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妻を泣かせてしまったマクベスの行為の意味は、噛んだ上に自身の発した台詞に恥じらう妻に対し、ニヤニヤ笑いを抑えようと震えるという、いわゆる悶絶。
今現在、エルトゥールの姿がまるでミノムシみたいなので、それに対して込み上げてくる笑いにも堪えいる。
エルトゥールの行動は、彼女の容姿+マクベスアイフィルターを通すと「めちゃくちゃ可愛い」であり、夫は妻にズッキュンと胸を射抜かれ、デレデレ。
なので、マクベスにはエルトゥールが惨めで泣いているなんて、そんな想像はまるで出来ない。
(これ……。私は何をしているのかしら……)
(可愛い、可愛い、可愛い! 可愛過ぎる! 寝る! 一緒に寝る! いや抱く! 抱くのか? こんなに可愛いと無理じゃないか? 既に熱くてめまいがするし、鼻血出そう……)
エルトゥールはミノムシ。
マクベスは石化中。
(何か言ってくれないと出られないわ。拒否なら黙って去るのもあり得るけど、そういう気配もないし、この状態……いつまで続くの……)
(初夜から今夜まで、結果的に侮辱してしまっていたというのに、なぜガイコツの俺に好意的なのかサッパリ謎だ。誰か何かフォローしてくれていたのか? 後でその誰かに恩を着せられるのか?)
マクベスは深呼吸をして、ポケットからメモ用紙を出した。
何度も練習した、謝罪と感謝の台詞が記されているメモである。
伝えるべき相手がカーテンで隠れているので、メモを見ながら伝えることにした。
「エルトゥール様。大切なお話があってまいりました。初夜は大変失礼しました。女性経験が無い上に、身に余る女性との結婚、おまけに貴女の可憐さもあって、激しく緊張してしまい、夫の役目から逃げてしまいました」
マクベスはゆっくりと呼吸しながら、メモ紙の文字を目で追った。
「その後も己の情けなさや羞恥心に負けて、顔を合わせられず……。友人に相談したところ、妻だと認めないという侮辱行為ではないかと指摘され、反省しました。大変すみません」
カーテンでぐるぐる巻きだったエルトゥールは、夫の予想外の発言に、体にカーテンを巻くのを止めた。
ミノムシでなくなったが、カーテンで体を隠しつつ、そろそろと顔だけを出す。
エルトゥールはパチパチと瞬きを繰り返した。ジッとマクベスを見据える。
エメラルドの瞳がマクベスを捉えた瞬間、彼はメモ紙をスボンのポケットに突っ込んだ。
「本当にすみませんでした。信じられないでしょうが、何もしなかったのは、侮辱ではありません。緊張と照れです。しかし、何も知らないエルトゥール様からすれば、初夜に無視して、その後も夜を拒否し続けるという妻への侮辱、冒涜行為です。それなのに貴女様は夫の立場を考え、浮気もせず、悪い噂も流さずにいてくれています。ありがとうございます」
マクベスはエルトゥールが無表情で瞬きもせずにジイッと自分を見つめているので、暗記して散々練習した言葉をド忘れしてしまった。
(なんだっけ? 続き……。あれだ、花だ。花束を渡して褒め称える。羞恥はゴミだと、心のままに褒めちぎる。それで、何か会話する。彼女の趣味や思い出話を聞いたり、欲しいものがあるか……。あっ、花束……。部屋に忘れた……)
じー。
じー。
エルトゥールの魅惑的な視線で、花束を取りに行くために、何か言わなければ、と焦燥に駆られていたマクベスの頭の中は、ホワイトアウト。
エルトゥールがカーテンから上半身を出す。
「侮辱とは考えていませんでした。しかし、言われてみればそうですね。浮気についてもマクベス様の立場を考えたりなんてしておらず、特に気にいる方がいなかっただけです。すみません。あの、その、侮辱に対する罰として、私と親しくする努力をしていただけまちゅか?」
最後の最後で噛んだ! とエルトゥールはまたカーテンにくるまった。ミノムシ降臨。
マクベスは吹き出しそうになったが耐えた。笑って良い場面ではない。
これほど妻が動転していて、恥ずかしがっていて、自分に好意的であると、なんだか妙に冷静になるな、とマクベスは肩を揺らして微笑んだ。
(今夜は初夜のやり直しだ! 男になれマクベス!)と自分自身を鼓舞し、心の中で小躍りまで始める。
「エルトゥール様。蜘蛛の子がいると想像して眠れないようですので、今夜は私の部屋で一緒に過ごしましょう。いえ、過ごして欲しいです」
マクベスはエルトゥールに近寄り、カーテンに手をかけた。
「先程は……お断りしたのに……。罰など嘘です。そのような心のない義務的な交流など、虚しいだけでしょうから……」
照れているものだと思っていたのに、エルトゥールは目にいっぱいに涙を溜めて、悲痛という様子。マクベスは非常に戸惑った。
エルトゥールは淡々としていて冷静な声のマクベスに対し「義務的」「ますます呆れられた」と打ちのめされ、期待の高揚を一気に冷却し、後ろ向き悲劇のヒロインモードに突入していた。
物事を素直に受け取れないメンドくさい女モードともいう。
「あの、断ってなど……。義務だなんて……」
ズボンの中のハンカチは、蜘蛛を触ったもの。嫌いな蜘蛛を掴むのに使用したハンカチで涙を拭くわけにはいかない。
マクベスは「ハンカチがなくてすみません」と謝罪してから、袖でエルトゥールの涙を拭った。
「先程嫌だと首を横に振っていたではありませんか……」
「え? いや、あの、その首振りは……。エルトゥール様があまりにも可愛らしかったので……」
可愛い=拒否は成立しない。
エルトゥールにはマクベスの言葉の意味を理解出来ない。
しょんぼりと俯いて、ポロポロ涙を流し続ける。
マクベスはエルトゥールの手を取り、背を向けて歩き出した。
(花だ。花と愛の言葉。負けそうになっても何度も己に言い聞かせろ。男の羞恥は基本的にゴミである。励めマクベス!)
可愛いと褒められ、手を繋がれたエルトゥールは、後ろ向き悲劇のヒロインモードから前向き溺愛されたいヒロインモードへ移行を開始した。
(まあ、どうしましょう。ニヤニヤが止まらないわ。私達、このまま初夜のやり直しをするのよね? キスされるのよね? 格好良く蜘蛛から助けてくれて、誠実に謝ってくれて……。大きな背中……)
マクベスは寝室に入ると同時に振り返り、エルトゥールを抱き寄せた。