02:砂漠のオアシス
二人の目の前には湖。
真っ青な湖に、楽し気に談笑する水着姿の人々。それでいて囲むように生い茂る木々の向こうには砂の山が頭を覗かせている。
なんとも言えない光景だ。別々の場所で描かれた風景画を無理やりに組み合わせたかのように見える。理解が追い付かずステラとオーランドが唖然としていると、一人の男がこちらに気付き、にこやかに近付いてきた。
上半身は裸、下半身もひざ丈のラフな水着のみ。日に当てられた肌は褐色に焼けており、鍛えられた体が惜しみなく晒されている。
どうやらオアシスではこの恰好が普通のようで、他の男性達も皆彼と同じような水着を着ており、女性も上下に別れた水着に腰元に布を巻いている。湖の景色にあった涼やかな格好だ。
「お二人さん、その様子じゃオアシスは初めてかい?」
「あぁ、そうなんだ。何から何まで初めてでビックリした」
「砂漠とオアシスじゃ景色が一変するから、最初のお客さんは皆そうなる。俺はダレン、ここのオアシスの管理者だ。せっかく目の前に湖があるんだから、暑い中で立ちっぱなしは勿体ない。見惚れるのもオアシスの説明も、水着に着替えて湖につかりながらにしよう」
快活に話しながら、ダレンと名乗った男ががオーランドの背を押す。
次いで片手をあげると「母ちゃん!」と声を上げて湖の縁に座っていた女性を呼んだ。
年の頃なら二人共四十代半ばだろうか。女性は随分とふくよかな体付きをしており、豊満の一言につきる。それも胸や尻以外にも……というより腹も、足や腕も。
「母ちゃん、このお二人さんオアシスは初めてだと」
「あらそうなの? ようこそオアシスへ。私はマーサよ」
よろしく、とマーサがにこやかに笑った。
朗らかで人当たりの良さそうな笑顔だ。豊かな体つきも合わさってか、気風の良さを感じさせる。「世界一の女だ」とダレンに紹介されると上機嫌で笑いながら「いやだよあんた」と彼の背を叩くあたり、肝っ玉母さんといった印象も受ける。
次いでマーサはオーランドとステラに視線をやった。
「新婚旅行にオアシスを選ぶなんてセンスが良いねぇ」
嬉しそうに笑うマーサに、オーランドとステラが顔を見合わせた。
次いでステラがはにかみつつ違うと訂正すれば、オーランドが頬を赤くさせて只の旅行だと説明する。
だが夫婦共々楽しい話が好きなのだろう、今度は「婚前旅行とは洒落ている」と茶化してきた。
「それじゃ未来の若奥さん、こっちで着替えましょう」
「もう、揶揄わないでくださいな」
頬をほんのりと赤くさせてステラが促されるままマーサの後を追えば、オーランドもまたダレンに案内されながら別の場所へと向かっていった。
「無理です……私、こんな……無理です……!」
ステラが情けない悲鳴をあげたのは、オーランドと別れて直後。マーサに女性の着替用の小屋へと案内されてからの事である。
そこでステラは彼女にトランクを預け、そして代わりにと水着を渡された。曰く、オアシスでは誰もが水着で過ごすものらしい。
この……上下が分かれた大胆な水着で。
下半身には長めの布を巻くとはいえ、ただ巻いただけでは動けば太ももが露わになってしまう。
いや、そもそも太もも云々の話ではない。腰も、お腹も、腕も、首回りも、それどころか胸元の殆どだって晒しているのだ。これでは下着同然である。そのうえ色は真っ赤、大振りの花柄がより派手さに拍車をかける。
マーサ曰くこれはオアシスで貸し出している水着の一着で、ステラの赤髪に合わせてわざわざ赤色を選んで用意してくれたのだという。
それを聞き、ステラの胸に感謝が……沸くわけが無い。情けない声で首を横に振るだけだ。
「こんなだらしない体でそのような格好……!」
「なにがだらしないのよ、良い体付きじゃない」
まったく、とマーサが呆れの色を浮かべてステラの体を見つめる。
マーサは恰幅が良く、胸にも腹にも肉が乗っている。スレダリア国の細身信仰を抜きにしても太いと言われるだろう。
だが彼女は自分の体を恥じることなく水着姿を晒している。腰に巻いた布の上には肉が乗っているが、それすら気にする様子は無いのだ。
対してステラはと言えば、彼女に詰め寄られると一歩後退し、か細い悲鳴をあげていた。
「お嬢さん、もしかしてスレダリアから来たんじゃない?」
とは、そんな二人のやりとりを見ていた女性。
ちょうど着替えるところだったのだろう、ステラに話しかけつつもガバと豪快に服を脱ぎ始めた。褐色の肌に短く切られた黒髪、高い身長に長い手足、しなやかでありつつ胸元の膨らみは大きく、中性的な凛々しさ感じさせる美しい女性だ。
恥ずかしがる素振り一つ見せず一糸まとわぬ姿にまでなってしまうのだから、これにはステラの方が逆に赤くなって顔を背けてしまった。
それでもと小さく頷いて返せば、女性が「やっぱり」と笑った。
「仕事であちこち回ってて、前にスレダリアに行った事があるんだ。女性は細けりゃ細いほど良いって国だったね」
「あらやだ、それじゃあたしなんか入国審査で引っかかっちまうじゃない」
マーサがケラケラと笑えば、女性も楽しそうに笑いだす。なんとも豪快なやりとりではないか。
ステラが唖然としながら笑う二人を見ていれば、手早く水着に着替え終えた女性がポンと肩を叩いてきた。
白一色の水着は彼女の褐色の肌としなやかなスタイルに合っており、凛々しさと麗しさを交えた中性的な顔つきでパチンとウィンクされると同性だと分かってもドキリとしてしまう。
「スレダリアじゃ女は細い方が良いかもしれないけど、オアシスじゃ肉がついてないと水着は映えないよ」
「そ、そうなんですか……?」
「なんていったってここは恵みのオアシス。果実も女も、豊満に実っていた方が良いのさ」
まるでオアシスを誇るかのように語り、水着に着替えた女性が「お先に」と小屋を出て行く。
その先には湖があり、そして当然だがダレンや男の客達もいる。だというのに水着姿を晒す彼女の歩みに恥じらう色はない。彼女の水着は色こそ白一色だが布面積は貸し出し用のものより少なく、腰の布も巻いていないのだ。聞けば、常連は水着を自前するというのだから、あれはきっと彼女自身で選び持ってきたものなのだろう。
それを堂々と着こなし颯爽と歩く後姿はセクシーでありつつ勇ましさすら感じさせる。他者の目など気にしない、堂々とした自信だ。
ステラはそんな背をジッと見つめ……。
そして、意を決するようにマーサから水着を受け取った。
「では、代々一族でオアシスの管理をされているんですね」
「あぁそうさ。こっちとオアシスの出入口の町に家があって、一族で交代しながら守ってるのよ」
マーサの説明に、ステラが周囲を見回した。
降り注ぐ日の光は生い茂る木々が適度に遮り、心地好い風が吹き抜ける。チチと聞こえてくるのは鳥の鳴き声だろう。湖は澄んでおり、日陰の岩部に腰かけ足を浸けても足の指まではっきりと見える。
客達もあちこちで楽し気に笑い合い、眩く穏やかな空間だ。
自然に任せた場所もあり、反面、テーブルが並べられたり小屋が建てられたりと人工的な場所もある。自然を壊すこともなく、それでいて過ごしやすさも考えられている。
まさに『旅客を癒す自然』だ。砂漠の長旅も一瞬で消し飛んでしまう。
だがここを管理するとなると、なかなかに大変だろう。
それを労うように尋ねるも、マーサはあっけらかんと笑うだけだ。
「ここの管理は楽なもんよ。夜も熱が残って暖かいから、他のオアシスと違って気温の差もないし」
管理するに苦労はない、そうマーサが話しながら愛でるように手元の葉を撫でた。
まるで自分の子供を褒めているかのような口調だ。オアシスへの愛と、そして管理することへの誇りが溢れている。
「それに、もっと大きい砂漠だとオアシスは命綱だけど、ここは砂漠の規模も小さいからね。どっちの町にもらくだで二日程度だからみんな気楽に遊びにくるのよ。ここほど来やすいオアシスは無いって皆言ってるくらいさ」
「先程の女性も慣れた様子でしたね」
「アイーシャかい、あの子も常連だよ。仕事であちこち飛び回ってるけど、空いた時間はいつもここで過ごしてるんだ。あっちの家族連れも何度も来てるし、向こうの若い夫婦は新婚旅行で来てから毎年この時期に遊びに来てるね」
それに……とマーサが水辺で過ごす者達について話す。
砂漠から程よく離れたこのオアシスは名所であり、リピーターが多いのだという。
確かに、一面の砂漠の海から一転して自然溢れるオアシスという光景は他では味わえないだろう。
他のオアシスはどこも過酷な砂漠の中にあり、さらに日中と夜とでは気温の差が激しいというが、それに比べてこのオアシスは行き来しやすく夜も過ごしやすい。人気があるのも頷ける。
そしてリピーターが多い理由の一つには、管理者達の気風の良さがあるに違いない。
ステラが岩部に座ってマーサと話している最中にも、一人また一人と彼女に声をかけてくる。再会を喜ぶ者もいれば、改めて喜ぶような間柄ではないのだろう少しの会話で「また後で」と去っていく者もいる。
以前に来た時は一族の別の者が管理を担当していたらしく、夫妻の子達の成長を我が子のように嬉しそうに話す者もいるのだ。
その楽し気な雰囲気に当てられ、ステラも自然と背を伸ばした。
マーサに話しかける者達はまさに老若男女、体格も様々。スレダリアでも通じるほどに細い女性もいれば、大人二人分の横幅はありそうな女性もいる。男性の体格も一人ひとり違う。
共通点と言えば、皆水着を着ているという事くらいか。そして誰一人として己の体を恥じる様子は無い。
そんな中にいると、身を縮ませている方が恥ずかしいことのように思えてしまう。
(せっかくのオアシスですもの、私も楽しまなきゃ!)
そうステラが己に言い聞かせ、徐々に自信をつけていく。
だが「ステラ、待たせたな」と背後から声を掛けられると、ビクリと肩を震わせ一瞬にして自信が砕けてしまった。