04:スレダリアの食革命
ダレンとマーサの豪快な惚気に当てられたのか、夫人の一人が隣に座る夫をチラと見た。許可を得るようなその視線に、気付いた夫が穏やかに微笑む。
「祝いの場に我慢は失礼だ。せっかくだから頂こうか」
「えぇそうね。私、こういう大きなお肉を食べるのは初めてだわ」
夫人が照れくさそうに笑う。
なにせ彼女が食べたがっているのは、いままさにダレンが焼き上げた肉の塊なのだ。
豪快な焼き目とソース、乱雑な切り口からは肉汁が溢れている。とうてい身分ある夫人が食べるものではない。
女性は細身で小食たれとするスレダリアの夫人ならば尚の事、本来であればけっして口にしない食べ物である。
だからこそ途惑い、それでも己の食欲に従い夫人が恐る恐るといった様子で大皿に盛られた肉に銀食器をのばした。
自分の皿に取りわけ、ナイフとフォークで一口大に切る。
その仕草は品良く、豪快な肉とのギャップがあるが、これでもスレダリアで生きる夫人にとっては大胆な挑戦だ。
そうして夫人が恐る恐る肉を食べ、ゆっくりと、感動するように瞳を輝かせた。噛むごとに瞳の輝きが増し、コクリと飲み込むと吐息を漏らす。そうしてもう一口と食べ、嬉しそうに表情を綻ばせるのだ。
言葉にせずとも「美味しい」と伝わってくる。
それを見ていた夫が意外そうな顔をし、続くように自らも肉を口にした。
「これは……。凄いな、一口食べただけで口いっぱいに旨味が広がってくる」
「こんなに大胆な料理なのに、味は濃いけど重くないのね。それにとても柔らかい」
「あぁ、見た目は豪快なのに食べてみると柔らかくて軽い。これは止まらなくなるな。一口サイズが徐々に大きくなりそうだ」
「えぇ、本当。……でもだめね、食べ過ぎてしまいそう」
ここらへんで、と夫人がナイフとフォークを置いた。まだ肉の半分も食べていないが、スレダリアにおいて女性がこれだけ食べれば十分とも言える。
だがそれに待ったが掛かった。他でもない、彼女の隣でもう一口と食べ進めていた夫だ。
「こんなに美味しいものを我慢する事はない。満足するまで食べれば良いじゃないか」
「……でも」
「これほど興奮しながら二人で食事を語り合ったのは今日が初めてだな。君はいつも数口食べるだけで、あとは穏やかに微笑んでいた。それを小鳥のようで美しいと思っていたが、考えてみれば私は小鳥と結婚したわけじゃない」
「あなた……」
「一緒に食べて語り合おう。もし満腹で動けなくなっても、私が家まで抱えて運んであげるから安心しなさい」
「まぁ……。それならいっぱい食べて動けなくなりたいわ」
冗談めかした夫の言葉に、夫人が嬉しそうに笑う。
そうして再びナイフとフォークを手に取った。今度は夫と一緒に。
ダレン達の言葉に当てられたのか、それとも先程の夫婦のやりとりを見たからか、あちこちのテーブルで似たようなやりとりが続く。
中にはオアシスにおける肉料理の食べ方を知り、驚愕しつつもオアシスへの旅行を考えはじめる夫婦も出始めた。もちろん、その際は夫人も満足するまで肉料理を堪能するのだ。
未婚の令嬢達も「ステラは食いしん坊でもオーランド様を射止めたのよね」とナイフとフォークに手を伸ばし、彼女達の美味しいものを食べた微笑みに子息達も新たな魅力を感じていた。
他国から見れば「女性が満足するまで料理を食べる」という当然な事でも、細身小食信仰のスレダリアにおいては革命とさえ言える変化である。
もっとも、彼女達は今日に至るまで小食を貫いていたのだ。胃は小さく、いくら美味しくてもさほどの量も入らない。彼女達の至高の食事はあっという間に終わってしまう。
結果的に見れば、満腹だと嬉しそうに話す女性達の食事は、それでも小鳥のついばみの域を出ていない。
それに対して、考えを改めはじめていた男達は罪悪感すら抱き始めていた。あちこちから「また改めて食べに行こう」と誘う声が聞こえてくる。
「スレダリアの小食信仰も今日で終わりかな。やっぱり美味しいものを美味しく食べるのが一番だよ」
「えぇ、そうよね。でもこんな国で食いしん坊を貫いていたんだから、やっぱりステラは大物だわ」
「確かに大物だわ。だけど小食信仰の国に反する度胸はあるのに、水着になるのに騒ぐんだからよく分からない子だね。あの子と出会ったのは水着の着替所でね、そりゃもう悲鳴に近い声をあげてたのさ」
「あら、貴女の時もそうなのね。私が出会ったときも、ステラはドレスなんて着られないって悲鳴をあげてたのよ。だからドレスを着なきゃ船から蹴落とすわよって脅してやったの」
アイーシャとカルテアが料理を堪能しつつ、思い出話に花を咲かせて笑う。
ちなみにオアシスではあれほど豪快な食べ方を見せていたアイーシャも、今日は流石にナイフとフォークを使っている。――彼女の一口サイズはだいぶ大きいが――
その隣ではハルとスズに挟まれたナンシー乗りが渇いた笑いで己の放蕩癖を誤魔化そうとしているが、ふとした瞬間には家族の繋がりを感じさせる似た笑みを浮かべているあたり、この家族らしいやりとりなのだろう。
ミニャレットは品書きが読めないのか不思議そうに首を傾げているが、都度それに気づいたサイラスが教えてやっている。
マルドはいまだフロランと話しており、いつの間にか旅猫まで加わっているではないか。
話題の切っ掛けはカレーだったはずなのに、いつの間にやら真面目な顔つきで各国の情勢を語りあっているのだから相変わらず仕事好きである。
そんな男達の真面目な会話を聞き、クロリエが溜息を吐いた。
息子の成長を見守るようでいて、どこか寂しげな表情だ。
「カルテアとマルドは客船で隠居生活をしていると聞きました。私も身を引いたのだから、国を離れた方が良いかもしれないわ……」
過去の己の行いを悔いつつ話す。
辛いものを食べられるか否かという、今になってみれば自分でも呆れてしまう基準で国民に格差を強いてしまった。心を入れ替えたことで悪政を許されはしたが、それに甘んじてのうのうと国内で生活をしていていいものか。
フロランに王位もすべて譲ったのだから、自分は国を去った方が……。
そう考えるクロリエの手をぎゅっと握ったのは、彼女の孫メイヤだ。母であるアニスの膝に座っていた彼女は、祖母の発言に不安そうな表情を浮かべて「そんなこと言わないで」とじっと彼女を見上げた。
「おばあさま、遠くに行っちゃいやよ」
辿々しい口調で話すメイヤの可愛らしさと言ったらない。
途端にクロリエが表情を緩め、「どこに行かないわ」と孫を抱きしめた。辛さ格差で国を支配していた王女とは思えぬ姿だ。当人は「どこにも行かない」と言っているが、どちらかと言えば「孫可愛さにどこにも行けない」と言うべきか。
アニスも苦笑し、穏やかにクロリエを見つめている。
一時は迫害されたものの、許し、受け入れ、そして今は共に家族として歩もうとする優しい笑みだ。
穏やかな空気が漂い、料理を終えたダレンとマーサが戻ってくれば、今度は賑やかな空気に変わる。
そこに美味しさが加わればこれ以上のものはない。