03:我慢より旅を
「私も小食だったら結婚できるのかしら……」
と思わずステラが呟いたのは、一日の仕事を終えた夕食時。
向かいに座るメイド仲間であり親友のエリーが「小食のステラはステラじゃないわ」と無慈悲に一刀両断してきた。次いで彼女の手がひょいと伸び、ステラの二の腕を摘まんでくる。
むにむにむにむにと揉まれ、食堂にステラの切ない悲鳴が上がった。
「分かってる、自分でもよく食べることは分かってるわ……!」
「自覚してる割には今夜もしっかりと食べてるのね」
「ご飯が美味しいのが悪いのよ」
私のせいじゃないわと言い切り、ステラが一口サイズに切ったソテーを口に運んだ。美味しい、と思わず頬が緩んでしまう。
賄いと言えどそこはガードナー家。主人達の料理にこそ劣るが、シェフが栄養を考慮して作ってくれているもの。一般家庭よりも豪華、むしろそこいらのレストランにも引けを取らぬと言えるだろう。
鶏肉は柔らかく噛むたびに味が口内に広がり、玉ねぎを炒めたソースを絡めるとより味が濃くなる。添えられているマッシュポテトも肉と違った柔らかな食感で、温野菜も仄かな温かさと共に野菜独特の甘みが充分に引き出されている。
肉も芋も野菜も美味しいのだから、ステラの銀食器が止まるわけがない。
「こんな美味しいご飯を我慢なんて出来るわけが無いわ。我慢も残すのも食への冒涜よ」
「それで、夕食後の仕事が終わったらオーランド様とお茶をするんでしょ?」
「えぇ、日課だもの。今日一日のことを報告するの」
「そこでクッキーを2枚。寝る前には甘いホットミルクよね」
「温かいミルクを飲んでぐっすり寝て、翌日もしっかり働くのよ!」
「それら全てが肉に繋がる」
再びエリーの手が伸び、むにとステラの二の腕を摘まんできた。
またも食堂に切ない悲鳴が上がる。
(分かってるのよ、ちょっと皆より腕と胸とお腹と腰とお尻と脚にお肉がついちゃってることぐらい……。でもご飯が美味しいんだもの……)
むにむにと二の腕を揉まれ続けつつ、ステラがソテーを食べながら心の中で訴える。
そうしてチラと目の前のエリーを見れば、彼女のなんと細いことか……。――「人の二の腕を揉むくらい神経は図太いのに!」と思いこそしたが、ステラはぐっと出かけた言葉を飲み込んだ。これを言えば二の腕ではなくお腹を揉まれかねない――
だがむにむにと揉まれてこそいるものの、ステラは太っているというわけではない。
しっかりと食べてはいるが暴飲暴食しているわけでもなく、そしてメイドの仕事というのは運動量が多い。おかげで括れるべきところは括れており、細身とは言えないが健康的な肉付きと言えるだろう。
見目だって悪くない。メイドらしく綺麗に編み上げられた赤髪はヘッドドレスが良く映え、晴れた日の空を彷彿とさせる澄んだスカイブルーの瞳。長い睫毛が大きな瞳をより魅力的に見せ、朗らかに笑うとあどけなさを感じさせる。
それでいてメイドとしては一人前で、年上の者達からも指示を仰がれることさえあるのだ。
それに浮いた話一つ無いとはいえ、なにも異性から嫌われているわけではない。
今日手伝った庭師を始め、屋敷で働く男達とも友好的に接している。他家に仕える男性達とだって親しく話し、顔を合わせれば互いの近況や両家を称え合ったりしているのだ。
ただ、そこから先に進まないだけ。
例えば雑談の後に「もう少し話したいから次の休みに会わないか?」だの「他の男ともこんなに楽しく話していると考えると妬けてしまう」だのといったアプローチが貰えないのだ。
そして先に進まない最大の理由……それが、今もまだむにむにと揉まれているこの体形である。
むしろこの国の美意識と言うべきか。
なにせ、ここスレダリア国では女性は細ければ細いほど美しいとされているのだ。
いかに腰が細く華奢で儚いか。それでいて不健康な痩せ方は良しとせず働き者を歓迎するのだから、ステラは常々「なんて我が儘」と訴えていた。
「だけど私も適齢期、そろそろ良い人を見つけないと……」
「あら、ついに痩せる決意をしたのね。食事制限でもするの?」
「まさか、そんなこと出来るわけがないわ。……だから!」
ガタッと勢いよく立ち上がり、ステラが拳を握る。
その勢いに食堂内の誰もが彼女に視線をやり……、
「私、世界に旅立つわ!」
という宣言に唖然とし、エリーは親友の相変わらずさに肩を竦めた。
ステラの考えはこうである。
世界は広く、趣味嗜好は国によって異なる。
となれば、きっとどこかに食いしん坊でふくよかな女性こそ美しいとされる国があるはずだ。スレダリア国がやたらと小食と細さを求めるのだから、その逆があってもおかしな話ではないだろう。
世界を旅してそんな食いしん坊を愛でる国に辿り着き、素敵な男性と恋に落ちてスレダリア国に帰ってくるのだ。
世界中の美味しいものを堪能しつつ。
(目的は素敵な男性探しよ。食いしん坊な私を愛してくれる男性を、美味しいものを食べながら探すの。ほら、異国を知るためには料理を知るのが一番だし、それに、国の料理を知って初めて生まれる恋があるかもしれないし……)
そうステラが自分に言い聞かせる。ぐぅ、とお腹が鳴ってしまうのは期待が募り過ぎたからだ。
なにせ世界は広く趣味嗜好は様々、そしてその分だけ美味しい料理がある。
どんな料理が待ってるのかしら……と想像が膨らむ。だが慌てて首を横に振り、「どんな男性が待っていてくれるのかしら……」と心の中で改めて期待し直した。
この考えに対し誰もが驚きを露わにしたが、ステラの熱意的な語りを聞くうちに彼女らしい考えだと笑みを零して頷いてくれた。
屋敷に仕える同僚達は「今まで勤め続けたぶん羽を伸ばさないとね」と背中を押し、その間の仕事を進んで任されてくれる。なんて優しく頼りがいのある仲間達だろうか。
ガードナー家夫妻も長期の休み希望を快く了承してくれ、夫人は「手紙を出してね」とステラの頭を撫で、当主に至っては餞別に渡航券の手配までしてくれるというではないか。
オーランドだけが最後まで渋っていたが、「夏祭りまでには戻ってきます」と告げてなんとか納得してもらった。――その際にオーランドが「それなら俺も……」と呟いたが、生憎とステラは彼が再び倒したインク瓶を片すのに必死で聞いて居なかった――
(ぼっちゃまには申し訳ないけれど、あそこまで渋ってくれるのはメイドとして頼られているからかしら。そう考えると嬉しくて寂しいわ)
引き留めようとするオーランドを思い出して小さく笑みを零しつつ、最後の荷物チェックをしてステラがトランクの蓋を閉めた。
同僚達が金を出し合って買ってくれたトランクだ。革張りでベルトも太く見るからに頑丈、それでいて金具は花の形をしており洒落ている。一目で値が張る代物と分かる。ステラが感謝すれば、代表して渡してくれたエリーが冗談めかして「これならお土産もたっぷり入るでしょ」と笑った。
もちろん、彼女なりに無事に帰ってきてくれと告げているのだ。
そんなトランクのベルトにお気に入りの日傘を括り、準備は完了。鏡の前で確認し、満足そうに一度頷いた。
腰元のリボンが映える茶色のワンピースに短めの赤いケープ。普段はきっちり編み込んでいる赤髪も今日は下ろし、レースのヘッドピースがよく映える。余所行きの格好だ。
そうして準備を終え、自室に別れを告げて屋敷を出る。わざわざ見送りの者が集まってくれているらしく、それもまたステラの背を押して旅への期待を高めさせた。
だがその場に着いて首を傾げたのは、見送りの者達の中にオーランドの姿があったからだ。
……正確に言うのであれば、トランクを片手にいかにも今から発つと言わんばかりのオーランドの姿があったから、である。
そのうえ見送りの者達はまるで訳知り顔で「二人共気を付けて」と言ってくる。
挙句にエリーがオーランドに向けて、
「ステラはたまにそそっかしいところがあるので……」
と託すようなことまで話しているではないか。
これにはステラも頭上に疑問符を浮かべた。これではまるで自分とオーランドの旅立ちだ。
それを問えば、オーランドが言い淀んだ後に頭を掻いた。
「えぇっと……俺もガードナー家を継ぐ前に世界を見て回ろうと思っていて……。ほら、他国とも繋がりを持つのは大事だから」
「まぁ、そうでしたのね。さすがぼっちゃま、もう後を継いだ先のことまで考えていらっしゃるのね」
「ぼっちゃまはやめてくれ。それで考えたんだ、俺は異国の知識もあるし、世界の情勢も把握している」
「ぼっちゃまは勤勉でいらっしゃいますものね」
「だからぼっちゃまは……。それに見た目だってそこいらの男よりも逞しいと自負してるし、荒っぽいことは好きじゃないがちゃんと鍛えてはいる。だから、その……女性一人旅より、俺と居た方が安全だろ?」
「ご一緒してくださるんですか?」
ステラがオーランドを見上げる。
確かに彼は知識もあり、外見も年下とは思えないほど立派だ。とりわけ異国の旅行となればどれだけ頼りになる事か。
だが頼りになるからこそ、それに甘えすぎて何から何まで彼頼みになってしまうのではないか、そうステラが訴えた。ガードナー家の屋敷とは勝手が違うのだ、もしかしたら頼るどころか彼の足を引っ張ってしまうかもしれない。
「私、異国への旅行は初めてですから、もしかしたらぼっちゃまに迷惑をかけてしまうかもしれません……」
「迷惑なんて思うものか。頼れるだけ頼ってくれ。だ、だから……俺と行こう!」
まるで意を決したかのように声をあげ、オーランドがステラへと手を伸ばす。
そして手を取り……はせず、トランクを掴んだ。――オーランドが手を伸ばした瞬間、見送りの者達から「おぉ!」と盛り上がりの声があがった。だが次いで彼が掴んだものがステラの手ではなくトランクであるのを見ると「あぁー……」と落胆の声に変わった――
「まぁぼっちゃま、荷物は自分で持ちますよ」
「いやいい、俺が持つ。どうせ馬車までだ」
二人分のトランクを軽々と持ち、オーランドが歩き出してしまう。
ステラは一度見送りの者達を振り返り大きく手を振ると、オーランドの後を追いかけた。