03:人生の醍醐味
声をかけてきたのはオーランドだ。
後ろに彼がいる、水着姿の自分を見られている……。
今すぐに布を被って、いや、それどころか砂漠に穴を掘って潜り込んでしまいたくなる。
だがその羞恥心をグッと抑え込み、ステラは立ち上がると共にゆっくりと彼へと向き直った。
(いいことステラ、ここはスレダリアじゃなくてオアシスなのよ。果物も女性もたわわに実っていた方が魅力的なオアシスよ!)
今すぐに逃げたくなる気持ちを心の中で叱咤し、覚悟と共に顔を上げる。
だが次の瞬間に覚悟もどこへやら目を丸くさせたのは、当然と言えば当然なのだがオーランドも水着姿だからだ。
膝丈のズボンを履き、上半身は隠すことなく露わにしている。鍛えられたその体のなんと男らしいことか。
「待たせてすまなかったな」
「いえ、だ、丈夫です……。そんなに待ってませんので……」
「そうか、それならよかった。コテージが空いていたから借りておいたんだ。バイクも近くに停めてきた。せっかくだし、数日泊まっていこう」
「は、はい、そうですね。私、コテージに泊まるのは初めてです」
楽しみ、とステラが告げ、視線を逸らした。
オーランドに見られている事も恥ずかしいが、彼を見るのも今は恥ずかしい。どこに視線をやれば良いのか分からず、声が上擦ってしまう。
(ぼっちゃまの水着姿、最後にお見かけしたのは九歳の頃かしら……)
そんなことを思い出す。
あれは確かスレダリアにしては珍しく暑い日が続いた年――あくまでスレダリア基準の暑い日である。灼熱のカルカッタや砂漠の住民達からしてみれば鼻で笑う暑さだろうが――
オーランドが友人達に誘われ川に遊びに行き、ステラもお付きの一人として同行したのだ。
あの時のオーランドはまだ少年らしく華奢で、三つ年上のステラの方が背格好も大人に近かった。
懐かしい……と余韻に浸る余裕は無い。
なにせ今ステラの目の前にいるオーランドはあの時の少年では無いのだ。男らしく凛々しく、鍛えられた体を惜しみなく晒している。胸板は厚く、肩幅もがっちりとしている。
普段はガードナー家嫡男らしい服装で隠れて見ることなどなかったが、いつの間にこんなに男らしくなっていたのだろうか。
(だ、駄目だわ、恥ずかしくって耐えられない……!)
顔が熱くなるのを感じ、ステラはオーランドの視線を逸らさせるように慌てて他所を指さした。
湖のふちに立つ一軒の小屋。
「く、果物の飲み物が売られていると聞きました。わ、わた、私買ってまいります……!」
「あぁ、それなら俺が行こ」
「買ってまいります!」
オーランドの返事も聞かず、ステラは逃げるように小屋へと向かっていった。
自分の頭から湯気がポッポッとあがってないだろうか……そんなことすら考えてしまう。
◆◇◆
去っていくステラの背を見届け、オーランドは深く息を吐き……一瞬にして顔を赤くさせた。
ボッと音が出そうなほどのその反応に、二人のやりとりを眺めていたマーサとダレンが気付いて笑った。
「奥さんの水着に赤くなるとは、体躯の割には初心な旦那だ」
「あらあんた、まだ二人は夫婦じゃないのよ」
「おっとそうだったな。未来の旦那だな」
楽し気に笑いながら揶揄ってくる夫妻に、オーランドの顔がより赤くなる。それでもなんとか口にした「そうなりたいところだ」という唸るような言葉に、更に夫妻が豪快に笑いだす。
「そういう事なら、オアシスはムードたっぷりだよ」とはなんともマーサらしく豪快で、そして言葉とは裏腹にムードの欠片もない冷やかしだ。そのうえパンッ!と豪快にオーランドの背を叩くと、ステラのもとへと歩いて行ってしまう。
そんなマーサと入れ替わるように、一人の女性が通り掛かるとダレンに声をかけてきた。
「ダレン、またしばらく世話になるわ。ところで、そちらの方はもしかしてスレダリアの人?」
「あ、あぁそうだ。俺はオーランド」
「あたしはアイーシャ、よろしくね。貴方、あのお嬢さんと一緒に来たの?」
「あのお嬢さん……ステラの事か。あぁ、二人で旅をしている」
「ステラって言うのね。あの子、着替えの最中ずっと『こんな体を晒せない』って悲鳴を上げて着替えを渋ってたのよ」
ケラケラと楽しそうに話し、次いでアイーシャが「ごゆっくり」と去っていった。
他の客にも楽しそうに話しかける姿には常連の余裕を感じさせる。馴染みのあるオアシスで見慣れぬ客を――そして騒がしい客を――見つけて興味を持った、といったところだろうか。
オーランドが彼女の後ろ姿を見つめていると、話を聞いたダレンが「スレダリアって?」と不思議そうに声をあげた。
「スレダリアだからって着替えを渋るって、旦那の国には水着は無いのかい?」
「だから旦那では……。いや、それは置いといて。スレダリアにも水着はあるんだが、女性に対する価値観が……なんというか……『女性は細ければ細いほど美しい』とされているんだ。だからステラはスレダリアでは……少し柔らかすぎるというか……」
さすがに『太い』とは言えず、オーランドが言葉を濁しながら説明する。――そもそもスレダリアにおいてもオーランドはステラを太い等とは思っていない。自国の男達の考えがどうであれ、彼にとって一番魅力的なのは昔から今日まで変わらずステラなのだ――
それでも通じたのか、ダレンが驚いたようにステラへと視線を向けた。
ステラとマーサが小屋の店主と何やら話している。マーサが果物をあれこれと手にしているあたり、きっと果物の説明をしているのだろう。
二人は柄こそ違うが同じ形の水着を着て並んでいるため、体格の違いがより目に見えて分かる。
「あの若奥さんでも太いって? それじゃ母ちゃんはどうなるんだ」
「マーサ夫人は……かなり……」
言い難そうにオーランドが答える。
スレダリアは細身信仰、女性は細ければ細いほど美しいとされ、他国では標準体型のステラでさえ太いと分類されるのだ。ステラより一回りどころか二回り三回り横幅のあるマーサは……。
だがそれを夫であるダレンの前で話せるわけがない。
そう考え言い淀むオーランドに、察してダレンが肩を竦めた。
「異国の文化にケチをつけるのは野暮だが、母ちゃんが魅力無いなんてスレダリアの男連中は分かってないな。大事な人と食卓を囲んで旨いもんを食って一緒に肥える、これが人生の醍醐味だろ」
「人生の醍醐味?」
「あぁそうだ。大事な人と一緒なら飯は何倍も美味くなる。つい食べ過ぎちまうのも当然だろ。それで肥えるって言うならこれ以上の幸せはない。もちろん健康の範囲内でだがな」
「そうだな……」
「うちの母ちゃんも昔は相当苦労してたみたいでな、ここに来たときは目も当てられないくらいにやせ細ってたんだ。俺が手料理を振る舞ってやったら『食べ物を美味しく感じたのは久しぶりだ』って泣かれてよ。そのとき、この女の体も心も俺が肥えさせようって決めたんだ」
当時を思い出しダレンが満足気に頷く。今のマーサの姿を見て、当時の決意を果たせていると感じているのだろう。
この話に、オーランドが感銘を受けたと小さく息を吐いた。
もしもこの話をスレダリアの者達が聞いたらどう思うだろうか。
スレダリアでは女性が太ることを良しとせず、女性はみな小食であった。いや、小皿に盛られたサラダと、申し訳程度に具が浮いたスープ、それに一口二口程度の肉と小さなパン。
これだけで彼女達は満腹だと言うのだ。
かといって餓えているわけではない。そうあることが良しと本人達も思い、そうなるように考えも胃も自然と合わせているのだろう。
もちろん、ステラを除いて。
「ステラはいつも幸せそうに食べるんだ。一緒に食べていると俺まで幸せになる」
「そうそう、うまいもんを一緒に食べるのが最高の幸せだ。それに細枝の女じゃ折れちまいそうで強く抱きしめられないからな。その点、母ちゃんの柔らかさと抱きしめた時の心地良さといったらない」
「だっ……抱き……!?」
ダレンの開けっぴろげな話にオーランドが言葉を詰まらせる。
その反応が楽しかったのか、ダレンが豪華に笑い出した。「旦那にはまだ早い話だったか」と上機嫌で背中を叩いてくる。
まるで子供扱いされたかのようで、オーランドがコホンと咳払いをすると共にすっと背筋を正した。仕切り直しだと言わんばかりに、果物を手にこちらに戻ってくるステラに視線をやる。
果物にストローが刺さっているあたり、それごと飲むのだろうか。スレダリアでは見ない飲み方に興奮しているようで、ステラの瞳が子供のように輝いている。
その姿に、オーランドは愛おしそうに苦笑を浮かべた。
◆◇◆




