05:おいしいドラゴン
どんな料理が出るのか、どんな珍しい魚がいるのか、時にはイルカやクジラといった生き物にまで話を広げつつ過ごしていると、窓の外に海が見え始めた。
太陽の光を受けて輝く海面、波打てば白い泡が線を描き、大小様々な船が浮かぶ。港からは活気のある声が風にのって届き、なんと心地好いのだろうか。
その中でもとりわけ目を引くのが、港に停泊している一艘の客船。
家一軒どころか、屋敷一軒入りかねないほどの大きさ。白い船体は汚れ一つ無く、海の上に鎮座する様が美しい。
「あれが俺達の乗る船だ」
「まぁ、あんな素敵な船に乗るんですか!?」
「船出は豪華にと父さんが言っていたからな」
「旦那様が……。ここはメイドとして辞退すべきなのに、あんな素敵な船を前にしたら甘えたくなってしまいます」
どうしましょう、と呟くステラの声色は随分と熱っぽい。言葉でこそ迷いを見せているが、心は既にあの客船に捕らわれているのだ。
これが仮にもう少し控えめな豪華さの客船であったなら、ステラは自分を律し、ガードナー家にそんな出費はさせられないと言えただろう。
元よりそこそこの値の船を乗り継いで行き当たりばったりで行こうと思っていたのだ、自分はランクを落とした船に乗ってオーランドを追っても良かった。
ステラは一介のメイド、対してオーランドはガードナー家の跡取り。移動手段に差がつくのは当然である。
だがそびえたつ客船は、そんな考えを容易に打ち砕いてしまう。
馬車から降りて目の前にすれば尚の事。白く輝く船体には金色の文字でセントレイア号と名前が描かれ、細かな彫で飾られた窓が並ぶ。
見惚れてしまう美しさ、周辺の船も霞むほどだ。
思わず胸が弾み、期待で瞳が輝いてしまう。
そんなステラを横目に、オーランドが満足そうに頷くと「乗船までまだ少しあるな」と二人分のトランクを持って歩き出した。
「待ってくださいませ、ぼっちゃま。私こんな立派な船……」
「あっちでフルーツを売ってるから覗いてみよう。あとぼっちゃまはやめてくれ」
「フルーツよりも船ですよ、ぼっちゃま。これほどまでの客船、どれだけかかったか……。いくら餞別とはいえ流石にこれは」
「大きな商船が着いたばかりみたいだから、もしかしたら珍しいフルーツがあるかもしれないな。それとぼっちゃまはやめてくれ」
呼び方こそ逐一言及してくるが他は一切聞こえないふりをして歩き出すオーランドに、ステラは「なんて強引なぼっちゃまなんでしょう」と苦笑を浮かべながらその隣を歩いた。
二人が向かったのは、港にある屋台の一つ。フルーツをその場で剥き一口サイズに切って売ってくれる店だ。
飾り気のない乱雑な切り方、串に刺したり皮を皿代わりにしたりと盛り付けも豪快。だがそれが港の屋台らしく、海風の心地好さとよく合う。
もちろんメニューなんてものはなく、店先に山を成す果物から自ら選ぶのだ。それらを覗き込み、ステラが「あら」と声をあげて一つを手に取った。
濃いピンクの表面に、ところどころが皮がむけるように跳ねている。なんとも不思議な外観の果物だ。
「見てくださいぼっちゃま、不思議な果物があります。これは何でしょうか?」
「知っているが、ぼっちゃまと呼ぶなら教えてやれないな」
「まぁ意地悪。それならオーランド様、これは何でしょうか?」
「ドラゴンフルーツだ。前に本で読んだことがある」
「ドラゴンですか?」
名前を知り、ステラが改めて手にしていたフルーツを見つめる。
始めて見たとステラが告げれば、オーランドも自分もだと頷いた。
「俺も本で読んだだけで実物は初めて見る。確か熱帯地方のフルーツで、あまり日持ちしないらしい。だからだろうな、ここいらにはめったに流れてこない」
「さすがぼっちゃま……いえ、オーランド様。博識ですね」
「しょせん知識だけだ。店主、これを貰おう、ここで食べるから二人分に剥いてくれ」
そうオーランドが注文すれば、店主が活気のある声で応じてきた。
そのうえ「一目でこれが分かるなんて、あんた物知りだねぇ」と気さくに話しかけてくる。
きっとオーランドのことを単なる旅行客とでも思っているのだろう。
確かに、護衛もつけず、そのうえ二人分のトランクを持っているのだ。更にステラは普段のメイド服ではなくワンピースを纏っているのだから、まさかガードナー家の嫡男とメイドとは思うまい。
そんな店主にオーランドが楽し気に笑って返す。どうやらこの扱いが満更ではないようだ。
「お二人さんは旅行かい?」
「あぁ、今泊まってる客船で海を渡るんだ。世界を見て回ろうと思って」
「そりゃいい、良い旅を!」
気風よく笑いながら店主が切り終えたドラゴンフルーツを差し出してくる。
半分に切り、中をくりぬいて皮を皿代わりにする、盛り付けとさえ言えない盛り方。端に刺さっている串はフォーク替わりだ。
そんな串の先にはハート型に切られたイチゴが刺さっており、店主が「船出の餞別だ」と笑った。
「私、イチゴ大好き。ありがとうございます」
ステラが店主からドラゴンフルーツを受け取り、そこにちょこんと飾られるイチゴに表情を綻ばせた。
ドラゴンフルーツは皮の赤さに反して中は白く、点々と黒い粒が散っている。そんな中に真っ赤なイチゴのハートはよく目立つ。まるで白いカスミソウに囲まれた赤い薔薇のようではないか。
そうして店主に礼を告げ、海辺のベンチで食べようとオーランドと共に歩き出し……、
「よい新婚旅行を!」
という店主の言葉に、二人揃って目を丸くさせ顔を見合わせた。
「確かに、傍から見たら新婚旅行に見られるかもしれませんね」
「あ、あぁ、そうだな……」
「そそっかしい店主さん。でもおかげでイチゴが食べられましたね、それも可愛いハートのイチゴ」
嬉しそうに話しながらステラがイチゴを頬張る。
噛めば程よい酸味と甘みが広がり、香りがふわりと鼻に抜けていく。見た目は可愛らしく、皮を剥いたり切る必要がなく食べやすい、そしてなにより甘くて美味しい。イチゴとは素晴らしい果物だ。
次いでカットされたドラゴンフルーツを一欠けら串に刺した。白地に小さい種がちりばめられ、なんとも不思議なものだ。
断面図が外観通りのイチゴとは真逆。ピンクで皮の反り返った外観に反して、中は白く黒い粒が散っているなど、いったい誰が想像出来るというのか。
なんとも不思議な果物である。そのうえオーランド曰く、中身も皮と同じピンク色のドラゴンフルーツもあると教えてくれた。謎は深まるばかりである。
「ではぼっちゃま、まずは私が毒見を致します……!」
ステラが決意を胸に、覚悟を決めた表情でオーランドへと視線をやる。
……が、「ん?」と不思議そうにこちらを向くオーランドは、既に半分近く食べ進めていた。
「ぼっちゃま! なんて不用心な!」
「ぼっちゃまって呼ばないでくれ。毒見もなにも、ドラゴンフルーツに毒は無いからな」
「ですがドラゴンですよ!? トカゲやイモリフルーツならまだしも、ドラゴンですよ!」
「言いたいことは分からなくもないなぁ。だけど本当に毒は無いんだ、ステラも食べると良い」
ほら、と促され、ステラが改めてドラゴンフルーツに向き直った。
恐る恐る口を開き、カプと一口サイズの更に半分を齧る。そうしてシャグシャグと数度咀嚼し……その美味しさに瞳を輝かせた。
甘い。だがイチゴとはまた違った甘さだ。香りも味も薄いがそのぶんみずみずしく、さっぱりとした味で喉の渇きも癒されそうなほどだ。濃いイチゴを食べたあとの口をさっぱりとさせてくれる。
実自体は柔らかいが小さな種が噛むたびにプツプツと潰れて、触感も小気味よい。
思わずステラが頬を押さえた。「美味しい!」と感動の声がつい口から出てしまう。
「ぼっちゃま、さっぱりしていて美味しいです!」
「あぁ、これは確かに他の果物とは違った美味しさだな。味は薄いが、微かな甘さがひきたってる」
「ドラゴンはドラゴンでも、良いドラゴンですね。これはトカゲやイモリでは役不足です」
「言いたいことが分からないでもないなぁ」
「私いつかドラゴンを見てみたいと思っていましたが、なんだか満足してしまいました」
「妥協点が低すぎやしないか?」
そんな話をしつつドラゴンフルーツを堪能し、ちょうどステラが食べ終わった頃に客船から出てきた船員たちが乗船の開始を告げた。白い船体にはタラップが降ろされており、その手摺すら美しく磨き上げられているのだから流石だ。
周囲で休んでいた者達が誰からともなく立ち上がる。
誰もが気品を漂わせており、使いを従えているものがほとんどだ。
客船が客船なだけあり、きっと相応の身分の者達なのだろう。数人に囲まれ、荷物どころか日傘も持たせている者すらいる。
それを見て、ステラが慌てて自分とオーランドのトランクへと手を伸ばした。今度こそ自分のトランクを、むしろ彼の分も自分が持たねばと考えたのだ。
だが寸でのところで別の手に取られてしまう。言わずもがなオーランドである。
彼は二人分のトランクを軽々と持ち上げると、「俺達も行こう」と歩き出してしまった。
「ぼっちゃま、荷物は私がお持ちします!」
「いいよ、どうせ客室までだ」
「いけません、仮にもぼっちゃまはガードナー家の嫡男なのですから。これでは逆です!」
「逆か、それもいいかもな」
ふっとオーランドが笑みを零し、次いで二人分のトランクを片手に持ち替えた。
そうしてタラップの手前で足を止め、ステラへと手を差し出してくる。まるでエスコートだ。
「段差に気を付けて、ステラお嬢様」
優雅に微笑みながら促してくる。
これにはステラも目を丸くさせ、「まったくぼっちゃまてば」と小さく呟いた。だが言葉とは裏腹に、自然と笑みが零れてしまう。
次いで彼の手に己の手を重ねれば、柔らかく握り返された。エスコートされ階段を上る、まるで社交界の令嬢になった気分だ。
なんとも言えない気恥ずかしさにステラがクスクスと笑えば、オーランドもまた楽しそうに目を細めた。
「完璧なエスコートですね、さすがぼっちゃま」
「ぼっちゃま呼びをやめてくれたら、より完璧なエスコートになりそうだけどな」
「そうでした、オーランド様。懐かしい、社交界デビューの日までたくさん練習しましたものね。デビューの日は失敗してしまわないかと屋敷の皆で陰ながら見守っていたんですよ」
懐かしい、とステラが当時を語る。
屋敷中がオーランドの社交界デビューを応援し、そして固唾をのんで見守っていたのだ。
非番の者さえも何かあった時のためにと案じ、無給で良いからと屋敷を手伝っていた。中には願掛けを行っていた者までいたほどだ。
当時まだ自身も見習いから脱したばかりのステラでさえ、その空気に呑まれて緊張しながら彼を見守っていた。ーーちなみにステラも願掛けした者の一人なのは言うまでもなく、三時のおやつ絶ちをする姿に誰もが本気だと慄いていたーー
その時のことを話せば、オーランドが気恥ずかしそうに「どうりであの日は人が多いと思った」と頬を掻きながら笑った。