07:星のドレスと月の贈り物
夕食後コテージに戻ろうとしたところ、夜になったらまた出てくるようにマーサ達に言われた。
オアシスは昼と夜で衣装を変える。夜のオアシスを楽しまないのは旅の半分を損している……と、そこまで言われては出てこないわけにはいかないだろう。
ひとまずコテージで夕食後の軽い休憩を取り、日が落ちきりしばらくするとコテージから出て……。
……そして、目の前の光景の美しさに言葉を失った。
日中は賑やかで楽し気だったオアシスは、夜になると星空を湖に移して神秘的な空気を纏う。
上を見れば星空が広がり、下を見ても湖に映り込んだ星が輝く。視界全てが星で覆われるのだ。
月が輝くこの時間。それでもオアシスは程よい暑さを纏い、湖も日中の熱を残しているのか浸かるに心地好い温さを保っている。湖に足を浸ければ、まるで星空を浮いているような気分になる。
「上等の部屋が無いと聞いた時は驚いたが、確かに部屋なんて関係無いな」
そう話しつつ、湖の縁に腰掛けていたオーランドが水面に手を添えた。
軽く水を掻けば水面に映っていた星が揺らぎ、その様はまるで尾を引く流れ星のようだ。
ステラも同じように水面に触れた。揺れる月をちょいと突っつけば、丸かった月が震え、上から押さえるように手を添えれば湖の中に消えていく。
それに見惚れると同時に、コテージの質素さを理解した。
今夜泊まるコテージは質素なもので、寝室が二部屋に必要最低限の水回りと狭いシャワー室。リビングもあるにはあるが狭く、屋内で長時間過ごすには些か狭すぎる。
建物としては独立こそしているものの、規模でいえばそこいらの安い素泊まりの宿と同程度だろう。
聞けば、人数に合わせて多少の違いこそあるものの、幾つかあるコテージすべて同程度なのだという。
泊まるには不便。だがオアシスではそれで充分なのだ。
日中は湖で楽しみ、食事は皆で豪快に食べ、夜は星空を堪能する。
実質コテージにいる時間はほんの僅か。寝に戻るだけなのだから質素で問題ない。
それを話し、ステラは頭上を見上げた。満点の星空が広がっている。それに自分が浸かっている湖にも。
夜空に吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚だ。いや、もしかしたら既に吸い込まれているのかもしれない……そんなことすら考えてしまう。
確かにこの光景を放って屋内にいるなど勿体ない。周囲を見渡せば、どの客もみな湖の周辺で穏やかに過ごしている。
「星空に挟まれて、まるで星空のサンドイッチですね」
「サンドイッチか、ステラらしいたとえだ。これぞまさに絶景だな」
「見てください、私いま星を纏っています」
腰かけていた岩場から立ち上がり、ステラが湖の中央へと向かう。
胸下が浸かる程度の深さまで進めば、ステラの周囲にはもう星しかない。手を伸ばしても届くのは水面に映る星だけだ。
さながら星空のドレス。湖一帯が裾として広がり輝きを放つ。
なんて美しいのだろうか。
「美しいですね。ねぇぼっちゃま」
嬉しそうにステラが話しかければ、オーランドが穏やかに笑った。
続くように立ち上がり、水面の星空を崩さないように慎重に歩いてステラのもとへと近付いてくる。そうして目の前まで立ち、改めるように「綺麗だな」と褒めてくれた。
低く、穏やかで、優しい声。頭上の星空のせいか、それとも水面の星空のせいか、オーランドが輝いて見える。
トクン、と妙に大きな心音が自分の中で響いた気がして、ステラは我に返ると慌てて水面へと視線をやった。
「……み、見てください。月が浮いていますよ」
オーランドから顔をそむけ、水面に浮かぶ月へと手を伸ばす。
無理に話題を変えてしまっただろうか……と僅かな不安がステラの胸に湧くが、オーランドの「そうだな」という穏やかな声にほっと安堵の息を吐いた。
「これなら掬えそうですね。……あら、でも零れてしまう」
ステラが両手で水面に浮かぶ月を掬うも、手の端から水が零れてしまい月が崩れてしまう。
何度か試してみても同じで、なかなかうまくいかない。ステラの手が小さすぎるのだ。桶でも持ってくればうまく掬えただろう。
残念、と水面の月を突っつきながら漏らせば、クツクツとオーランドが笑った。
次いで彼もステラを真似るように水面の月を掬う。オーランドの手はステラと違って大きく、簡単に月を掬いあげてしまった。
「月も掬えるなんて、さすがぼっちゃま」
「さすがもなにも、単に手が大きいだけな気がするけど……。まぁ良いか、ステラ、手を出してくれ」
「手ですか?」
オーランドに促され、ステラが不思議そうにしつつ手を差し出す。
言われるままに両手を彼の手の下にと持っていく。先程月を掬おうとした時と同じだ。
これでいったい何を……と問おうとした瞬間、ステラの手の中に水が流れてきた。上に掲げていたオーランドが両手の合間に隙間を作り、そこから水を流してきたのだ。
ぱちゃぱちゃと落ちてきた水がステラの両手の中に溜まっていく。
「俺が掬った月をステラにあげるよ」
笑いながら話すオーランドに、ステラが目を丸くさせた。
いまだ彼の手から水が落ち、自分の両手の中に溜まっていく。月を掬いあげた水だ。
もちろん只の水なので月が入っているわけではない。今も揺れて月どころではなく、むしろオーランドの手が影になっていて何も映っていない。
だけど……。
「私、こんな素敵な贈り物は初めてです」
ステラが嬉しそうに答えれば、オーランドもまた穏やかに微笑む。
周囲は星に囲まれ、穏やかな湖の温かさがまるで夢の中のような心地よさではないか。
星のドレスに身を包み、星のスーツを纏ったオーランドから月を贈られる……。
(まるで物語のお姫様になったみたい。……それだと王子様は)
ふと水面からオーランドへと視線を向ける。
水を贈り終えた彼は満足そうに笑い、気に入ったのかもう一度月を掬ってはステラの手へと水を零している。その仕草はあどけなく、それでいて月を掬う彼の手は大きく男らしい。
彼を見ていると胸の内がじんわりと温かくなっていくのを感じ、ステラは慌ててパッと視線をそらすと両の手に溜まる水を見つめた。