01:可愛い追いはぎ
マルミットは広い国である。
山や大河といった陸地を分断するものもなく、高低差も少なく、ただ広大な土地がどこまでも広がっている。面積で言うならば、他所の国一つ二つ合わせても足りないほどだろう。
そのせいか国内であっても文化や生活の違いがあり、汽車を降りた都市こそ栄えていたものの、そこから馬車に乗ると次第にのどかな景色へと変わっていった。
密集していた建物が広々とした田畑にかわり、行き交う人々の衣服も洒落たものから動きやすい質朴なものへと変わっていく。動物も増え、まさに都会から田舎へ。
流れる景色でその変化を実感するのは不思議な感覚だ。
「同じ国なのにだいぶ景色が変わるな」
「えぇ、スレダリアもそこそこ土地のある国ですが、ここまで国内で景色が変わったりはしませんね」
まるで国を跨いだかのような変化に、ステラが吹き抜ける風に髪を揺らしながら話す。
汽車で降りた駅から既に景色は大きく変わり、今はだいぶ田舎らしい景色が広がっている。目的の村はここからさらに馬車で走らせて一時間という。その頃にはいったいどんな光景が広がっているのだろうか。
そしてそこで食べられる『鍋』とはどんなものなのか……。
楽しみだとステラが髪をたなびかせながら告げれば、オーランドも穏やかに微笑んで頷いた。
……そうして二人でしばらく見つめ合い、はたと気付くとどちらかともなく顔を背けあう。
ステラはわざとらしく窓の外を眺め、オーランドは「少し暑いな」と己を仰ぎつつ馬車内に不自然に視線を向ける。
このやりとりはもう何度目だろうか。
(今日は妙にぼっちゃまと視線が合う気がするわ……。なんだかぼっちゃまと視線があうと顔が熱くなってしまう)
そうステラが心の中で呟く。落ち着きなさいと自分に言い聞かせ、チラとオーランドの様子を窺った。
彼はいまだ馬車の内装を眺めている。……が、ステラが様子を窺っていると、チラと彼も横目で見てきた。
バッチリと目があってしまい、またも再び二人揃えて顔を背ける。
「木がいっぱい生えてますね」だの「良い内装だ」だのと口にして誤魔化しているが、まったくもって心がこもっていない。そもそも、木などあえて取り上げるほど珍しいものでもなく、そして馬車の内装もこれといって凝ったものでもないのだ。
乗り継ぎの馬車は幸いステラとオーランド以外の客はいないが、仮に他の乗客がいれば、二人のこの白々しいやりとりを怪訝そうに見ていただろう。もしくは、何かしら感じ取って微笑ましく見守るかだ。
そうして同じようなやりとりをさらに二度ほど繰り返し、ようやく目的の村へと辿りついた。
マルミットの中でもかなり端に位置する小さな村だ。御者曰く、そう遠くない距離に栄えた町があり、観光客は殆どそちらへ流れているらしい。
だがこの村も廃れたり過疎化しているというわけではなく、いわゆる『知る人ぞ知る』という観光地なのだという。
「『何も無いからこそ良い』というのも不思議な話ですが、なんとなく分かりますね」
「あぁ、時にはこういった場所でゆっくり過ごすのも良いな。……ん?」
御者からの説明を思い出しつつ、いざ村へ入ろうとし、横から現れた影に気付いてオーランドが足を止めた。
それとほぼ同時に「そこの二人組!」と声が響く。
声の主は一人の少女。年のころならば十二歳かそこいらだろうか。愛らしい瞳は今は厳しくステラ達を睨み、髪と同色の栗毛の三角耳を伏せて威嚇を示している。
……そう、栗毛の三角耳が生えているのだ。
それはさながら猫の耳のようで、それでいて本来人の耳があるべきところより少し上にちょこんと座している。
見ればワンピースから出ている手足も栗色の毛で覆われており、ビシリとこちらを指さしてくる手の平には肉球が見える。それでいて顔や体つきは人そのものだ。
猫を模したような人、これもまた獣人の形である。
砂漠で出会った旅猫が『獣寄りの獣人』であるならば、彼女は『人寄りの獣人』と言えるだろう。どちらも獣人であり、その愛らしさにステラがホゥと吐息を漏らした。
可愛らしい少女でいて、可愛らしい猫でもある、可愛らしさの相乗効果。
だがすぐさま息を呑んだのは、愛らしい獣人が厳しい口調で「持っているものぜんぶ置いてけニャ!」と命じてきたからだ。
「ぼっちゃま……彼女は……」
「追い剥ぎというやつだな。ステラ、危ないから下がっていろ」
オーランドが守るようにステラの前に腕を伸ばす。
本来であればメイドの自分が勇み立って前に出るべきなのだが、自分を背に隠そうとするオーランドのなんと頼りがいのあることか。思わずステラもオーランドの指示に従い、半歩下がりつつ彼に身を寄せた。
見たところ獣人の少女はさほど強そうには見えないが、睨みつけてくる瞳には威嚇の色がありありと見える。それに彼女はどれだけ可愛かろうと獣でもあるのだ。もしかしたら見た目に合わず凶暴なのかもしれない……。
そうステラが警戒しつつオーランドの背中越しに獣人少女を見つめれば、彼女は栗色の耳を伏せながらキッと厳しく睨みつけてきた。
「お、おっきい人だって怖くニャいからニャ! ミニャレットは強い子だから、おっきぃ人だって……お、おっきぃ人だって怖くニャいもん……!」
ミニャレットと名乗った少女が睨みつけてくる。
だが心なしかその声は震え、見れば腰元から伸びる栗色の尻尾も足の間に巻き込まれている。「怖くニャいもん……」という声も、数度繰り返すうちに声量が弱くなり、はてには聞こえなくなってしまった。
これは威嚇というより怯えた時の猫の反応だ。
試しにとオーランドが拳を握りゆっくと上げれば、ビクリとミニャレットの肩が震えた。
こちらを睨みつけてはいるものの、その表情を見るに威嚇よりも恐怖が勝っている。瞳は潤んで今にも泣きだしかねないほどだ。
恐怖心を抱き、それでも精一杯の虚栄心を張っているのだろう。
だがそれも限度がきたのか、「今日はここまでにしてやるニャ!」と勝手に終いの言葉を口にした。
栗色の耳はペッタリと伏せ、尻尾は右足に巻き付いている。
「う、運の良い奴らニャ! せいぜいミニャレットの気まぐれに感謝するニャ!」
ぷいとそっぽを向いて、ミニャレットが足早に村の中へと去っていく。敗走と言える背中だ。……戦ってもいないが。
そのうえ生憎と行先は同じ方向のようで、これにはステラもオーランドも困ったと顔を見合わせた。
今歩き出せば、きっとミニャレットは後を着いてきたと勘違いしてしまうだろう。
今でさえ彼女はチラチラと横目で窺いつつ歩き、一角にぴゃっと逃げ込むほど怯えているのだから、自分を追いかけていると勘違いしたら泣き出しかねない。
それは胸が痛む……とステラがオーランドを見上げれば、彼も同感だったのだろう困惑の表情を浮かべている。
「ぼっちゃま、どうしましょうか。まだ建物の陰からこちらを見ていますよ」
「ゆっくりと彼女を刺激しないように村へ入ろう。極力彼女の方を見ないようにしないとな」
「そうですね、怖がらせてしまったら可哀想ですものね」
ゆっくりと慎重に、とステラとオーランドが確認し合い、そろそろと歩き出した。
※本日より最終話まで毎日20:00に更新します。
最後までお付き合い頂けますと幸いです。