02:砂漠の砂は甘い塩味
そうして出発……とはさすがにいかない。
サイドカーに乗るだけのステラはいいが、オーランドは初めて運転するのだ。バイクについて学び、練習が必要である。
ゆえに今日はオーランドはバイクの試乗、ステラは砂漠を渡るのに必要なものの買い出しとなった。
「ぼっちゃま、お気をつけてくださいね」
「ぼっちゃまはやめてくれ。でも気を付けるよ」
オーランドが店員に続いて試乗の場へと向かう。心なしかその背が嬉しそうなのは気のせいではないだろう。やる気と期待に満ちている。
それを微笑ましく見届け、ステラもまた己のやるべきことに意気込んだ。
寒暖の差のないスレダリアで育ったステラとオーランドにとって、砂漠の暑さは未知の領域。とりわけ砂漠横断中は日陰になる建物も無く、当然だが店や宿も無い。準備は大袈裟なぐらいが良いだろう。
だがサイドカーには積載量の制限があり、あれこれ無闇に買い込むわけにはいかない。取捨選択の能力が必要とされる。
「お店の方に聞いて、必要なものを集めなくちゃ。それに……」
チラとステラが並ぶ店に視線を向けた。
昼時に差し掛かっているため飲食店が活気づき、あちこちから芳しい香りが漂ってくる。
砂漠に来てからすぐにらくだを借りに行き、そのままバイク屋へ……と来て、いまだに飲食店に入るどころかどんな食べ物があるか覗いてすらいない。
「試乗を終えたぼっちゃまに美味しい物を食べてもらうため、下調べをしておかなきゃ。これはいわば毒見、メイドの務めだわ!」
そう己に言い聞かせ、ステラが意気揚々と並ぶ店へと向かって歩き出した。
さっそく飲食店に惹かれそうになり「まずは必需品!」!と己を叱咤しつつ。
「……お水がしょっぱい」
とステラがパチンと瞬きをし、次いでコップの中を覗いた。
立ち寄った店で砂漠超えに水は必需品だと聞き、試飲を勧められて口にしたところほんのりと塩気を感じたのだ。
聞けば少量の食塩を混ぜて売っているのだという。
「お嬢さん、その水はしょっぱくて飲めないかい?」
「い、いえ……ですが少しビックリしてしまって……」
「飲み慣れないならこっちにするといい。レモンが入った水だ」
店員にコップを差し出され、ステラが一口飲む。
こちらも塩気はあるが、それよりもレモンの風味が強い。鼻に抜けていくレモンの香りのおかげで普通の水よりも飲みやすく、一口また一口と飲み進めた。
「さっぱりしていて美味しい。こっちのお水を頂きます。二人分、宿に届けてくださいな」
「まいどあり。出発は明日の朝だったな。夜のうちに届けておくよ。あぁ、あとこれも買っていきな」
「これは……飴?」
小さな包みに入った飴を一つ手渡され、ステラが不思議そうに手の中を覗き込んだ。
見たところ普通の飴だ。特別な外装を施されているわけでもなく、包みを開けてもコロンと転がり出てきたのは白一色の飴。
砂漠の名物なのだろうか。
ひとまず食べてみようとステラは飴を口に放り込み……きょとんと眼を丸くさせた。
甘い。
だが塩の味もする。
甘さと塩気がステラの口の中で混ざり合い、なんとも不思議な味わいだ。
「辛くて甘いカレーの後は、甘くて塩気のある飴……。世界は不思議な味で溢れているのね」
「砂漠を抜けるなら水だけじゃ駄目だからな。道中それを舐めときな」
「まぁ、これをですか? 確かに塩気と甘さが混ざった美味しさですが」
「違う違う、暑さ対策だよ」
「暑さ対策?」
よく分からないとステラが首を傾げ、コロンと口の中で飴を転がした。
塩なのに甘い飴。
今までに経験したことのない味だが、所詮は飴である。当然だが冷たくもなく、喉の乾きも潤わず、舐めていても涼しくはならない。
(氷だと解けてしまうから、その代わりに舐めるのかしら?)
不思議、とステラが疑問を抱きつつ、それでも水と一緒に二人分購入する。
飴のどこが暑さ対策なのか分からないが、他でもない店員が必要だと言っているのならそうなのだろう。
それに、この飴はなんともいえない癖になる味だ。一袋買って、絵葉書と一緒にスレダリアに送ろう。
きっとみんな不思議な味わいの飴に驚くだろう。その光景を想像し、ステラは小さく笑みをこぼしながら店内を見て回った。
「それでな、走り出すと思ったより振動は無いんだ。前後にしか車輪が無いからバランスを取りにくいかと思ったが、慣れれば馬よりも楽に走れる」
「そうなんですね。ぼっちゃまは馬にもバイクにも乗れて凄いです」
「スレダリアにはバイクは無いから、きっと同年代でバイクを乗りこなしたのは俺だけだ。きっとみんな羨ましがるぞ」
「私、バイクの絵が描かれた絵葉書を買いました。これに乗って砂漠を渡るとガードナー家に手紙を出しましょう。みんなビックリしますよ」
きっとガードナー家中が驚き、そしてオーランドの友人達はこの話をさぞや羨むことだろう。中には羨むどころかバイクに乗るために砂漠に来る者もいるかもしれない。
とりわけ彼の年代の青年達はバイクのような機械に魅力を感じるらしく、思い返せば、最新の馬車に乗った来客があると若い男の使い達がどこからともなくふらふらと現れていた気がする。
皆一様に遠目から馬車を眺め、あの部品はどうだ、デザインはこうだと語り合い、そして馬車が動き出すと小さな感嘆の声さえあげていたのだ。
今のオーランドもまさにそれで、夕食を食べつつも話は終始バイクについてである。
これほど饒舌な彼は珍しく、ステラが思わず小さく笑みをこぼせば、それで我に返ったのかオーランドが慌てた様子でコホンと咳払いをした。
「えっと、それで、ステラの方はどうだったんだ?」
「まぁぼっちゃま、バイクの話を続けてくださっても構わないんですよ?」
「い、いや、大丈夫だ。とにかく、次はステラの話を聞かせてくれ」
気恥ずかしそうに話題を変えようとしてくるオーランドに、ステラがいっそう笑みを強める。この照れ隠しを含めて、なんとも彼らしい。
そうして自分の手元に視線を落とした。
夕食はさっぱりとしたスープとパン、それに大きめの肉。豪快な盛りつけは暑い砂漠の土地によく似合っているが、どれも漏れなくほんのりと塩味が効いている。
なかでも、アイスプラントと呼ばれる野菜はそれ自体に塩味がついているから驚きだ。見た目こそホウレンソウや小松菜に似ているが、全体に水滴のような塩の固まりが付着している。味付けをしていないのに塩味がついているのだ。
それに……とステラがコップに視線を向けた。注がれているのは水だ。だがこれもまた塩気があり、瓶にはレモンの輪切りが沈んでいる。
「お水は今飲んでいるものと同じものを用意してもらいました。レモンが入っている方が飲みやすいと思いまして」
「あぁ、最初に飲んだときはビックリしたが、レモンの風味がさっぱりしていて飲みやすいな」
「それに、暑さ対策の塩味の飴も……。これが不思議なんです」
「塩の飴?」
「はい。塩味なのに飴の甘さもあるんです。それ以外にも塩味のパンに、塩味のジェラートまで! 塩だけでも何種類もあったんです!」
あれもこれも塩だったとステラが訴えれば、オーランドが食べかけの料理を見つめた。これもまた塩味がベースになっているのだ。
もちろん他の料理もあるにはあるのだが、せっかくこの地に来たのならばと宿の店主に進められた料理である。
「ここは塩が名物なのかもな。せっかくだし、明日は出発前に露店に寄ってみよう。ステラはいろいろと食べたみたいだし、お勧めを教えてくれ」
「まぁ、ぼっちゃまってば、私そんなに食べ歩いては……食べ、歩いては…………」
「どうした?」
「バイクの話をいたしましょう」
今度はステラが無理矢理に話題を変えて誤魔化せば、オーランドが楽しそうに笑った。