11th true
「さて、修介にはこの前に何があったのか話してもらわないといけないね。」
飯を食った後、のんびりと部屋でくつろいでいた俺に怜次がそう話を切り出してきた。
俺は怜次の言ったことの意図が理解できずに首をかしげているとテーブルの反対側に怜次が座り込んで、まっすぐに俺のことを見つめ続けている。
『見つめる』などと言ったことはいいけれど実際は『睨んでいる』のほうが正しいと思う。
「俺はお茶飲むことにするけどお前の分は入れようか?結構、ここのお茶…」
『おいしいぞ。』と言おうとすると怜次がテーブルを叩いた音のせいで言い切れなかった。
う〜〜ん。
怜次のやつ何について怒っているんだ?怒らせるような事した覚えはないぞ?
怜次の怒っている理由を模索していると、怜次はとうとう業を煮やしたらしく口を開いた。
「本当はわかっているんでしょ?いつまでも知らない振りは続けられないよ。」
いつもよりも高揚とした怜次の声を珍しいなーなどと考えているとさっきよりも格段に大きなテーブルを叩く音がしたので顔を上げると怜次がキッと俺を睨み付けている。
「そんな事言われてもなぁー。お前に怒られる覚えなんてこれっぽちもないぞー?」
「本当にそう思っているの?…そう、なら僕の口から直接教えてあげないといけないね。」
シリアスはついさっき経験したから出来れば軽いノリのことがいいんだけどなぁー。
「詳しい時間はわからないけれど、君が彼女、瀬尾 星夜さんに何をしたのか全て包み隠さずに話してもわらないといけないんだよね。」
「あぁ、なんだ。とうとうバレたのか…。思っていたよりも遅かったんだなぁ。」
別に驚きとか驚愕とかそういう気持ちは少なくとも全く沸き起こってこなかった。
アカネに見つかってしまった時点でそのうち怜次の耳にも入るだろうとは思っていた。
第一アカネと瀬尾さんは親友らしい(アカネ談)のでいつかは瀬尾さんがアカネに相談するだろうとはわかっていたし、現にこの間はアカネから黙秘権なしの事情聴取を受けた。
後はアカネがどれくらい一人で悩んでいるのかなぁー?くらいにしか感じていない。
アカネは何でもかんでも一人で溜め込むという非常に困った性質を持っているので、まぁ正直な話をすればとっとと怜次にバレてくれて安心感さえ沸いてきたほどだ。
「そんな風に言うってことはそれなりに予測していたっていう風に取っていいのかな?」
さっきよりも怜次の表情は幾分か和らいでいる、いや呆れが占めてきているように見える。
「まぁな。どうせアカネの様子がおかしくてお前が問い詰めたっていうのが大筋だろ?」
俺も怜次もあの阿呆の行動パターンなど把握しきっているので(アカネの行動パターンが極端に少ないだけとも言う)、アカネが怜次に言い寄られているイメージ映像が自然と脳内で高速再生されてご馳走様、と云ってから怜次と向き合った。
ゆっくりと席を立ち、部屋に鍵を掛け、チェーンを下し、独り言をただ呟く。
「たまには、独り言を言うのもいいかもな。
それを誰が聞いてしまったとしてもまぁ、言ってしまえば事故なんだから俺が咎めることはできないよな。」
俺は席に着いてから眼を瞑り、過去に起こした救い様も無い憐れな男の話を思い出した。
誰かが微笑んでいる気がしたがきっと気のせいだ。この部屋には俺しかいないのだから。
―――過去―――
「何やってるんだよ、俺は……。ばっかみたいなことしちまったな…。」
俺は一人、自分の部屋に閉じ篭もって何度目になるかもわからない罵声を投げ掛けた。
瀬尾さんにキスをして、馬鹿みたいなことを言った翌日である今日、いつになっても考えのまとまらない俺はケータイの電話帳を開いて一つの名前を探し当てる。
『星夜』そう明記された液晶を見て自然と頬が緩くなっていくのを感じた。
それと同時に苦い想いが胸の中を渦巻きながら、俺を締め付けて離そうとしない。
俺はまだ一度もこのケータイに掛けたことなど無い。
もし、着信拒否にされていたら俺はどれだけ脅せるネタを持っていても出来ないし、立ち直れない。
怯えた瀬尾さんから無理矢理ケータイを差し出すように促して俺が勝手に知った。
あの時は浩介との仲を取り持つ為に連絡先を知っていないといけない、などと無理矢理に理由を押し付けていたから気付かない振りをしていたけれど今ならはっきりとわかる。
俺は何か形の残るものに瀬尾さんとの繋がりを刻み込んでおきたかったんだ。
例えそれが、俺が相手の意思を無視した結果だったとしてもそれだけで幸せだから。
でも俺は何をすればいいのかサッパリわからない。
「……いや、違うか。俺が何もしたくないから考えようともしないだけなんだよな……。」
自慢になってしまうが俺は結構人と人とをくっ付けるのが得意なほうだと思う。
最近ではあんまりしなくなってしまったけれども、合コンをセッティングするのは高校生時代から浩介や怜次よりも俺のほうが多かったりするのだ。
それに中学生時代から累計すると俺がくっ付かせたカップルはおそらく五十を超えている。
そんな俺がいまさらどうすれば付き合いやすい状況になるかなんてそれなりに分かる。
多分、というよりも絶対に相手が瀬尾さんだからそう思い込みたいだけなんだ。
「……俺ってかなりサイテーだよな。こんなに自分が腐っているなんて思わなかったわ。」
恋愛小説とかでよく主人公とヒロインとの間にどちらかを好きな奴が二人の仲を引き裂こうとするキャラが出てくるけど、やっていることなんて然して変わらないんだよな。
そう考えると自然と気持ちが沈んでいくのがはっきりと感じられた。
でも俺は一方的とは言え、瀬尾さんと約束、いや契約を交わしたんだ。だから……
…………だから…がんばって瀬尾さんを支援してあげるしか方法はないんだよな。
その時俺はふと昔読んだノンフィクションの小説を思い出した。
その小説の名前は忘れてしまったけれど、主人公は自分の義理の妹を好きになってしまって散々悩んだ挙句、その主人公は自分の気持ちより妹の気持ちを優先することにした。
そしてその義理の妹の好きな人というのが主人公の実の姉で、その姉は血の繋がっている主人公のことを一人の男として愛していた。
主人公は自分の気持ちと妹の恋心との葛藤と戦いながらも、運命に逆らってとうとう姉と妹、二人を付き合わせることに成功してしまう。
しばらくの間、一人と二人はそれぞれの時間を大切に歩んでいくのにそれでも幸せは長い間続くことがありえなかった。
どうしても主人公への想いを断ち切ることの出来ない姉は、妹とは別れようとしていることを主人公に告げて、それを妹が聞いてしまう。
次第にギクシャクしていく姿が見ていられなくなった主人公はとうとう行動に移す。
主人公はみんなの寝静まった夜中に姉を自分の部屋に誘き出して、そして犯した。
翌日、普段を演じている姉が用事で出かけている間に妹に昨晩のことを告白して。
妹は主人公を罵倒し、罵倒しているところに姉が用事を済ませて帰ってくる。
心の傷を負った二人を尻目に主人公は自分の家を去っていく。
その日から翌々日、主人公は海から溺死体として発見される………
内容を思い出し、暗くなっているといつの間にか外は明るくなっていた。
俺は落ち込んでいる気持ちを払拭する為にここのところ日課となったロードワークをする為にいつもよりは早かったがジャージに着替えてからそっと家を出て走り出した。
俺は気分転換の為にいつもとは逆のコース、つまりは大学のある反対側、隣町の山道をロードワークとして選ぶことにしたのだが、はっきり言えば後悔した。
いつもより少しきつい程度だろ、と高を括っていた俺を嘲笑うかのように山道は起伏に富んでおり、山頂までを想定していた俺の予定は中腹までへと変更せざるを得なかった。
身体を休める為にペースを少し落として景色を楽しむことにした。
この山、風見山は地元の人々には桜山として親しまれているらしい。
大学の後輩がここら辺に住んでいるらしくこの前花見に誘われたことがあった。
桜山と呼ばれるだけあってこの山には多種多様な桜の木が連なっている。
そしてこの桜山には古くからの言い伝えが受け継がれているらしいのだ。
この桜山には『十六夜桜』という狂い桜があるらしい。
なんでも一年のうちに十六日間しか咲かないそうで、季節は未定らしい。
それを計った人はたいそう時間にゆとりがあったに違いない。
うらやましいなぁ。
桜なのに春夏秋冬いつでも気ままに咲いているそうで俺はうそだと思っている。
いくら狂い咲きがあるからといってそれを繰り返すのはあまりにも理に適っていない。
それに俺は見たのも以外は絶対に信じないことに決めている。
そんな風に後輩、満田を嘘付きだと決め付けて道に沿って歩いていると桜を見つけた。
「ははは、満田。良かったな。嘘付きから一応グレードがコンマ3ほど上がったぞ。」
そう言いながら俺は歩いていた脚を止めて、ゆっくりと左向きに道を逸れて行く。
「…おや?君はとても運がいいのですね。
ここに迷い込んでくる人は四年と十ヶ月と三十一日ぶりになるのですが、君のような若い少年が来るのは実に二十年と三ヶ月ぶりですよ。
それとも悪戯好きな死神がここに君をつれてきたのでしょうかね?多分そうでしょうね。」
フフフ、と上品にその男の人は微笑みながら眼を一度配ってから桜の樹を見直した。
俺はどうすることも出来ずに、ただその人が見上げている姿を見続けていた。
「どうしましたか、少年?そんな遠くに居らずにもっと近くに来て見てはいかがです?
私はだいたい、二十九年十ヶ月三十二日マイナス一日ほど見てきましたが飽きたことは未だかつてありませんね。
本当に私としては自分が信じられませんよ、まったく。」
俺は相槌を打つことも無く言われたとおりにその男の人に近付いていき、隣に座った。
その男の人は柔和な笑みを浮かべている。見た感じでは三十代後半から四十代前半。
髪は栗色で左右に軽く流れている。
線は細くて、中世的な顔立ちだった。
黒色のスラックス、黒の上着に、黒のワイシャツ、ネクタイまでもが黒色だった。
そんな喪服のような服装には異色の光を輝かせているのが胸にぶら下がっているシルバーに輝く十字架と二つの指輪、それだけだった。
その人の観察を終えるとそれを待っていたかのようにその人はゆっくりとした口調で話す。
「さて、君は何に苦しまされているのでしょう?差し支えなければお教えいただきたい。」
俺はその言葉に思わず、その人を力の限りに睨みつけてしまった。
それを見て怯える様子も無くただ、微笑んでから『すみません』と言った。
「気分を害してしまったのであれば謝ります。それでもあなたが辛そうでしたから。」
俺は話してしまおうかどうしようか迷った。
浩介たちには話せなくてもこの人ならこれから会うことも無いだろうから困ることは無い。
でも、それでも非難されるのが怖かった。
「いきなり話せ、と言われても困ってしまいますね。では少しほどお話をいたしましょう。」
そっちのほうが嬉しいかも。
正直まだ迷っているし、どっちにしても時間は欲しいからな。
俺の考えていることが分かっているらしく一度微笑んでから口を開いた。
「私、いえ、俺は昔、愛している女を犯しました。」
人称が変わっていることなど頭から滑り落ちて、その言葉に耳を傾けていた。
「俺は、昔一人、好きな女がいました。
俺はその女が好きでしたしその女も俺のことを好きでいてくれました。
でも、とある事情でそれに期限がついてしまったのです。
その事情と言うのは言いかねますが、それのせいで俺は確実にどうすればいいのか分かりませんでした。
その女に想いを告白し、想いを重ねればいいのか、自分を殺し、想いを隠し通せばいいのか、それは終わりの狭間まで迷いました。
まぁ結論から言えば自分を殺しましたが。」
俺はその言葉を聴いて、妙なデ・ジャビュを感じた。
「俺は最期になって、怯え、泣いている彼女の唇を奪い、この世界を去りました。」
言い終えてから笑みは消えて、精悍な顔が俺を睨みつけてくる。
「君がどのような立場で、どのような選択肢があって、どのように想っているかは私には分かりかねますが、それでも一言だけは君をかえられる一言があります。」
「もしも君がその人の幸せを想っているのであれば、人すらも殺せるだけの覚悟を持ちなさい。
全てを失ってでもその人の糧となれるだけの残忍さを持ちなさい。
涙を流さぬだけの強さを持ちなさい。」
「もしも君がその人の心を奪いたいのであれば、その人の気持ちを壊せるだけの悪意を持ちなさい。
全てを敵に回してでもその人の全てを受け止めれるだけの冷酷さを持ちなさい。
その人を手放さぬだけの力を持ちなさい。」
『それが……』とその人は言葉を続けた。
「それが、それこそが、人が人を想う為に最も必要な資格なのです。」
そう言ってその人は俺に優しく微笑みかけてきた。
その人はゆっくりと立ち上がり、俺もつられるように立ち上がった。
その人はゆっくりと歩き出して、俺は逃がさないように大きな声で叫んだ。
「あんたは、その人を想って後悔したりしなかったんですか!?」
俺がそういうと足取りは潰えて、振り返ることも無くただ、呟くように云った。
「後悔なんてしませんよ。その後悔でされ、いとおしいのですから、後悔なんてないです。」
それだけいうと今度は立ち止ることなど無く確実に俺から遠ざかっていった。
「あ、名前ちゃんと聞いておけばよかったかも…。まぁそのうちまた会えるだろ。」
俺は名前も知らないその人に礼を言ってから決意を胸に桜の樹を後ろに去った。
―――自宅自室内ベッド上―――
「大丈夫。出来る。これは瀬尾さんのためなんだ。きっと出来る。」
俺はもう何度目になるかも分からない慰めの言葉を口にしてからケータイを手にした。
電話帳からア行から瀬尾さんの名前を探して、通話ボタンをそっと押した。
電話は繋がり、呼び出し音が数回鳴ったあとに、それは終わって回線が繋がった。
――………はい、もしもし。瀬尾ですが……
最初の沈黙に心を砕かれそうになりながらも俺は一呼吸おいてから声を作り出す。
「あぁ。ちゃんと出たんだ。俺はてっきり着信拒否にでもしてたと思っていたわ。
ってそんなことできるわけねーか。俺はお前の弱みを握っているんだからな、ハハハ。」
電話の向こう側から瀬尾さんが息を呑む音が聞こえてきた。
――あなたは、そんなことを言うために電話してきたのでしょうか?
瀬尾さんの嫌悪感すら感じられる声に挫けそうになりながらも、それでも俺は続ける。
「ハハハッ!それもあるけれど今回それはそれほど重要じゃないさ。
お前にとっては嬉しい、つまりはお前にとっての朗報だから安心しなよ。浩介とのことさ。」
瀬尾さんが驚いている様子が眼に見えるようで自然と笑みがこぼれていた。
そして俺はそれを加速させるかのように次々と一日考え抜いたプランを伝えた。
「……まぁ、そんなわけだからチケットとかは俺が手配しておくからお前はせいぜい浩介のとのデートに着て行く服でも選んでおけばいいさ。」
おおよその予定を伝え終えると俺は手元においてあったミネラルウォーターを飲む。
――…………一つ、一つ私からアナタに質問してもいいでしょうか?
「あぁ?なんだよ、お前から質問なんて珍しいじゃないか、別にいいぜ。答えてやるよ。」
――どうしてアナタはそんなに色々と考えてくれるんですか?それは誰のためですか?
呼吸が止まりそうになりながらもすぐに切り返した。
「そんなの俺の為に決まっているだろう。お前が苦しんでいる姿見ているのが俺には楽しいんだよ。
それ以外に何があるって言うんだよ。」
――そうですか、分かりました。ありがとうございました。
それを最後の言葉に電話からは電子音しかし無くなり、最後には何も聞こえなくなった。
俺はケータイをベッドの上に向かって投げつけると一言呟いた。
「ダメだわ。ケッコー嘘をつき続けるのってきついな……」
―――旅館宿泊先―――
「まぁ、そんな感じかな。俺は眠くなったからそろそろ寝るわ。オヤスミ。」
そう言って俺は有無を聞かずに布団の中に閉じ籠もった。
「修介、君はいつまでそうやって苦しめ続けるつもりなのかな?」
俺は怜次の問いに答えることも無く眼を瞑った。
「…そんなの俺にわかるわけねーじゃんか。俺だって、本当は付き合いたいよ。」
怜次が襖を開けて出て行く音が部屋の中に取り残されていった。