だったの?)
エルトゥールは、そう頭の中に疑問符を浮かべた。疑問を口にする前に、触れるだけというような優しいキスをされた。しかしそれは、あっという間に熱烈なキスへと変化。
「マク……マクベスさ……」
「俺の恋人は君だけだ」
本で読んだような、ついばむようなキスから始まるのではなく、貪るような激しいキスの嵐。
マクベスは、よく熟れたさくらんぼのようで美味しそうと常々考えていた瑞々しい唇に、衝動のままキスをした。
そうすれば食べられるというように。