02:泥棒の家
「あぁ、ミニャレットがまたやったのか……」
そう溜息混じりに呟いたのは、村の警備を務める青年。名前はサイラス。
警備を担うだけあり体躯が良く、短く切られた灰色の髪に男らしい顔つき、声も太く雄々しさすら感じさせる。佇むだけで番になるような青年だ。
もっとも、小さな村ゆえに事件など無く、仕事はもっぱら雑用係だという。警備も彼一人というのだからこの村がどれだけ平和かが窺える。
たまにくる旅客の面倒も仕事の一つらしく、彼はステラとオーランドの姿を見つけるや声を掛けてくれた。
そうして先ほどのミニャレットの一件を聞き、盛大な溜息を吐いたのだ。ガシガシと頭を掻けば、短く切り揃えられた灰色の髪が揺れる。
「来るなり面倒事に巻き込んで申し訳ないな」
「いや、巻き込まれる前に向こうが逃げたから構わないんだが。彼女はこの村の子なのか?」
「あいつはミニャレットといって、数年前にこの村に流れ着いた獣人だ。今は勝手に寝床をつくって過ごしてる」
困ったもんだ、と溜息を吐きつつ、サイラスが説明しながら歩く。
そうして説明の最中に立ち止まり、一角を指さした。
並ぶ家の間。大人一人がギリギリ通れるぐらいの小道とさえ言えない隙間だ。そこに大きな傘が二本組み合わされ、簡易的な屋根が作られている。ご丁寧に地面には布が敷かれており、誰かが居ついているのが分かる。
といっても、多少の雨風こそ一時的にしのげるだろうが長居は不可能。たとえるならば子供が遊びでつくる秘密基地のような場所だ。
夕方に遊びで基地を造り、そこで遊び、翌日訪れると壊れている……そんな程度のものである。
それを見るように促され、ステラとオーランドが揃えて首を傾げた。
「あれがどうかしたのか?」
「マルミットでも子供は基地を作るんですね。懐かしい。ぼっちゃまは大きくなっても基地作りがお好きで、以前にご友人とお庭に立派な基地を作って、夜にこっそりと私を招待してくださいましたね」
「懐かしいな。……あれは基地というか友人達から『ここならステラと二人きりになれるだろ』とせっつかれて作ったんだが」
「私と二人きりに?」
「いや、なんでもない、気にしないでくれ。それよりあれが何だって言うんだ?」
どうして子供が作った基地を見せられているのか、そうオーランドが尋ねる。どことなく誤魔化すような白々しい口調だが、ステラは言及せずにサイラスの返答を待った。
彼は建物の合間にある基地をじっと見つめた後、またもガシガシと頭を掻いた。
「あれは子供の基地じゃない。ミニャレットの家だ」
「家……? あれが家ですか!?」
サイラスの言葉が信じられず、ステラが彼とミニャレットの家を交互に見やった。
『ミニャレットの家』と説明されたそこは、とうてい家などと呼べるものではない。家の隙間に応急的な屋根と布を設けた程度だ。
あの獣人少女は、たった一人でこんな薄暗い場所で暮らしている……。
その光景を想像すれば、ステラの顔色がサァと青ざめていった。なんて胸を痛める光景だろうか。想像だけで苦しくなる。
だがそんなステラの反応に気付いたのか、サイラスが「そこまで心配しなくていい」と宥めてきた。この言葉に、青ざめていたステラがカッと目を見開いた。
「あんなに幼い子をこんな過酷な場所で生活させて、いったいどこが心配しなくて良いというのですか!」
「いや、ミニャレットの家は確かにあそこなんだが」
「こんなところで暮らしていては、きっと食事もままならないはず。あぁ、あの時に事情を知っていれば……!」
ミニャレットの生活を想い、ステラが悲痛な声をあげる。
彼女はこの狭い小道でひっそりと暮らしているのだろう。小さな体をより縮こませ、雨風の酷い時には震え、夜の暗闇に怯え、そして空腹の果てに追い剥ぎという悪行に手を出してしまったに違いない。
追剥は悪い事だ。だがその罪を犯せねば生きていけないほど、ミニャレットは追い込まれてしまったのだ。
それを『心配ない』とはどういう事か。村を守る警備として、いや、大人として無責任ではないか。
そうステラが訴えようとした瞬間「ニャニャ?」と声が割って入ってきた。
「ミニャレットのおうちに何か用かニャ?」
そう声を掛けてきたのは、他でもないミニャレット本人だ。
村の外で会った時は伏せていた耳も今はぴょこんと立ち、不思議そうにサイラスを見つめている。
だがステラとオーランドに視線を向けると、先程の自分の行いを思い出したのか慌てて身構えた。栗色の耳を一瞬にしてペタリと伏せる。
「ミ、ミニャレットは何も盗ってニャいニャ! 悪い事してニャいもん!」
「ミニャレットさん、落ち着いてください」
「盗ったのはお昼にお弁当屋さんからだけだもん!」
フー! と威嚇の声をあげて無罪を訴える――弁当に関しては自白しているが――ミニャレットに、サイラスが溜息を吐いた。
次いで彼の手がミニャレットへと伸ばされる。オーランドと同じくらいに大きく、そしてゴツゴツと骨ばっている、まさに男らしい手だ。小柄なミニャレットの頭なら容易に掴めてしまうだろう。
もしやその手で彼女を殴るのではないか、そう考えてステラが息を呑んだ。
サイラスは村唯一の警備、盗みの自白を見逃すわけが無い。
だからこそステラは「待ってください!」と声をあげたのだが、サイラスの手はミニャレットを殴ることは無く、それどころか優しくポンと彼女の頭に載るとゆっくりと撫で始めた。ミニャレットの猫耳がぴょこぴょこと揺れる。
「ちゃんと野菜の入った弁当を盗んだか?」
「盗んだニャ。昨日はお魚の入ったお弁当を盗んだから、今日はお野菜のお弁当を盗む日ニャ」
「そうかそうか」
満足そうにサイラスが頷く。ミニャレットもまた得意気に「盗みは得意ニャ」と胸を張った。
警備と弁当泥棒の会話とはとうてい思えない、傍から見れば愛でているようにさえ見えるやりとりだ。
だがしばらくするとミニャレットがはたと我に返り、慌てて手にしていた袋をぎゅっと両腕で抱えるように隠した。
「ニャにも持ってないニャ! ミニャレットはニャにも盗んでニャいもん!」
「なんだおやつか。夕飯が入らなくなるからあんまり食べ過ぎるなよ」
しらを切ろうとするミニャレットに、対してサイラスは暢気に答えている。
それどころか「今日は何を盗んだんだ?」とミニャレットの隠し持っている袋を覗き込もうとしているではないか。
これにはミニャレットも慌てて、フー! と威嚇の声をあげるとパッと彼のもとから離れた。その素早さはさすが獣人であり、念を押すように「盗んでニャい!」と告げると逃げるように建物の隙間にある自宅へと入っていった。
そうして最後に、
「クッキーニャんて盗んでニャいもん!」
と声をあげると、住処の奥に置いていた傘をボンと開いて道を塞ぐように設置してしまった。
住処の扉代わりにしているのだろう。といってもたかが傘、どかすのは簡単である。
だがサイラスにそれをする気は無いのか、扉代わりの傘を眺めて肩を竦めるだけだ。相変わらずだと呟いてさっさと歩き出してしまう。
案内役の彼が歩き出してしまってはステラとオーランドもそれに従うほかなく、扉を固く閉ざす――といっても傘だが――ミニャレットの住処をチラと一瞥し、それでもと彼の後を追った。