02:マダムカルテア
衣装室の扉へと視線をやれば、ひとりの女性が楽しそうにこちらを眺めている。
黒く艶のある髪に同色のワンピース。体のラインが露わになっており、とりわけ大きく開いた胸元から覗く豊満な胸は零れんばかりである。そこで輝くネックレスの宝石は今にも谷間に落ちてしまいそうだ。
「なんだか賑やかね」
「マダムカルテア、ドレスの直しですか?」
「えぇ、解れを直してもらっていたの。海を眺めていたらちょうどいい時間になったから受け取りに来たんだけど、もう出来ているかしら?」
「今確認してまいります」
船員の一人が、カルテアと呼ばれた女性に頭を下げて裏へと回っていく。
その間彼女は室内を見回し、ステラと目が合うと妖艶に笑って近付いてきた。先程まで喚いていたことが恥ずかしく、ステラが僅かに俯いて頭を下げる。
「騒がしくして申し訳ありません、マダム」
「良いのよ、賑やかなのは大好き。あなた船着き場でフルーツを食べていた子よね」
客室の窓から見ていたと告げられ、ステラが更に深く頭を下げた。
オーランドとセントレイア号を眺めながらのんびりと過ごしていたが、まさか見られていたなんて……。
何か粗相はしていなかっただろうか。珍しい果物にはしゃいでしまったが、はしたなかっただろうか?
そもそも今現在やかましく騒いでいたのだ。冷静になってみると何から何まで恥ずかしい。
とりわけカルテアは美人で落ち着きがあり、凛とした麗しさをもっている女性なのだから尚更である。
肩口で綺麗に切りそろえられた艶のある黒髪。妖艶さを感じさせる切れ長の瞳。肌は陶器のように白い。年は四十半ばばだろうか。同性でさえ微笑まれるとゾクリとした色気を感じてしまう。
細身信仰のスレダリア基準で言えばふくよかに分類されるが、船員は彼女を細くスレンダーだと褒めている。
なにより目を引くのが、彼女の口元にある黒子だ。白い肌に真っ赤に塗られた口紅、そこにある黒子はまるでカンバスにインクを一滴垂らしたかのように見える。
そんな彼女はチラとステラに視線をやり、次いで傍らに並べられたドレス――全てステラが泣き言と共に断ったものである――を一瞥し、合点がいったと肩を竦めた。
「スレダリアから乗ってきたのよね。……まぁ、大方の予想はつくわね」
「お恥ずかしいです」
「あの国は細身信仰だもの。私も前に一度行ったけど、全く面白くなかったわ」
当時を思い出しているのか、ふんと不満そうにカルテアが告げる。
曰く、今より二十年以上昔カルテアは親友のメイドと数名の護衛を着けて世界を旅したのだという。その最中にスレダリアに寄ったが、グラマラスな体つきの彼女には合う服も少なく、男性からのアプローチも無く面白味が無かったのだという。
女性は細ければ細いほど美しいとされるスレダリアにおいて、カルテアは些か肉が付きすぎているのだ。もっとも、あくまでそれはスレダリアの基準であり、話を聞いていた船員が「マダムの体型で!?」と驚愕の声をあげた。
そんな彼女の旅の目的は……。カルテアが小さく笑みを浮かべ、己の口元にある黒子をちょんと指で突いた。
「これを取りたかったの。世界のどこかに、これを綺麗に除去できる技術があると信じて探していたのよ」
「そのために世界を巡ったんですか?」
「昔からこの黒子のことで揶揄われて嫌だったの。白い肌が台無しだの、泣き黒子だったら良かったのにだの。酷い時には食べ残しが付いていると揶揄われることだってあったのよ」
失礼よね、とカルテアが眉間に皺を寄せる。これにはステラも同感だと頷いた。本人がコンプレックスに感じているのなら尚更、黒子のことを言うのは失礼。むしろ常識を疑ってしまう。
それを除去するための旅。だが今現在も彼女の口元に黒子があるあたり、もしや世界を旅しても除去する方法は見つからなかったのだろうか。もしくは、今現在も探しているのか。
そうステラが問えば、カルテアが柔らかく笑みを浮かべた。
「探す必要が無くなったのよ」
「探す必要?」
「えぇ、この黒子を取る必要が無くなったの。セントレイア号で今の夫に出会ったのよ。彼は私と会った時にこの黒子を見つめていた……そしてね」
『貴女の口元はなんてセクシーなんだろうか。喋るたび食べるたび、真っ赤な唇が動き、黒子が妖艶に俺を誘う。女性の唇を見つめるなど失礼と分かっているが、どうかその黒子を見つめることを許してほしい』
「そう言ってくれたの。そして初めて口付けをした時には、まず最初に黒子に口付けをして悪戯っぽく笑ったのよ」
「まぁ、なんて素敵」
カルテアの話に、ステラがうっとりとした言葉を返す。
コンプレックスとして考えていた黒子を魅力だと言ってくれ、そのうえキスまでしてくれる。なんて愛のある話ではないか。
それを語るカルテアの表情はまるで恋をする生娘のようで、陶器のような白い頬が今だけはほんのりと赤く染まっている。
なんて幸せそうな表情だろうか。
羨ましい……とステラが呟けば、カルテアが一枚のドレスを手に取ってステラの体に当ててきた。オフホワイトの綺麗なドレスだ。全体的にふんわりと丸みを帯びたデザインをしており、そのうえ布を重ねてよりボリュームをだしている。これならば多少は体系を隠してくれるだろう。
肩はもちろん首元までしっかりと覆われており、些か重めな印象を受けるが肌とボディーラインの露出は避けられる。
「体形が気になるならこれを着ると良いわ」
「そうですね、これなら私でも……」
「シャイなお嬢様にはきっと似合うはず。お付きの彼も褒めてくれるわ」
「お付きの……?」
いったい誰のことか、そうステラが問いかけ……はっと息を呑んだ。
脳裏に浮かぶのは一人。もちろんオーランドだ。
「ぼっちゃまは……いえ、オーランド様はお付きではありません。私の方がメイドなんです」
「あらそうなの? でも乗船の時、彼に荷物を持たせていなかった?」
「あれはオーランド様が冗談で……。申し訳ありませんマダム、私がちゃんと説明をしていなかったから」
勘違いさせてしまったとステラが詫びる。
確かに、乗船前にフルーツを食べているところから見ていたのなら、それも会話が聞こえていなかったというのなら、カルテアが勘違いしてしまうのも無理はない。
フルーツはオーランドが支払い、鞄も彼が持ち、それどころか階段では彼が手を差し伸べてくれたのだ。これで本来の二人の主従関係を見出せというのが無理な話。
だからこそ改めて説明すれば、カルテアがなるほどと言いたげに頷いた。
「なら主人の旅についてきたのね。でも男主人の旅にメイドが一人なんて珍しい組み合わせだわ」
「いえ、元々私は世界を旅する予定だったんです。自国スレダリアでは夫を見つけられそうにないから……。そうしたら、オーランド様も家を継ぐ前に世界を見て回るつもりだったからと、同行を申し出てくださったんです」
目的は別だが、行く先は同じ……というより、二人揃って気ままな無計画。ならばと一緒に出発したのだとステラが告げれば、カルテアが切れ長の目を丸くさせた。
次いで話を聞いていた船員と顔を見合わせる。「この子、本気で言っているの?」とでも言いたげなカルテアの表情に、ステラが居心地の悪さを覚えてしまう。
次いでカルテアはあっさりと「そういうことね」と訳知り顔で頷き、先程とはまた違ったドレスを手に取った。
先程のドレスとは一転した代物だ。
コバルトブルーの光沢ある布。見るからに細身なシルエットは着れば体のラインをはっきりと晒すだろう。まるで足ヒレのように裾だけが広がっている。
上半身はオフショルダーになっており、胸の谷間まではっきりと出てしまう。デコルテを晒すどころの話ではない。
色合いもその形も、おとぎ話の人魚を彷彿とさせるドレスだ。
「これになさい」
「なぜ変更を!? こんなドレス着れません!」
「寒ければショールを巻くといいわ。ただし透明なものじゃなきゃダメよ。あと胸元にネックレスね。トップヘッドが谷間に落ちるか否かの長さのを持ってきてちょうだい」
ステラの悲鳴じみた声を全く聴かず、カルテアがあれこれと船員に支持を出す。
それもなんて大胆な指示だろうか。透明なショールでは露わになった胸元を隠せないし、なによりペンダントトップが胸の谷間にだなんて……。
思わずステラが自分の胸元に視線をやる。
探し回って買った大きめのワンピースに無理やり胸を詰めているが、胸元が開いた大胆なドレスを纏ったらどうなることか……。――スレダリア基準の服はステラには小さく、着れる服を探すのにいつも苦労しているのだ。とりわけ胸はどの服も収まらず、ボタンが弾け飛ぶたびにステラは悲鳴をあげていた――
「だ、駄目ですマダム! いけません! 見苦しいことになります!」
「スレダリアにも見る目のある男がいるじゃない。あぁそうだ、もし夕食の場で他のドレスを着ていたら許さないわよ。布なんて纏ってたら、浮き輪に括りつけて船から落としてあげる」
そう悪戯気に笑い、カルテアが優雅に部屋から出ていく。去り際の「また後でね」という楽しげな声と言ったらない。
残されたステラは唖然とし……そして唖然としている隙にと考えたのだろう、手早く船員達によってフィッティングルームに押し込まれ、あれよと言いう間にワンピースを脱がされてしまった。