03:ベッドは一つ、枕は二つ、ソファーが一つ
カルテアとマルドは一年の殆どをこの船で過ごしており、ゆえに顔も広い。乗船客の半分以上が顔見知りで、船員に至っては家族同然とも言えるだろう。
ゆえにティーサロンや夕食の場で話をしていると、通り掛かった者達が挨拶がてらに声を掛けてくる。
「もしかして彼女達が」だの「例の二人が戻ってきたのね、良かったじゃない」とステラ達に言及する者達もいるあたり、カルテアがステラ達の戻りをどれだけ待っていたかが伝わってくる。
それがステラにとってはなにより嬉しく、それほどまでに待ち遠しく思っていてくれたならばと話に熱が入る。
そうして夕食後のお茶を堪能しながら話し込み、そろそろお開きとなった。窓の外を覗けばいつのまにか真っ暗になっており、暗闇に包まれた海面に白い泡だけが漂っている。
もう就寝の時間だ。といっても交わす言葉は「今夜はこれぐらいで」だ。
スレダリアに着くにはまだ日数があり、話はまだまだ尽きない。
だからこそ就寝の挨拶と共に「また明日」と言葉を交わし、それぞれの部屋へと向かった。
そこでようやく二人一部屋であることを思い出したのだから、ステラはもちろん、オーランドもカルテア達との再会に浮かれていたのだろう。
つい数分前まで楽しかったと話しながら部屋へと戻っていたというのに、一つの扉を前にした途端にピタリと止まってしまった。
「……私、大事なことをすっかりと忘れていました」
「俺もだ」
互いに失念していたことを口にし、それでも立ち往生しているわけにはいかないと扉を開ける。
ゆっくりと押し開いた扉の先にある客室は広く、今までの旅で泊まったどの部屋よりも豪華と言えるだろう。
だが寝室は一つ、ベッドも一つだ。枕は二つ。
「今日は疲れただろう、だから今夜は俺がソファーで寝るから、ステラはベッドで……」
「させません!」
オーランドの言葉を遮り、ステラがズサッと勢いよくソファーに滑り込んだ。スライディングさながら倒れ込めば、上質のソファーがボフンと受け止めてくれる。
もちろんスカートは押さえたままだ。強引な手段だが恥じらいは捨てられない。
「ス、ステラ!?」
「このソファーは私が占拠致しました。ぼっちゃまはベッドで眠るしかありませんよ!」
「入浴を済ませて少し寛ぎたいから、占拠されるのは困るんだが……」
オーランドが唖然としつつも尤もな指摘をすれば、ソファー争奪しか考えていなかったステラがはっと息を呑んだ。自分の失態を恥じ、慌てていそいそとソファーの隅へと移動する。
恥ずかしさのあまりソファーの隅で身を丸めれば、オーランドが笑うのが聞こえてきた。もちろん、今のステラには彼の様子を確認する余裕は無い。
「先にシャワーを浴びてきて良いか?」
「ど、どうぞごゆっくり……。私いまお湯を浴びたら、恥ずかしさと温かさで直ぐにのぼせてしまいそうです」
「それなら少し涼んでいてくれ。バルコニーに出て、夜風に当たってもいいかもしれないな」
「そういたします……」
ステラが立ち上がりふらふらとバルコニーへと向かえば、それを見たオーランドが苦笑交じりに「落ちないように」と告げて浴室へと向かっていった。
オーランドに続きステラも入浴を済ませ、二人でソファーに座ってウェルカムサービスのワインとチョコレートを食べる。
耳を澄ませばざぁと船が海原を走る音が聞こえ、その音の心地好さに浸るようにステラが瞳を閉じた。
ふわふわとした酔いもあってか、まるで海の上を漂っているような感覚になる。
気分はクラゲだ。
以前メイド仲間と海に遊びに行ったとき、ふわふわと漂うクラゲを見た。今のステラの意識のようにふわふわと当てもなく揺らいでおり、浅瀬に乗り上げそうになっても焦る様子はなかった。
それどころかこのままでは乗り上げてしまうと焦ったステラが「こっちに来ちゃ駄目よ」と海面を叩いて知らせたほどだ。
のんびりと揺蕩う姿は夜空に浮かぶ雲のようでもあり、お皿の上のゼリーのようでもある。
「クラゲはしょっぱいかもしれませんね」
「クラゲ?」
「えぇ、でもきっともちもちとしていて美味しいはずです。お鍋に入れてもいいですね。でも煮たら崩れてしまうかもしれません」
「疲れもあって酔ったのか。ステラ、もう寝よう」
優しく肩を擦られ、ステラがふわふわとする思考の中で頷いて返す。
立ち上がるのも、就寝の準備も、酔いのせいで意識はぼんやりとしてオーランドに促されるままだ。
もちろんそんな意識のままではソファー奪取など出来るわけがなく、「ほら、ちゃんと布団をかけて」という彼の言葉に従い、もぞもぞとベッドにあがると布団の中に潜っていった。
意識は殆ど微睡んでおり、オーランドの言葉にコクコクと頷くだけ。
「おやすみ……なさい、オーランド様」
微睡んだ声で告げれば、オーランドが苦笑を浮かべ「おやすみ、ステラ」と返事をすると共にステラの額にキスをしてきた。子供を寝かしつけるようなキスだ。
だがそれも今のステラにはふわふわと漂う意識を蕩けさせるだけで、後押しされるようにゆっくりとした呼吸を寝息に変えた。