4th encounter
「…スタンガンって意外と高いんだな。まぁ、防犯ブザーも買えたし鈴音ちゃんのためだと思えば少しは財布の痛みも消えてくれるだろうな。」
最近よく使うようになったカードをしまいこんでから適当に町を散策していた。
スタンガンなど産まれてから一度も興味を持ったこともなかったので怜次に聞くと事前に調べていてくれたらしくすぐに教えてくれた。
買い物が終わってもお昼前なので早いうちに昼食をとろうと思って眼に留まったオープンカフェに入ってサンドイッチ片手に説明書を斜め読みしていた。
ふ〜ん。
スタンガンってやっぱりバッテリー式なんだ。
けど、三時間で二十回分って多いのか?
そんなことを考えながら防犯ブザーの箱を開けて電池を入れる。
少し値段が張ったこの防犯ブザーはGPSがついているらしくボタンを押すと音と一緒に登録した先に連絡を入れるらしいのでそれが決め手で買った。
デザインは白い子犬でストラップとしてつけられるので違和感がない。
前の右足を押すと作動するらしい。
俺と怜次の携帯番号と自宅の番号を登録しておいたからすぐに気付くことが出来ると思う。
あらかたの説明方法が分かったところでコーヒーを飲んでから全て片付けた。
オープンカフェを出てから街をぶらぶらしながらネットカフェが見えたので興味本位で中に入った。
なんだか料金体制は十五分百円のものと三・五・八・十二時間のセットがあるらしく今の時間は正午から十分ほど経っていた。
鈴音ちゃんの学校は三時半頃に終わるらしいので三時間のセットにした。
案内された部屋は座敷でテレビとパソコンが二箇所についていた。
自分のノートパソコンも電源を入れて他の二つにも入れた。
立ち上げている間にコンセントを見つけたのでスタンガンを箱から出して充電する。
それぞれのパソコンをオンラインに繋いでいる間に飲み物を取りに行く。
よくファミレスにあるようなドリンクバーでコーヒーミルクを入れて隣にあったパンコーナーからアップルパイを四つほど皿に入れて部屋に戻った。
左側のパソコンで鈴音ちゃんの通う神藤高等学校のホームページを開く。
俺たちの通っていた頃より少し改装されたんだな。
なんだかせつねーな…。
自分の知っていた学校が変わっていく事実に瑣末な悲しみを感じた。
気を取り直して今日の株市場を見直す。
なんとか今週分の出資分を取り戻すとマナーモードにしていなかった俺のケータイが空気を読んでくれないで静かな店内に非通知を知らせる悲愴を鳴り響かせた。
『非通知』という言葉に眉をひそめながらもトイレに向かってから電話に出た。
――あ、長谷川先輩のケータイで合っていますか?自分、野球部の坂井っていいます。
野球部、と聞いてピンときた。
多分誰かが誰か伝いに聞いたんだと思う。
少しは俺のプライバシーってもんを丁寧に扱ってはくれないのかね、うちの野球部さんは。
溜め息を一つ落として用件を聞くことにした。
「堺だったか?とりあえず、誰に聞いたかは後で問いただすとして用件はなんだ?」
――すみません。俺、ピッチャー志望なんですけど先輩のフォークを教えてもらいたくて。
フォークと聞いて頭が痛くなる…。
忌々しい記憶を押し込めながら俺は頬を叩いた。
「おい、堺。お前、誰から聞いたかは知らないけど軽々しくフォークとか言うな。」
自然と声が低くなっていたらしく怯えた声をしてる。
――でも、どうしてもフォークを投げたくて……。
「……はぁ、わかった。お前にフォークを投げる才能があるか見極めてやるよ…。今からお前、学校近くの公園にでも来れるか?そこで見てやる。グローブ二つ持って来い。」
俺もピッチャーの端くれだ。
『勝ちたい。』『新しい変化球を投げたい。』って気持ちは分かる。
――ありがとうございます。今、近くにいるので十分くらいで着くと思います。
「分かった。すぐに用意してくれな。一応、キャッチャーミット持ってきておいてくれ。」
電話を切ってから数えるのも面倒くさくなった溜め息を吐いて部屋に戻った。
せっかくの3時間パックなのに半分も使わないうちに片付けを始めた。
何と無くスタンガンは箱から出しておいてカバンに入れておく。
駅前のコインロッカーに荷物を片付けて約束した公園に向かう。
―――桜塚公園敷地内―――
「はぁ、あれから二十分は経ったのにいつになったら来るんだよ、坂井!」
まだ見たこともない酒井とか言う奴に会ったときの愚痴を考えながらベンチに座った。
「っつ!」
反射的に座っていたベンチから転げ落ちる。
俺のいた場所には金属バットが振り落とされていた。
木製のベンチをへこます鈍い音が耳に繰り返し鳴り響く。
目の前には黒のボディースーツを着込んだ男がバットを持っていた。
顔は整っており、髪は短髪で、歪んだ口元がそれらを打ち消していた。
はぁ、リアルに襲われるのは高校生以来かな…?
のんきなことを考えながら目の前にいる敵を睨みつける。
「大学生になってからはケンカもしないで結構自分の中ではいい子のつもりだったんだけどな?…それとも、鈴音ちゃんのことなのかな、リアルストーカー君?」
鈴音かストーカーかどちらの言葉に気を悪くしたのか分からないが歪んだ口元が憤怒に染まったのを俺は確かに見た。
「その名前を口にするな!鈴音ちゃんは俺の彼女だ!お前みたいな意味も分からない奴なんかが一緒にいていい子じゃないんだよ!……殺してやる!」
どうやら、頭が残念なことになってしまっている…らしい。
言葉の最後にはもう一度横振りの力任せの一撃を振るってきた。
男の左肩に回し蹴りを打ち付けると苦い声を漏らして肩を押さえていた。
確かな感触を噛み締めたにも拘らず思っていたよりも効いていなくて少しへこむ。
「…お前、服の下に籠手かなにか仕込んでるだろ。」
俺がそういうとニヤリ、と笑った。
カバンからスタンガンを取り出して、逆手に持ち替える。
はぁ、大人しく妄想して一人で扱いていれば誰にも迷惑かけずに済んだだろうに。
「酒井君、ここだと人目もあるしそこの雑木林で殺り合わないか?」
俺がそう言うと賛成らしく奇声を上げながら俺の後ろを追ってきた。
―――桜塚公園内雑木林中―――
「はぁ、はぁ、はぁ…。どうして当たらないんだよぉ!俺が獲物を持っててお前は何も持っていないのに、…どうして俺が負けてるんだっ!」
俺が倒れないことが気に入らないらしく叫ぶ。
「ははは。
お前みたいに勝手気儘に本能でオモチャ振りかぶっている馬鹿には一生負けねーし、傷一つ勿体無いよ。
てゆーかさぁボチボチ迎えに行かないといけないから終わるぞ。」
スタンガンを左手に持って振り落とされる大振りの一撃が地面にめり込む。
懐に入り込んでスタンガンのボタンに力を込める。
一瞬眩い蒼く光って微かな反動とともに男の身体が揺らいだ。
男の身体がゆっくりと前に倒れこんでいく。
そして重く圧し掛かる痛みが脳裏に響き渡って俺の身体が地面に落ちた。
「な…んで?確かに直に当てたのに?」
頭を押さえながら疑問符を頭に浮かべる。
スタンガンは充電したし、確かにこの眼で発動したことを見届けた。
それなのになんで?
「はははっ!理解できないって顔してるな。それもそうか。俺の着ている服の主な急所に合金とゴムを入れてるんだよ。だからスタンガンなんて効くわけ無いだろ!ハハハッ!」
いつもなら悪口の一つでも返してやるんだろうけど今は余裕が無いから大人しく身体の調子を確かめる。
頭が少し鈍くなっているけど思いのほか身体は動く。
やっぱり慣れない武器は使うものじゃないな。こんなことが知れたら師範代に殺されるな。
それにしてもコイツ頭大丈夫か?
「…お前、俺を倒してからどうするつもりだ?まさかそのまま、なんてことはありえないよな?」
頭を押さえながらゆっくりと立ち上がって男を睨みつける。
逝かれ狂ったような笑い声が止むと男の笑顔が張り付いた。
「そんなわけ無いだろ!二人とも愛し合っているんだから二人で暮らすのさ。準備は出来ているしね。後は学校の終わった鈴音ちゃんを連れて行くだけだよ。ハハハ!」
ふら付いた足取りで段々と距離を詰められていく。
怜次の言うとおりにしておいてよかったよ。
危うく後悔するところだった。
自分を激励しながら滴り落ちてくる血を払い、男の持つ警防に注意しながら後ろに下がる。
「お前なんか僕と鈴音ちゃんの為に死ねぇぇぇぇ!」
男が助走をつけて向かって来る。
縦の大振りな一撃を左手で受け止めて、本気で男の左足を蹴り砕いた。
芯を砕く確かな感触を感じ、右足を払って男を這い蹲らせる。
「はぁ、無駄な体力使わせるな。これから警察に突き出してやる。傷害と誘拐未遂くらいにはなるだろうからクサイ飯でもせいぜい楽しんでな。」
ストーカーの腕の関節を外していると身体が震えた。
次にはゆっくりと視線が下っていた。
眼に映ったのはスタンガンを持っていたストーカーの姿だった。
「よくも、よくもよくもよくもよくもっ!殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!」
苦痛に顔を歪めて俺を殴りつけてくる。
痛いな…。
大人なら少しは手加減しろよって話だよな。
絶対にこんな顔だと鈴音ちゃん迎えにいけないな、こりゃ。
殴られながら愚痴を頭の中で言っていると眼が霞んできた。
まぁ、足が折れて、関節が脱臼していたら少なくとも一週間くらいは大丈夫かな。
俺が最後に見たのは怒り狂った男の顔だった。
―――それから―――
「うぁあ〜。っつ!あたま、いてぇ〜。」
戻ってきた意識を回転させて目を開けると初めに映ったのは栗色だった。
「何してたんだっけ、俺…。」
そうだ、おれ。あのキモストーカーにやられたんだ。
情けねぇ〜。
少し考えてからつい先ほどのことを思い出した。
「それで、なんで俺は身知らずの人に膝枕されているわけだ?」
疑問を口にしても答えが返ってこないのでとりあえずケータイを見ようとあたりを捜す。
「おぉ、あっ………た?」
二メートルほど先には通称逆パカ状態となった憐れな俺のケータイが転がっていた。
「なんでだよ!契約してからまだ二ヶ月も経ってないのになんでなんだぁ!」
辺りに構わず愛しいケータイの亡き骸を握り締めていると『うぅん。』と声が聞こえてきた。
とりあえずこの人誰だ?
命の恩人にこの人呼ばわりは失礼かもしれないけど名前を知らないから仕方ない。
「はぁ。もし瀬尾さんだったら運命だとか言って騒げるのにな〜。」
在りえもしない想像をしながら立ち上がったときに落ちた水玉模様のハンカチを拾う。
ハンカチは湿っていて四つ折の中心には俺の血痕らしきものが残っていた。
状況からしてこの女の子が倒れていた俺を介抱してくれたんだと思う。
悪いとは思いながらもハンカチで傷口を押さえながら女の子の隣に座る。
身体は木の幹にもたれかかっていて顔だけが俯いている。
「ありがとう、見知らぬ女の子。そしてごめんね、見知らぬ女の子。」
この優しい女の子がどんな寝顔をしているのか見たくなってゆっくりと顔を近づけていく。
あと、一尺にも満たない、そんな距離になったときに風が俺の横を通り過ぎていった。
女の子らしい柔らかな香りと軽そうな栗色の髪が宙に舞っていった。
「……せ………お、さん?」
信じられなかった。自分の願望が叶うなんて、思ってもみなかった。
「瀬尾さん。」
もう一度呟く。
「瀬尾さん。好きだ。」
意味もなく呟いた。
意味が無いことなんて分かっていた。
でもそうしないと消えてしまいそうだったから。
栗色の髪も、栗色の瞳も。
薄い唇も、小さな身体も。
心が揺らいでしまう。
「おはよう、長谷川君。頭は大丈夫?」
瀬尾さんが目を覚ましていた。
「うおっは!」
顔が近過ぎることに気が付いて後ろに飛び退いた。
「ふふ、その様子だと大丈夫みたいだね。」
おれ、今なんて言った?
うおっはって何?
自己嫌悪に陥っているとそっと頭に手が伸びてきた。
おれの頭をゆっくりさすりながら口元を抑えて笑っている。
それから、おおまかな話を瀬尾さんから聞いた。
この公園は瀬尾さんのバイトへの近道らしい。
いつも通りにここを通ろうとしたときに怪我した男が出て行くのが見えて不思議に思いながら入っていくと俺が倒れていたらしい。
それでハンカチを濡らして手当てしてくれた、とのこと。
時間を見ると後十分ほどで鈴音ちゃんの学校が終わるので名残惜しいながらも別れた。
ただ、ハンカチを返したいからという理由でメルアドを教えてもらったのは思わぬ怪我の功名だった。
そして俺は疼く頭を押さえながら鈴音ちゃんを迎えに行った。
―――そして―――
あのあと結局迎えに行ったにも拘らず俺の怪我を見た鈴音ちゃんは呆然と立ち尽くしていた。
普通に買い物に行こうとしたら逆鱗に触れたらしく怜次の家に連れ戻されてしまった。
普通に帰ろうとしたのだが生憎家には誰もおらずもう一日怜次達と過ごすことになった。
そして俺は客間の布団の中で痛みも忘れて血で汚れたハンカチとメルアドの書かれた紙を握り締めたまま朝を迎えるのだった。