05:君といるために
「宿泊料は俺が出すよ」
「まぁ、いけません。私最初に停まったお部屋の宿泊料こそ出せませんが、一番安いお部屋であれば泊まれます。いざとなればベッドメイクの腕を見せて給仕として船に乗り込んでみせます」
きっぱりとステラが断言する。
さすがに客船の宿泊料は甘えていい値段ではない。いや、そもそも旅行中に出してもらった分も、ガードナー家に戻ったら清算して払わねばいけない。
そう話すステラに、オーランドが肩を竦めた。その表情はまるでステラの事を頑固者とでも言いたそうな表情だ。
「ステラ、俺はステラと一緒に居たいから旅に出たんだ。ステラと一緒だからこんなに旅が楽しいと思える」
「……ぼっちゃま」
「二人で出発して二人で世界を回ってるんだから、自分だけ安い部屋なんて言わないでくれ」
諭すような優しい声色で同意を求められ、ステラはじっと彼を見つめた。
深い色合いの瞳。髪色と合わさって、彼の落ち着いた雰囲気をより魅力的に見せる。低い声はステラの胸にじんわりと溶け込み、ほわと温まってくる。
そんなに自分との旅を大事に思ってくれていたなんて……。
(それも、私と一緒に居るために旅に出たなんて……。あら、私と一緒に? ぼっちゃまは家を継ぐ前に世界を見ようと旅に出たのでは……?)
おや、と引っ掛かりを覚え、ガードナー家を出る際に交わしたやり取りを思い出す。
あの時確かにオーランドは「家を継ぐ前に世界を見ておきたい」と言っていた。そのタイミングがステラの旅立ちと合い、せっかくだからと同行を申し出てくれたのだ。
だが先程オーランドは「ステラと一緒に居たいから旅に出た」と言っていた。
考えてみれば、旅立ってから今日に至るまで、目的が別なのに常に一緒というのもおかしな話ではないか。いくら行先のない勝手気ままな旅とはいえ、ステラにもオーランドにも各々の目的があるのだから、時には行動を別にしているはずだ。
『美味しいもの巡り』と『家を継ぐ前の見聞』と真逆に近い目的なのだから尚の事。……もとい『結婚相手探し』と『家を継ぐ前の見聞』なのだから尚の事。
(でもぼっちゃまは常に一緒に居てくださったわ。今だって、お鍋を食べにマルミットに向かっている)
それを不思議とも思わなかったが、今はっきりと「一緒にいるため」と言われた。
途端にステラの胸の内がボンと熱くなった。先程のような心地好い暖かさではなく、フランベされたような熱さだ。
心臓が跳ね上がり、落ち着かせるために飲んだはずの紅茶の味すら分からない。
「そ、そこまで言ってくださって……とても感謝します。で、では、セントレイア号を見つけた際にはお言葉に甘えさせて頂きます」
「あぁ、きっと夫人達も喜ぶはずだ」
しどろもどろなのを取り繕って答えるステラに、気付いていないのかオーランドが満足そうに頷く。
次いで「どうした?」と尋ねてくるのは、きっとステラの頬が赤くなっているからだろう。言われずとも自覚しているステラが慌てて頬を押さえ、乾いた笑いで誤魔化した。
食堂車が少し暑い、軽食と暖かな紅茶で体が暑くなってきた、思い出話で興奮してしまったみたい……と、あれこれと言い訳を口にする。
幸いオーランドはステラの言い訳に納得してくれたようで、互いのカップが空になっているのを確認すると「席に戻ろうか」と立ち上がった。
「到着まであと一時間もないはずだ。席に戻って降りる準備をしておこう」
「え、えぇ。到着したら宿を取りましょう。私、なんだか今夜は考えすぎてしまいそうです」
こういう時は入浴して気分をさっぱりさせ、早く眠るに限る。
それが一番だとステラが話せば、オーランドが不思議そうに顔を覗き込んできた。具合が悪いのかと案じてくる声は優しく、ステラが慌てて首を横に振る。
「大丈夫です。ちょっと……そう、ちょっと早く走ったために疲れてしまったんです」
「ステラは座っていただけじゃなかったのか?」
「いいえ、早く走っています。なにせあと一時間足らずでマルミットに到着しますからね」
ステラが断言すれば、これは大事無いと判断したのかオーランドが笑う。「到着まで気を抜かずに走ろう」と冗談めかす彼の声は穏やかで、このやりとりを楽しんでいるのが分かる。
いつも通りの、見慣れた彼の笑みだ。変わらぬその表情に安堵を覚え、ステラは彼と共に食堂車を出た。
羽織っていた彼の上着の裾をぎゅっと強く掴みながら……。
マルミットに到着したのは、日付が変わる直前。
駅を出たその足で宿を探しに出れば、幸い店を回ることなく部屋を見つける事が出来た。絢爛豪華とは言い難い宿だが、それでも一人一部屋で体を休めるには充分である。
この宿に泊まり、明日は昼過ぎまでゆっくりと過ごす。目的の宿までの道程を調べて、準備をし、更にもう一泊をして翌朝に経つ予定だ。
そんな宿のベッドで横になり、ステラはふぅと深く息を吐いた。
たっぷりと張ったお湯につかり、慣れない汽車移動での疲労は癒された。用意されていた寝間着も肌触りが良く、今すぐにでも、それどころか気を抜けば一瞬にして眠りについてしまいそうだ。
だけど……とステラが再び吐息を漏らした。
食堂車で告げられたオーランドの言葉が頭の中で繰り返される。自分と一緒に居るために旅に出たのだと、一緒だから楽しいのだと言ってくれた。
「今までだって、ぼっちゃまに『一緒に』と誘っていただいた事はあったのに……」
一緒にハイキングに行こう、一緒に図書館に行こう、買い物に行こう……。何かあるとオーランドはステラを誘い出してくれた。
夏祭りもそうだ。彼は毎年夏祭りに行くために苦手なものを克服していた。
だけど思い返してみれば、彼は『ステラと一緒に夏祭りに行くために』と嫌いなものを克服していたではないか。
それはもしかして、とステラが考えを巡らせる。それと同時にポッと頬に熱が灯った。
今まで何度も聞いていた「ステラと一緒に」というオーランドの言葉。いつもは嬉しさと感謝と共に受け止めていたその言葉が、今日に限っては耳に残って離れてくれない。
「こういう時は眠るのが一番よ! グッスリと眠って、お腹いっぱいになったら改めて考えましょう!」
誰にともなく宣言し、ステラはいそいそと枕元の明かりを消した。
「おやすみなさい、ぼっちゃま。……いえ、オーランド様」
聞こえないと分かっていても壁越しのオーランドに告げる。
布団に潜ればあっと言う間に睡魔が意識を包み、委ねるように目を瞑った。
一枚の壁を挟んだ隣の部屋。
そこではようやく己の発言に気付いたオーランドが枕に顔を埋めて悶えていたのだが、考えるのは後回しと切り替えぐっすりと眠るステラは知る由もない。