01:振り落としのナンシー
カルカッタを出国してしばらく馬車に揺られ、着いた先は砂漠。
だが突然砂漠に放り出されるわけではなく、小さいながらも活気のある町が入り口に構えている。旅立つ者はここで必要なものを揃え、辿り着いた者達はここで体を癒すのだ。
「出発は明日の朝が良いな。今日のうちにらくだを借りておこう」
「私、らくだは見るのも初めてです。上手く乗れるでしょうか」
「巨体だが従順で大人しい生き物らしいから大丈夫だろう。不安なら体格の良いらくだを借りて二人で乗ってもいい」
それなら大丈夫だと、オーランドが提案しつつ町の中を歩く。
彼は乗馬が得意だ。同年代の子息達と比べても彼の馬の扱いは長けており、動物に好かれやすいのか愛馬からも慕われている。
らくだがどんな生き物かは分からないが、きっと乗りこなせられるだろう。
そうしてらくだを貸し出しているという店に到着し、扉に掛けられているプレートにステラが首を傾げた。
馬のような生き物のシルエットのプレートだ。だが馬より首が長く、背中におおきなこぶがある。これがらくだなのだろうか。
だとすると何とも不思議な生き物ではないか。この背中のこぶはいったい何なのか……この首の長さは何のためなのか……。
「坊ちゃま、これがらくだという生き物でしょうか?」
「多分そうだろうな。本で読んだ通りのシルエットだ」
話しつつオーランドが店の扉を押し開けば、上部に取り付けられた鐘がカランと鳴った。
その音が響きわたるほど店内は静まりかえっており、客どころか店員さえいない。ステラが店の奥へ聞こえるよう「ごめんください」と声を掛け、ようやく奥から店主らしき男が顔を出してきた。
砂漠に似合った日焼けをした体躯の良い男だ。ステラ達を見ると愛想の良い笑顔で歓迎するが、オーランドがらくだを借りたいと言い出すとその表情に困惑の色を浮かべだした。
もしやとステラとオーランドが店主に話を聞けば、運悪く今はらくだがすべて借り出されているというではないか。
この店は砂漠を出た先にある町にも同じ店を構えており、連携してらくだの貸し借りを行っている。
こちらでらくだを借りて砂漠を渡り、向こうの店で返す。逆にこちらに来る客は、砂漠の先にある店で借りてこの店に返すという仕組みだ。
返却や店に戻す手間を省く効率的な方法だが、時には大口の客が来て、らくだの数に偏りが出来てしまうのだという。
それがまさに今だ。
「数日中には戻りの客がいるだろうから、どっかに泊まって待つか、それとも……。いや、待てよ、今朝あいつが戻ってきたか」
店主が何やら呟き、帳簿を捲る。
曰く、早朝に一匹のらくだが返却されてきたのだという。疲労している様子もなく、今は休息させているが明日の朝には出発できる。体格も体力も十分ならくだで、二人乗りも可能。
その話を聞き、ステラとオーランドが顔を見合わせた。なんてタイミングのよい話だろうか。
「それなら、そのらくだを借してくれ」
「あぁ、準備しておくよ。人気のあるらくだで、わざわざこいつが戻ってくるのを待つ客もいるくらいなんだ」
「そうか、それは良かった。穏やかな子なんだな」
「いや、逆だ。客を置き去りにして戻ってきちまうんだ。その気性の悪さといったらなく、振り落としのナンシーと呼ばれてる」
「……人気があるんだよな?」
「みんな無駄に挑むから名物になってるんだ。ここいらじゃナンシーに乗って砂漠を超えたら英雄扱いさ」
「大人しいらくだが戻ってくるのを待たせてもらおう」
店主の物騒な話に、オーランドが肩を落とす。ステラに至っては物騒極まりない話に小さく震えてさえいた。
馬に振り落とされた人は見たことがある。らくだも同じ体格だというのなら、振り落とされれば相当の衝撃だろう。そのうえ砂漠に置き去りに……なんて恐ろしいのだろうか。
だというのに、そのナンシーというらくだは大人気だというから不思議な話だ。
スリルと名誉を求めているのだろうか……と、そんなことをステラが考えていると、騒々しい足音が聞こえ、次いでバタンと勢いよく扉が開かれた。扉上部の鐘が、先程の比ではない音をあげる。
入ってきたのは一人の青年だ。ここまで駆けてきたのだろう、息を荒くし頬が上気している。
「店主! ナンシーが戻ってきたって聞いたぞ!」
「あぁ、あんたか。ナンシーなら今朝早く戻ってきたよ」
「よし、この前は街の手前で振り落とされたから、今回こそ!」
闘志を宿した瞳で青年が意気込み……ふとステラとオーランドに視線を向けてきた。
今ようやく二人の存在に気付いたとでも言いたげだ。それほどまでに夢中なのか……らくだに。いや、ナンシーに。
「もしかして、あんた達もうナンシーを……」
「安心してくれ、借りるつもりはない。俺達は普通のらくだを待つから、どうぞナンシーに乗っていってくれ」
「そうか、そりゃ助かった。あんた達らくだに拘りがないなら、バイクはどうだ?」
「バイク……。そうか、ここはバイクもあったな」
男の提案に、オーランドが何かを思い出すような表情を浮かべる。
対してステラは不思議そうに首を傾げるだけだ。なにせスレダリアにはらくだも居ないが、バイクというものもなかった。
だが男の話から『バイク』というものが移動に適しているのは分かる。ならばらくだと同じような生き物なのだろうか?
「坊ちゃま、バイクとはどのような生き物ですか? 振り落としますか?」
「ステラ、俺は坊ちゃまじゃないし、バイクは生き物じゃない。原動機で動く二輪車だ」
オーランドが説明する。だがステラはそれを聞いてもいまだピンとこずにいた。
生き物ではないのは分かった。だが『原動機で動く』と言われてもその原動機が想像できない。
なにせスレダリアでの主な移動方法は馬車、近場ならば徒歩。あとは娯楽としての乗馬くらいなのだ。
そんなステラに、オーランドが「見た方が早い」と告げた。
心なしか彼の瞳が輝いて見える。どうやら、すでにオーランドの気持ちはバイク屋に向かってしまったようで、察した店主が苦笑しつつカウンターから便箋を取り出した。
「そういう事なら、良いバイクを借りれるよう紹介状を書いてやるよ。俺も何度かバイクに乗って砂漠を越えたが、あれはあれで良いもんだ」
「らくだを貸してるのに、バイクを借りたのか?」
「どっちにも良いところがある。らくだに乗ってゆっくりと砂漠を越えるのも良いが、時にはバイクで爽快に走り抜けたくもなるのさ」
どちらも魅力があると店主が笑いながら話す。
そうして書き終えた紹介状をオーランドが受け取り、礼を告げて店を後にする。ステラもそれに続けば、青年が少し先まで着いてきて曲がり角に差し掛かると案内をしてくれた。
「この道を真っ直ぐに行けば店がある。店先に大きな看板があるから直ぐにわかるはずだ」
「わざわざありがとうございます」
「ナンシーを譲ってもらった礼だ。それじゃお二人さん、良い旅を」
「えぇ、あなたも。ナンシーに振り落とされないよう、怪我には気をつけてくださいね」
別れの言葉を告げれば、青年が踵を返すと元来た道を歩き出した。
その背には後ろ髪引かれる様子もなく、しばらく見つめていても振り返る事もない。後腐れのない潔い別れだ。
彼の背が小さくなるのを見届け、ステラとオーランドもどちらともなく歩き出した。
「そういえば、あの方のお名前を聞くのを忘れていましたね」
「そうだな。だがそのうちナンシーを乗りこなした英雄として知ることになるだろう。サインを貰っておけば良かったかもな」
冗談めかしたオーランドの言葉に、つられてステラも笑みをこぼす。
名乗ることなく話し、別れ、再会の約束もなければ次会える保証もない。
なんてあてのない関係だろうか。だがこれもまた旅の醍醐味だ。
そして、異文化の技術に触れるのも旅の醍醐味である。
「凄いな、バイクだ。初めてみた」
そう話すオーランドはバイクに釘付けで、全貌を見たかと思えばしゃがみこんで細部を覗く。時には実際に触れて、店員に説明を受けて、自分の知識と比較して、……と、まるで新しい玩具を前にした子供のようだ。
彼の目の前には一台のバイクと、その横には大人一人ならば余裕で入れそうな車台。二つを見比べ、ステラが首を傾げた。
「この大きな方に跨がって運転するんですよね。隣の小さい方は何ですか? こちらはハンドルが見あたりませんが」
「これはサイドカーだ。運転せずに併走できる。俺が運転するから、ステラはこっちに乗ると良い」
「まぁ、坊ちゃまに運転なんて……運転、なんて……」
させられません、と言いかけ、ステラがチラとバイクに視線をやった。
見るからに重々しい機械めいた乗り物。サイドカーがあるので横転こそしそうにないが、バイク自体には前輪と後輪しかなくバランスを取るのは難しそうだ。
そのうえ、かなりの速度が出るというではないか。
さらにこれから行くのは砂漠。砂が風に舞いあげられ、視界を守る為にゴーグルを着けなくてはならないという。もちろん、ゴーグルなどメイド人生で着けた事など無い。
初めて乗るバイクで、初めて行く砂漠、初めて経験するゴーグルの視界……。
(乗れるかしら……。いえ、乗れるかじゃない、乗るのよ! ガードナー家に仕える者として、私が坊ちゃまをお連れしなくては!)
自分に言い聞かせ、ステラがぐっと拳を握る。
それを見て察したのか、オーランドが案じるように声をかけてきた。
「ステラ、俺が運転するから無理をするな。前に本で読んだ時から運転してみたかったんだ」
「いえ、メイドとして主人の世話になるわけにはいきません。……ですがぼっちゃま」
「なんだ?」
「振り落としてしまったら申し訳ありません」
「振り落としのステラ……。勘弁してくれ。俺が運転するから、ステラは荷物を頼む。主人の荷物を守るのもメイドの務めだろ」
オーランドの提案に、ステラが彼とバイクの交互に視線をやり……、
「必ずや、荷物を守り通してみせます!」
と熱く誓った。