01:客船セントレイア
オーランドにエスコートされ、タラップをあがって客船へと乗り込む。
船内では船員達が並んで待っており、歓迎の言葉を皆が口にし、一人が案内を名乗り出てくれた。彼にトランクを預け、客船の説明を受けながら船内を歩く。
セントレイア号。常に世界を巡っている、世界でもトップクラスの客船だ。
客室数は並の屋敷を優に越え、最大乗員数は百や五百はくだらない。それでも時には満室になってしまうのだから、それほどに素晴らしい船なのだろう。
船内は豪華で、季節に応じて船員達が内装を変える。乗船客を飽きさせまいと常に催しを開き、時にはダンスパーティーやチェス大会なども開催されるという。そのうえ三食どころか間食も含めて世界各国の料理を提供……。
この船だけで何か月どころか何年も過ごせてしまう。
「一室を買い取って、セントレイアで生活しているお客様もいらっしゃいますよ」
「この船で生活を?」
「えぇ、我々船員を家族のように思ってくださる、素敵なご夫婦です」
穏やかに船員が話す。その口調や表情からセントレイア号や関わる者達への親愛が感じられ、聞いているステラまで穏やかな気持ちになる。
自分や同僚達がガードナー家を語る時と同じ表情だ。
そうして渡航券に印字されている客室へと案内され……その豪華さにステラは目を丸くさせた。
まず目に着くのは白く革張りのソファ。これに横たわるだけでも数泊は寝られそうなほどに大きく、見るからに柔らかい。そのうえテーブルにはウェルカムサービスのワインとチーズが置かれている。
ベッドルームを覗けば、純白のシーツに包まれたベッド。寝転がって手足を伸ばしてもベッドの縁にも届かない大きさだ。
浴室も広く、これが船内なのかと信じられずステラが窓の外を覗けば、見回す限りの広大な海が広がっている。耳を澄ませばザァと波音が聞こえてくるのだから、やはり海上だ。
「こんなお部屋に……」
と思わずステラがポツリと呟いてしまう。
この部屋でベッドメイキングし来客を持て成すならまだ分かるが、泊まるのは実感が湧かない。
そう訴えれば、オーランドが笑いながらステラのトランクを部屋の一角に置いた。
「俺の部屋は隣だ。きっと同じ造りだろうな」
「まぁ、私一人でこの部屋に泊まるんですか!? 二人一部屋ではなく!?」
「なっ……当たり前だろ!」
一瞬にしてオーランドの顔が赤くなり、らしくなく声を荒らげて否定する。
だがステラはそれどころではなく、こんな大きな部屋に一人で泊まるのかと落ち着きなく周囲を見回した。染み一つないカーテン、掘り込みのされた窓枠、美しく磨かれた窓からは青空と海の美しいコントラストが広がる。
文句の付けどころのない部屋だ。
「こんな豪華な部屋、落ち着きません……」
思わずステラが情けない声をあげ、ふらふらと部屋の隅へと寄っていった。
壁に寄り添って心細さをアピールすれば、伝わったのだろうオーランドが笑い出す。次いで彼はコホンと咳払いをして笑みを消すと、チラと隣を、壁越しに己の客室へと視線をやった。
「そ、それなら……寝るまで一緒に過ごすか?」
「まぁ、よろしいんですか?」
「あぁ、もちろんだ。だが、さすがに……寝るときは、なぁ?」
「分かっております。ぼっちゃまのお休みを邪魔するようなことは致しません」
「いや、邪魔ではないんだが……その……まだ早いし。でもいずれはだな……」
「ぼっちゃまが一緒に過ごしてくださるとなったら、心の余裕が出来ました。こんな良いお部屋を用意して頂いたんですもの、堪能しなくては!」
壁に身を寄せていたステラがパッと表情を明るくさせ、先程の切ない態度もどこへやら、ウェルカムサービスのチーズをパクリと一口頬張るといそいそと室内を散策し始めた。
もちろん「いずれは……」というオーランドの言葉は届いておらず、彼の虚脱感漂う溜息の理由も分かるはずがない。
「ぼっちゃま、どうなさいました?」
「……いや、何でもない。あとぼっちゃまはやめてくれ。せっかくだし、食事の準備までワインでも飲もうか」
そう告げてオーランドがソファへと向かう。ステラもまた彼に倣い、ソファへと腰を下ろした。
ふかっとお尻が埋まる柔らかさ。生地は滑らかで、まるで毛並みの良い猫を撫でているような心地好さだ。ここで寝てもいい夢が見れるだろう。
「着替え終えたら甲板に出てみようか。時間があえば、日が沈むのを見れるかもしれない」
「きっと素敵な眺めですね。ところで、着替えとは何のことですか?」
「スーツとドレスだ」
「スーツとドレス?」
いったい何の準備か、誰のスーツとドレスなのか。
ステラが首を傾げつつ問えば、オーランドがワインコルクを慣れた手つきで抜こうとし……、
「レストランはドレスコードがあるんだ。荷物になるから、船内で手配できるようにしておいた」
そう、さらっと告げた。
ポンッと軽快な音と共にコルクが抜ける。
だがその音は、ステラがあげた甲高い悲鳴に掻き消されてしまった。
「一番、一番サイズの大きいドレスをお願い致します……。もしそれが無ければ、カーテンの布でも巻き付けますので……!」
嘆きながら必死に訴えるステラに、囲んでいた船員達がドレスを手ににじりにじりと距離を詰める。
場所は客室から出て船内の衣裳室。壁一面に数え切れないほどの衣装が飾られている。
ステラも見覚えのあるデザインから、ドレスなのか定かではないものまで。デザイン、色、サイズ、世界中どんな船客が来てもすべての好みに対応できるようにしているのだろう、まさによりどりみどりだ。
お洒落が好きな年頃の令嬢ならば、瞳を輝かせて一晩中ファッションショーに明け暮れるかもしれない。
そんな目映い衣装室の一角で、ステラは三人の船員に囲まれていた。
客室で甲高い悲鳴を上げてからワインどころではなくなり、「大丈夫だから! 大丈夫だから!」と慌てて宥めてくるオーランドに無理やりここに連れてこられたのだ。
そうして先程の泣き言である。ステラの心境としては、今すぐに机の下に潜り込みたいくらいだ。
なにせ着るのはドレス。
メイド服ではなく、今着ているワンピースでもなく、ドレス。華やかに装おうものである。
腰も胸元もボディーラインに沿わせ、デザインによっては肩回りを露出するものだって少なくない。中には背中を惜しみなく晒しているものだってある。
そんなものを、己の体に自信を持てないステラが着られるわけがない。
だというのに衣裳室の船員達は「こちらのドレスは」だの「色は明るい方が」だのと次々とドレスを進めてくるのだ。そのたびにステラの口から細い悲鳴が漏れる。
「私、ドレスなんて着られる体じゃありません……。布を、一枚布を体に巻き付けていればいいんです……」
「ドレスコードがあるので、一枚布を巻き付けた方はレストランにご案内できません。こちらのドレスは如何ですか? カクテルドレスの中でも人気が高いものです」
「カクテル! そんな高価なもの私には勿体ないです! 私にはカクテルじゃなくて水で、ただの生水ドレスで……いいえ、生水の布で良いんです……」
「生水の布なんてものはありません」
ぴしゃりと言い切り、船員がドレスをステラの体に当ててくる。
淡い水色の綺麗なドレス。腰もとにレースを重ねており、丈は膝下まである。色こそ明るいがシックで淑やかさを感じさせるデザインた。
だが淑やかさを感じさせる下半身とは真逆に、上半身は胸元までしか布が無く、デコルテどころか肩周りや腕はすべて露出している。
これに半透明のショールを羽織ったらどうかと提案してくる船員に、ステラが再び悲鳴をあげた。
もちろん、胸元を見せるなんて考えられないからだ。
メイド仲間達の細い肩口や鎖骨を思い出せば、自分の肩回りのなんと肉厚なことか……。ドレスなんて着られるわけがない。
そうステラが訴えつつ巻き付けられそうな一枚布を探していると、
「楽しそうね。私も混ぜてくれない?」
と、鈴の音のような声が聞こえてきた。