12th misapprehension
「なんていうかさぁー。
修介って時々
『お前頭の中どう弄り回したらそこまで偏屈に慣れるんだ?』
みたいな行動をすると思っていたけれど想像以上にバカヤロウだったんだね。」
怜次が部屋を出て行ってからしばらくの間黄昏に心が染まっていくのをなんとなーく自主規制して時間を費やしているとドアが開き、まず一言目が悪口なので布団から出てみた。
ミスった。
ミスった。
ミスってしまった。
とりあえずコイツなんとかしないと………。
ソイツ、つまり怜次はどれほどの時間をかけてそうなってしまったのかは分かりかねるが頬を薄紅色に上気させ、
左手には売店のであろうビニール袋、右手には液体窒素並みな名前の缶チューハイを片手に覚束ない足取りでゾンビの如く俺の上に落ちてきた。
俺は『グェェ!』とヒキガエルに勝るとも劣らない奇声を上げると
『エヘへ、エヘヘへへ。』
とワライダケを煎じて飲んだようになってしまった怜次をテーブルに座らせた。
普段は誰彼構わず敬語と礼儀を撒き散らして、明治の旧華族令嬢のような立ち振る舞いしか見せない怜次だが
どうしても治せない欠点として酒に対しての免疫があるのだ。
その貧弱さと言うか脆弱さは普通のそれを世界陸上走り幅跳び新記録並みに逸脱している。
小学生のクリスマスパーティーで出てきたアルコール度一パーセント未満の子供用シャンパンを一口飲んで酔っ払って暴走したこともあるくらいにそれについてはザコなのだ。
最近では缶チューハイ一本に対してそれを更にソーダで一対四の割合で割れば、かろうじて二日酔いに苦しむこともなく馬鹿になれるらしい。
あんま成長してねーなぁ。
ま、よーするに怜次にとってアルコールとはワン○―スでのバスターコールのようなものなのである。
おぉー、一撃必っ殺ぅぅ〜〜〜。
とりあえずそんな感じに現実逃避をしていると現実は燦々たる状況になっていた。
酔っ払いは一人から四人に膨れ上がり(怜次・鈴音ちゃん・美代子ちゃん・バカ)、
怜次はチューハイ片手にテレビに喧嘩を吹っ掛けて、
鈴音ちゃんは俺に話しかけて、
美代子ちゃんはお猪口に日本酒を入れてフフフ、
と上機嫌に笑って、
浩介は何処から持ってきたかは分からないがウォッカ一本丸々一気飲みを披露していやがっていたりする。
普通の人間なら確実に急性アルコール中毒でピーポーピーポーのお世話になってしまうのだが、
浩介は倒れているその口にミネラルウォーターの二リットルのペットボトルをドッキングさせると三十分もすると再び酒を飲み始めるという便利な身体をしている。
俺はそんな魔の、いや酔っ払いの巣窟を足早に抜け出すことにした。
つーか、酔っ払いの巣窟ってただ単に居酒屋ってことなんじゃねーか………?
そうは思いつつも厄介ごとに巻き込まれるのが大嫌いな俺は有言実行するのみだ。
俺は象言う原理でそうなっているかは分からないが、
そんなことには微塵も知的好奇心を湧き上がらずに大人しくキーカードをスライスさせてとりあえずフロントに向かった。
「あれ?長谷川さんじゃないですか。
いかがなさいましたか?このような場所に男性の方が一人で月見酒とは。
趣深いですが、少し物寂しげではございませんか?」
一人月を酒の肴にボケェーっとしていた俺の後ろから声がしたので振り返った。
そこには淡い緑の生地に藤の花の描かれている着物を着た莉菜が立っていた。
「え?あぁ。俺達の部屋が酔っ払いの巣窟になってきたから退避することにしたんだよ。」
いつもとは違う口調に戸惑いながらもそう答えると莉菜さん(とりあえずいつもと雰囲気が違うので、一応敬称付きー)は『お隣宜しいでしょうか?』と聞かれたので肯定する。
縁側に二人でのんびりと何を話すわけでもなく日本酒を飲みながら月を見上げる。
「私がこのような口調で御話することに違和を感じていらっしゃいますか?」
「あぁ、まぁそうだな。俺はそう思ったけど別にいいんじゃないのか?
それも含めて莉菜ちゃんの個性、っていうかアイデンティティーなんだからさ。」
そう言うと『個性、ですか。』と俺の言ったことを復唱して笑む。
「私、作り物なんですよね。今も、昔も、そしてなによりこれからも。」
もしかして俺、地雷踏んだりしちゃったりしたりするのか?
首を突っ込もうかどうしようか迷ってお猪口に口をつけて横目で莉菜ちゃんを見る。
「鈴音ちゃんが私たちのこと修介さん達に紹介するときに名前はおっしゃられていたけれど、苗字はおっしゃられていなかったこと覚えていらっしゃいますか?」
言われて初めて、そう言えばそうだったような気がしてきた。
「私の家、古川家って言って、嫌な言い方になってしまうけれどお金持ちなんだ。」
「え?古川家ってもしかして、あの古川家のこと?」
莉菜ちゃんは黙ったまま首を縦に振った。
古川家は戦前から日本の中枢にあった財閥で、現代社会の教科書にも載っているほどだ。
生薬に長けていて古くからこの国での市販医薬品のシェアは七割を有に超えていたらしい。
最近では藤月製薬に押され気味らしいが、それでも総資産は数百億を上回っているだろう。
そんな大財閥の人間が目の前にいるという事実を俺は信じることが出来ない。
だって、ねぇ……。
普段から俺に罵声とか襲撃してくる奴だよ?
強いて言うなら美代子ちゃんの方がしっくりくるって言うかなんていったらいいのか、わかんねーなぁ。
「……なぁ。今お前、私に対してかなり失礼なこと考えなかったか?
無性に腹のそこから思いっきり殴りたい衝動がふつふつと沸き起こってきているんだけどどうすればいい?」
「あっはっはっは!気のせい、気のせい。それよりもはやく話の続きをしよう。続きをさ。」
ジトーっと睨まれている気がするけれど、俺は細かいことは気にしないのだ。
「…話をずらされたような気がするけど、まぁそれは今度たっぷり追及することにするとしておくわ。
そんなことよりも私はあんたに聞きたいことがあるからここに来たのよ。」
む。
人がせっかく重くなっていた空気を軽くしてやったのにも拘らずその扱いかよ。
えぇいいですよ、どーせ俺なんてお前からすれば寿司に付けるわさびみたいなものさ…。
軽くグレていると大して気にした様子もなく『あっそ』と斬り捨てられてしまった。
全くこれだから最近のゆとり教育世代は年上を敬うってことを知らないから困ったもんだ。
「いや、ゆとり教育って言ってもあんたの世代より前から始まってたでしょ。」
うぇえぇ?!
何で俺の心の中が分かるんだ?!
最近の高校生は読心術も教えてもらってるのかな?
もしそうなら俺、もう一度高校に通いなおしてもいいなぁ……
「はいはい、全部口から垂れ流されているだけよ。
あんたが後輩になるなんて気色悪いから絶対にしないでね。
本当にあんたが大学生か不安になってきたわ。大丈夫かしら、日本?」
なんだか果てしなく酷いことを言われている気がするけど気にしないことにしておいた。
まぁ、このまま話がドンドン脱線して行ってくれれば俺としては思い通りだからいいけど。
「さて、十二分に執行猶予を与えたことだし、そろそろ本題に入ることにしましょうか。」
…やっぱり思い通りにはならないわけね。
いいさ、いいさ。
どうせこんなオチだろうと思っていたからある程度の諦めはつけていますよ、こんちくしょうめが!
俺は男らしく抵抗することを諦めて、莉菜と向き合わせになるように座りなおした。
そんな俺の態度が気に入ったらしく、軽く微笑みながら頷いている。
少しドキッとしてしまったことは内緒だ。
俺にだってプライドくらい少しくらいはあるさ。
まぁ、そんなことはさておいて俺は何度も自分を励ましている莉菜を見て和んでいた。
ゆっくりと深呼吸をすると手に持っていたお猪口を盆に置き、俺を見つめてきた。
「……………わた、私。私、実は………」
莉菜は何度も噛みながらそれでも何かを必死に伝えようとして口を動かしている。
俺はそんな莉菜を心の中で何度も励ましながら莉菜を見続けている。
最後に、もう一度大きく息を吸い込むと決意に満ちた表情で口を開いた。
「りいぃいぃぃいぃいぃぬぁあああああああああぁぁああぁん、遊ぉおおおおぉぉびぃぃぃぃいいぃまぁああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁしょうぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
流星の如く加速して向かってきた美代子ちゃんに捨て身タックルをまともに受けてしまったようで
『うきゅうぅぅううう。』
と小さな悲鳴を上げて気絶してしまった。
「やっぱりこういうオチになってしまうのは分かりきってたことだよな。」
俺は眼を回している二人を両肩に担ぎ抱えると戦場に戻ることにした。
「今度きちんと時間をとってちゃんと話を聞いてやるからな。
とりあえずは二人ともしっかりと休んで明日のために元気を蓄えておけよな。」
俺は眠っている二人にそう言ってからなんとも言えない感情を抱きながら帰った。
―――しばらく、それと部屋―――
「はぁ、今日は色々ありすぎて頭の中が湯で上がっちまいそうだわ。」
誰も居ないテラスでグラスを傾けながら俺は月を見上げながら一人呟いていた。
外では清水が不規則なリズムで下方へと流れていく様子を見てもう一度グラスに口付ける。
今日は本当に色々なことが在り過ぎた。
露天風呂での美代子ちゃんからの尋問。豹変。
月下の下での莉菜との会合。追及。
そしてなによりも虚無で代替させてしまった告白。
しばらくの間俺はそれらのことについて考え、方針を選別してからもう一息ついた。
「二人ともごめんな。この旅行計画したのは俺の様子がおかしかったからだよな?」
寝息を立てている二人に襖越しに謝罪する。
浩介が旅行に誘ってくるあたりから俺はこの二人が何かしら良からぬことを考えていることに気が付いていた。
それから少しの間二人の様子を窺っていると、どうやら悪意からではないことが分かった。
で、だ。
ここしばらくの自分の生活を振り返ってみるとあっさりと原因が見つかった。
俺の生活があまりにも堕落しすぎていた。
ある程度必要ない授業は極力サボるようにして、ほとんどを仕事と酒に使っていた。
家に帰ることはなく(放任主義だからあまり心配はしていなかったが。)怜次の家に居候させてもらいっぱなしだった。
怜次に頼み込んで俺の食事は作らないようにしてもらい、一日のうち学校・仕事・睡眠以外の全ての時間を酒を飲んで時間を費やすようになってしまった。
そんな不甲斐ない生活のおかげで俺の体重は半月ほどで五キロほど落ちてしまった。
そしてある日お盆の上に置かれていた果物ナイフを見たとき、自然に自分の手首を切った。
あの時鈴音ちゃんに涙ながらに怒られたときは流石の俺も感嘆するしかなかった。
で、そんな愚かなことをしてしまってから三週間ほど経った昨日旅行に誘われたわけだ。
その三週間の間俺がのうのうと生活していたのかと問われれば否である。
どうしたのかと言えばオジサンに相談したのだ。
オジサンといっても直接的な血縁関係などというものは綺麗サッパリ存在していない。
以前ランニングをしていたときに会った人のことだ。
あれからあの人の雰囲気が気に入った俺はふらふらと隣町を捜索していると会った。
そして適当な話をしているうちに親しくなり、名前を聞くと
『名前は棟の昔に捨ててしまいました。皆さんからはオジサンと呼ばれているのでお気軽に。』
と言われたのでそうした。
そのことを相談したらなんてないことのように『真面目にいきなさい。』と促された。
やっぱりだめなのかなぁと思っていると
『そして、一日が終わる前に、君が想っているその人に向かって想いを呟きなさい。』
そう言われた。そして堕ちた気分になっていた。
でも、それでも俺はその言葉に確かに掬われているような気がした。
それ以来俺の持病と成りつつあった不眠症とアルコール中毒は嘘のように霧散していた。
そんな俺の過去を閉じ込めていた部屋に一筋の混沌が俺の中に入り込んできた。
――………シューちゃん!!たす、け、て!あっちゃん、星夜が危ないの!!
「落ち着け、アカネ。心配するな、大丈夫だから。一度深呼吸しろ。分かったな?」
俺がそういうと電話越しに大きな呼吸音が聞こえてきた。
落ち着いてきたようなので俺は諭すように、出来るだけ、優しく問いかけた。
「まずお前は何処に居るんだ?それと瀬尾さんがどうかしたのか?怪我でもしたかよ。」
俺は声を軽くして受話器の向こう側を出来る限りで感じ取るようにした。
走っているらしく、声と一緒に風の切れる音も聞こえてくる。
――今、…シューちゃんたちの部屋に向かって走ってるの。
三階。あーちゃんが居ないの!!もしかしたら誘拐されちゃったのかもしれないのぉ!!!
最後のほうは金切り声に近かったが、俺は何とか内容を理解してしまった。
「分かったからそのまま走って来い。俺もすぐに部屋を出るから、少し待ってろ。」
そう言って電話を切り、上着と財布を持って部屋から出た。
俺達の泊まっている部屋は幸い隅で部屋を出てから右を向けはエレベーターにたどり着く。
しばらく走っていると小さな何かがこちらに走ってくるのが見えた。
「大丈夫か?!アカネ!」
アカネは息を切らせ、浴衣を肌蹴させてこそいるが身体的な外傷は見受けられなかった。
「…シューちゃん。シューちゃん。わた、わ、たしのせいであーちゃんが!!」
混乱し、叫ぶアカネを宥めながら休憩所に連れて行き、話を聞くことにした。
「そうか、話してくれてありがとうな。お前は俺達の部屋に行け。
部屋はこの先の最奥の二部屋だから。一番奥が怜次のいる部屋だからとりあえずはそこに行け。
大丈夫だ、俺は昔から怜次や浩介たちよりもピンチに一番強いのはお前が知っているだろ、な?」
俺がそう言っても不安そうに『でも!』と続けてくる。
もう一度大丈夫、と繰り返してから俺は茜の額にキスを落とした。
驚いた顔をするアカネに『まじないだ。』と言うと頬を赤くして俯いてしまった。
そして部屋へと歩き出したアカネを背にして、俺は外へと駆け出していた。
アカネが言うにはのんびりと温泉に浸かった後涼んでいると男にナンパされたそうだ。
それはいい。
アカネは俺の彼女ではないのだから、何処の誰と一時の気の迷いに惑わされようとも知ったこっちゃない。
瀬尾さんは浩介を好きだから乗らないだろう。
それはいい。でもその二人はその後も何度か二人を付け回していたらしいのだ。
そして、アカネがジュースを買いに行っている間に瀬尾さんは消えたらしい。
普段はトイレに行くにしても必ず一声掛けてくるらしくこんなことは初めてだそうだ。
なので余計にアカネは心配を募らせているようなのである。
という俺自身もかなり心配している。
なぜかというともしかすると俺はそのゴミどもを見たかもしれないからである。
莉菜と話をしているときに視線の隅に男二人と女を見たような気がしたからだ。
そんな回想をしていれば目に入ってきたのは古い神社だった。
俺は境内を回ろうとすると賽銭箱の前の部分がずれていることに気が付いて、走った。
「あかりぃいいいいい!!」
俺は力の限り叫び、戸を完封無きまでに壊したがそんなことを気にもかけず中を見た。
ブチリ、と俺の中で何か太いものが木切れ多様な音が木霊し、俺の世界は一面を眼光に焼きつけ、ブラックアウトした。
「せ、お、さんだいじょう、ぶか?」
俺は擦り傷だらけの身体を引き摺りながら、眠り続けている瀬尾さんに近付いていった。
瀬尾さんは苦しそうに顔を歪めてはいるが男どもの跡は残っておらず、溜め息が漏れた。
俺の手によって葬られたゴミは無残にも転がっている。
視線を戻し、苦しがっている瀬尾さんの頭を撫でる、
すると表情は和らいでいき、可愛らしい寝息まで立て始めてしまった。
「好きだよ。大好きだ。だから、君が傷付かなくて本当に良かった……。」
何か聞こえたような気がして振り向くと、俺が半殺しにしたはずの男が木材を振りかぶっていた。
反射的に瀬尾さんに覆いかぶさるようにしたが衝撃は当たり前のように俺を襲ってきた。
「っつ!こんちくしょうめがぁあああ!!」
腕に痛みを感じるが、とりあえず怪我をしなかった左腕で殴りつけた。
男は情けなくもう一度野宿してしまった。
身体がふらついてしまい、瀬尾さんの身体に重なるようになってしまった。
瀬尾さんの胸からトクン、トクンと一定のリズムが力強く聞こえてくる。
そして何気なく見た瀬尾さんの顔は恐怖に染まっていた。
状況を理解できていない瀬尾さんを尻目に俺は自分に出来ることを模索していく。
ついに、打開するための言葉が見つかり、口にする。
「よぉ、瀬尾さん。俺の考えたアトラクションはどうだった?」
彼女の眼には恐怖は既になく、憎悪にも近いそれを灯らせていた。