07:砂の海へ
翌日昼、ステラとオーランドは町の外れに来ていた。
バイクには既に荷物が積まれており、今すぐ乗り込んで出発できる状態だ。それを見るステラの瞳は輝いており、対してオーランドはそわそわとバイクとステラを交互に見やっていた。
「ステラ、本当に大丈夫なのか? そんなに急いで出発することは無いんだぞ?」
「一晩ぐっすりと眠って、普段以上に元気です!」
「だが万が一の事もある。もう一日ぐらい休んだ方が良いんじゃないか?」
「宿を出る前にお医者様にも見て頂きました。道中の過ごし方も教わりましたし、お水も塩味の飴の準備も万全です!」
「そ、そうか? それなら出発するが……」
「次の目的地であるオアシスには半日程度しか掛からないそうですから、お医者様も大丈夫だと仰っていました。それにオアシスでは果物と豪快なお肉料理が出されると聞きました!!」
ステラの瞳が爛々と輝く。先日患った熱中症の気だるさはどこへやら、心は既にオアシスの料理に魅了されているのだ。
それを察してか、オーランドが苦笑を浮かべた。
「その調子なら問題なさそうだな。ただ異変を感じたら直ぐに教えてくれ」
「はい」
念を押すように告げてくるオーランドに、ステラもまた苦笑を浮かべて返した。
これが他の事であれば「ぼっちゃまは心配性ですね」とでも言っただろうが、今回はステラの不調が招いた事だ。それを考えれば過度な心配にも感謝が募り、揶揄うことなく素直に返事をし、万が一の事があればすぐに声を掛けると約束をする。
そんな中、ニャフニャフと聞こえてきた声にステラとオーランドが揃えて振り返った。
そこに居たのは言わずもがな旅猫である。ふかふかの尻尾を揺らしながら「間に合って良かった」とこちらに歩いて来る。
……ゆっくりと。
かなりゆっくりと。
「急いで宿を出た」という言葉とは裏腹に、まるで散歩しているかのような歩みではないか。――後に聞いた話だが、猫型の獣人は滅多な事では小走りはしないらしい――
「お見送りをしようと思っていたんですが、どうにも朝が弱くて。間にあって良かったです」
「まぁ、わざわざありがとうございます。道中はご迷惑をおかけしました」
ステラが深く頭を下げれば、旅猫がニャフニャフと笑いながら頭を上げるように告げてきた。
大事なくて良かった、旅では良くあること、そうフォローを入れてくる声は平然としている。長く旅を続けてきた彼からしてみれば、同行者が熱中症になるのはたいしたアクシデントではないらしい。
愛らしい外観に似合わぬ度量ではないか、貫禄さえ感じてしまう。
「旅猫さんとご一緒出来てとても良かったです。スレダリアに来られた際には、是非お声をかけてくださいね」
「えぇ、もちろんです」
「ですがこちらから旅猫さんにお会いすることは出来ないんですよね……」
彼が来てくれるのを待つだけ、というのは何とも心許ないものだ。
だが旅猫は居住地を持たず各地を旅してまわっている、いわば流浪の身。彼を探すことも難しく、手紙だって宛先がない。そもそも『旅猫』という呼び方だってステラが付けたものにすぎないのだ。
それを告げれば、旅猫がニャフニャフと笑い、ふかふかの手で胸元のスカーフを揺らした。
「それなら手紙を出してください。宛先は『赤スカーフ錆柄の猫獣人』と書いて、居合わせた商人や旅人に渡してくれれば大丈夫です」
「まぁ、それで届くんですか?」
「渡り渡っていずれは届きます。我々はそうやって連絡を受け取るんです」
随分と楽観視した旅猫の連絡方法に、ステラとオーランドが顔を見合わせた。
だがこの方法も旅人らしいと言えばらしいのかもしれない。
ふわふわと風のように旅をする彼への連絡方法は、ふわふわと風に任せるしかないのだ。
「当分は遠くへはいかずに旅をする予定ですから、きっと手紙もそう時間を取らずに届きますよ」
「そうなんですね。でしたら手紙を出させて頂きます。スレダリアには獣人の方はいらっしゃらないので、きっと皆喜びます」
「それは楽しみです。結婚の際には是非報告を……おっと失礼」
ニャフフ、と旅猫が笑ってふかふかの手で己の口元を押さえる。だが手の端から見える口元は随分とにんまりとしているではないか。
笑みが隠しきれておらず、これにはステラも首を傾げ「結婚?」とオウム返しで尋ねてしまった
結婚とは、はたして誰と誰の結婚だろうか。
途端に慌てだすオーランドを横目に、ステラはしばらく悩み……、
「そうでした、私、結婚相手を探しに旅をしていたんです!」
随分と長いこと忘れていた初心を思い出した。
ちなみに「熱中症のせいで忘れていました」と白々しい言い訳もしておく。
「おや、そうニャんですか? バイクに乗っている時は食べ物の話ばかりでそんニャ話はされていニャかったので、てっきり食べ物巡りの旅ニャのかと」
「そ、それは、あまり私情を話しても困らせてしまうと思って控えていたんです。私の旅はあくまで結婚相手探しで、食べ物巡りはついでです!」
きっぱりとステラが断言する。
それに対しても旅猫はニャフニャフと笑うだけだ。それどころか、ぐいと背伸びをするとオーランドの背をポンと叩いた。
「頑張ってください」という言葉はどういう事だろうか。だがそれをステラが問うより先に、オーランドが旅猫を呼んだ。
「必ず連絡しよう。……必ず。手紙ではなく招待状が出せるように善処する」
「お待ちしております。あぁ、そういえばあの事は言ってニャいんですか?」
「あの事、とは?」
「タオルで背を拭くことです。まさかあんニャあっさりと引っかかるとは」
「わ、わざわざ見送り感謝する! さぁステラ、そろそろ出発しよう! ……ん? 何か聞こえないか?」
旅猫の話を遮るように喋りだしたオーランドが、ふと何かに気付いたように周囲を見回した。
ステラもそれに続くように周囲を伺う。言われてみれば確かに、遠くからなにか聞こえてくるような……。
まるで砂を豪快に掻くような荒々しさ。それと、「どうどう!」と落ち着かせようとする必死な声。たとえるならば暴れ馬とそれの乗り手のような音と声だ。
だがここは砂漠、馬というよりは……。
そう考えつつステラは周囲を伺い、並ぶ建物の影からひょいと現れ、そしてもの凄い速度で近付いてくる動物に思わず目を丸くさせた。
あれはらくだ。いや、ただのらくだじゃない。
体をうねらせ暴れ、時に仰け反り乱雑に砂を掻く。あれはきっと……。
「ぼ、坊ちゃま、あれはもしや……!」
「あの勢い。今まで見たらくだの比じゃないな……。荒々しく、乗り手を振り落とそうという気概がひしひしと伝わってくる。あれはまさしく……!」
「おや、あれはニャンシーですニャ」
「「やっぱり!」」
旅猫が口にした名前にステラとオーランドが揃えて声をあげれば、その声が聞こえたのか、ナンシーが一直線にこちらに向かってきた。
その勢いはまだ距離があるというのに臆してしまいそうなほどだ。ぶつかったらひとたまりも無いだろう。あれに捕まって砂漠を横断となれば、なるほど確かに成し遂げたものは英雄扱いされてもおかしくない。
ステラがそんな事を考えつつ、向かってくるナンシーを見つめ……はっと息を呑んだ。
暴れ狂うナンシーの背に、一人の青年の姿がある。
言わずもがな、砂漠の入口にあった街で出会った青年だ。
「よう、お二人さん、また会っ……じゃぁな!」
再会の挨拶も言い終わらぬうちに別れの挨拶を口にし、ナンシーとその首にしがみついていた青年が去っていく。
あまりの勢いに砂が一際大きく舞い上がり、ステラがケホンと咳込んだ。パタパタとスカートに着いていた砂を払えば、隣では旅猫がブルブルと震えて細かな砂を落としている。
そうしてステラが再び顔をあげれば、既にナンシーの姿は遙か遠く。物凄い速さで進んだかと思えばグルリと半回転に近い方向転換をし、来た道を戻り、また方向を変え……と蛇行して走るのだ。時には馬が嘶くように前足をあげている。
「もうあんなに遠くに……」
「これはちょうどいい、お二人さん、オアシスに行くニャらニャンシーの後を追うと良いですよ」
ほら、と旅猫が砂漠についたナンシーの足跡をふかふかの手で指さす。
細かな砂はすぐに崩れて足跡を消してしまうが、あれだけ荒れ狂って走っていたおかげでナンシーの足跡はまだ残っている。時に左に右にと荒れ、なぜかグルリと一回転し、と、まさに蛇行だ。
随分な行軍ではあるものの、旅猫曰く、ナンシーは蛇行を繰り返しつつもオアシスへと向かうのだという。
そしてそこでオアシスを一周し、砂漠の端にある街へと向かう。もちろん、その間も乗り手を振り落とそうと暴れまわりながら。
「なるほど、つまりナンシー乗りにとってオアシスはチェックポイントでもあるんですね」
「そうです。むしろニャンシーに乗ってオアシスに着いてようやくニャンシー乗りを名乗れるぐらいです」
「なんて厳しい世界。ですがそれならナンシーの足跡を辿ればオアシスに着くんですね。足跡が消えないうちに出発しましょう、ぼっちゃま。……ぼっちゃま?」
同意を求めたものの返事が無く、ステラがオーランドを見上げる。
だがこちらの声は届いていないのか、彼は返事をするどころかじっとナンシーが去っていった先を見つめているだけだ。ステラが改めて「オーランド様」と呼びなおしても反応がない。
もしやナンシーが巻き上げた砂で目を痛めたり、砂を吸い込んでしまったのだろうか……。
「ぼっちゃま……いえ、オーランド様、どうなさいました?」
「ナンシー乗り、格好良いな……。……はっ、いや、なんでもない。どうしたステラ?」
「それはこちらの台詞です。突然ぼーっとなさって、どこか痛めましたか?」
「いや、大丈夫だ。えぇっと、オアシスに行くんだよな?」
「はい。ナンシーの足跡を追うんです。ですから消えないうちに出発しなくては」
ステラが説明すれば、オーランドが理解したと頷いた。
次いで改めて旅猫に別れを告げる。ニャフニャフと笑いながら「いつかまた」と気ままな再会を望む彼の態度はなんとも軽く、別れの寂しさは一切感じられない。
これもまた旅らしい別れだ。きっと旅猫は同じような別れを幾度も繰り返してきたのだろう。
ならばとステラとオーランドもそれに習い、あまり湿っぽくならないよう「いずれまた」と彼に別れを告げた。
そうしてオーランドがバイクに跨がり、ステラがサイドカーに乗り込む。
ヴンと唸るエンジン音を合図に、ゆっくりとバイクとサイドカーが走り出した。
「旅猫さん、スレダリアにいらした際には必ず教えてくださいね。美味しいものをたくさん紹介いたします」
「楽しみにしております。では良い旅を」
「良い旅を!」
旅猫が片手を上げる。それに合わせてステラも片手を上げた。
バイクがじょじょに速度を上げれば、もとより小柄な獣人の姿は瞬くまに小さくなってしまうだろう。今はまだ顔の判断がつくが、それもあと僅か。
それでもステラは見えなくなるまで彼に手を振ろうとし……、
「あら、旅猫さんってばもう街に戻ってしまいました」
名残惜しさの欠片も感じさせず、あっさりと踵を返して街へと戻っていく旅猫の姿に思わず声を漏らしてしまった。
虚を突かれたと言わんばかりのその声が面白かったのか、オーランドがゴーグルの下の瞳を細め「旅猫らしい別れだな」と笑った。