02:働くメイドとおいしい昼食
二度目の朝食を終え、やる気に満ちたステラの最初の仕事は屋敷の掃除だ。
同じメイド仲間と協力し屋敷中を磨き上げ、晴れた日には屋敷の外も磨き上げる。ガードナー家は歴史ある公爵家だ、相応に屋敷も大きく庭も広い。
そしてこの敷地も家の権威を象徴するものであり、美しく保つこともメイドの重要な仕事である。働く者にとっても名誉あることだ。
「庭師が噴水の水抜きをすると言っているわ。誰か手の空いている者はいない?」
数人で大広間の窓を磨いていたところメイド長に声を掛けられ、ステラはメイド仲間達と揃えたように彼女へと視線をやった。
次いでパッと手を上げる。
「午後からぼっちゃまの手伝いがありますが、それまでなら」
「それなら午後は私がやります」
「夕方まで掛かるようなら私が代わるわ。声をかけて」
ステラに続いてメイド達が次々と手を上げる。
中には今日は職務に追われて余裕が無いのか「明日だったら私がやるのに」と話している者もいる。
そんな働き者のメイド達にメイド長が満足そうに頷き、それならとステラを始め数人に言い渡して去っていった。
そうして窓ふきを終え噴水の手入れを手伝えば、あっと言う間に昼食の時間だ。
今日の昼食はチーズとハムを乗せて焼かれたトーストと、暖かな湯気をあげるポトフ。
チーズが溶け落ちハムの上に広がる光景のなんと食欲を誘う事か。ハムの旨みとチーズの濃厚さは極上の組み合わせである。
ついつい食が進んでしまう……が、そんなステラの手が止まったのは、テーブルを囲むメイド仲間の口から『結婚』という単語が出たからだ。
見ればメイドの一人が頬を染めている。周囲にいる者も瞳を輝かせ、それがまるで波紋のように広がりステラの座る場所にまで届いてくる。
どうやら親しくしている他家の嫡男に告白をされたらしい。
「昨日、一緒にお茶をしていたところ『結婚を前提にお付き合いを』と言われたの……」
「ずっと慕っていたのが報われたのね、おめでとう!」
「玉の輿じゃない、やったわね!」
「ねぇ、出会った時のことを聞かせてちょうだい」
一人また一人と話に加わり、件のメイドに祝いの言葉を贈る。
ステラもまた祝いの言葉を告げ、砂糖菓子を二つ取り出してそっと彼女のティーソーサーに添えた。
鳥のシルエットを模した砂糖菓子。ピンクと水色を選んだのは、男女の門出を祝ってのことである。
それを嬉しそうに受け取り「お菓子でお祝いなんてステラらしい」と笑う彼女のなんと嬉しそうなことか。
若く、働き者で美しい、これ以上のものはないだろう。
(……それに細いし)
ステラが溜息を吐くと共にトロリと溶けたチーズの乗ったパンを齧った。
チラと見れば、メイド仲間達の前には食事とは思えない少量の食事だけが並べられている。もちろん、結婚を前提にとお付き合いを望まれたメイドも同様だ。
通常の四分の一程度に切られたパンには、トロリともしないチーズの欠片。具が殆ど入っていないため器の底が見えているポトフ。それと皿の半分にも満たない申し訳程度のサラダ。
たった数口で済んでしまいそうな食事量である。それどころか中にはサラダだけの者さえいる。
対してステラのトレーにはしっかりとした食事が乗っている。分割することなく一枚そのままのパンを、とろりと溶けるチーズとハムが覆う。ポトフには具がゴロゴロと沈んでおり、サラダもしっかりと用意した。採れたての人参は色鮮やかで、それだけで食べても歯応えと野菜の香りを堪能できる。
メイド二人分……どころか、三人分は優にあるだろう。そのうえポトフはおかわりしたい。となると四人分か。
他のメイド達との食事量の差を突きつけられているような気分になり、ステラは直視しがたい光景にせめてもの抵抗と目を細めながら食事を再開することにした。
そんな昼食の余韻が心とお腹に残る午後、場所は食堂から変わってオーランドの部屋。
一角には豪華な品々が積まれており、ステラが一つを手に取り差出人の名を探す。オーランドが昔から世話になっている家の夫妻からだ、ならばと周囲の品を探せば、その家の子息からの品もあった。
(やっぱりパーティーの後は贈り物の量が多いわ)
そう考えつつ、ステラは目の前の山を前に一息ついた。
先日ガードナー家はパーティーを開いており、この山はその礼の品々である。
その一つ一つを手に取り差出人と品を確認し、見合ったお礼と手紙を用意しなければならない。量が量なだけに大変な作業だが、日を置き過ぎては失礼にあたり迅速な対応を必要とされる。
かといって皆に同じものと同じ文面を送るわけにもいかないのだから、これはなかなかに重労働だ。
ゆえにステラが差出人と品を一覧にし、オーランドが返礼を決めて手紙を用意していた。
彼が大人になるにつれ贈られる品も値が張るようになり、返礼が慎重にならざるを得なくなる。二人がかりでやっとだ。
「ぼっちゃまの誕生日は大変でしたね。私一人では足りず数人呼んで、大仕事でした」
「丸一日かかったな。それどころか夜まで働かせてしまった」
「特別な手当てを出してくださったんですよね。そのうえお菓子やお花も分けてくださって、みんな『来年は私がやりたい!』って言ってますよ」
仲間達との会話を思い出しながら、山になった品を見上げてステラが笑みを零す。
オーランドの誕生日の時は贈答品の量も凄まじく、今目の前にしている山の倍はあった。おかげで返礼の準備は大変だったが、十分すぎるほどに労われ、なにより祝い事の贈り物は見ていて気分が弾む。
有名店のお菓子や、美しく咲き誇る花、祝の言葉を飾られた焼き菓子、見た事のない異国の布、高価な茶葉と花を型どったお砂糖、洒落た装飾……。
ガードナー家嫡男に贈られるだけありどの品々も高価なもので、オーランドはそれを惜しむことなく手伝ったメイド達に分け与えてくれたのだ。
それを思い出しつつ、また一つ積まれた品を手に取る。そこに書かれている家名を見て、ステラは「あら」と小さく声をあげた。
昼食の時の話題が思い出される。同僚のメイドが愛おしそうに呼んでいた家名、送り主はメイドに結婚を前提にと告白をした家の者だ。
「……結婚かぁ」
思わずステラがポツリと呟けば、まるでそれの返事と言わんばかりにガチャン! と大きな音が聞こえた。
いったい何事かと振り返れば、先程まで座っていたはずのオーランドが立ち上がって唖然とした表情を浮かべている。彼の手元では羽ペンが転がりインク瓶が引っ繰り返っており、黒いインクがコポコポと溢れ出していた。
「まぁぼっちゃま、大丈夫ですか!?」
「ぼっちゃまではないと……いや違う、結婚!?」
「お怪我はありませんか? 大変、お召し物に染みが!」
「結婚、ステラが!? 誰と!?」
「そんなことより早く脱いでください、洗わなくては!」
「いや、それより結婚の話だ!」
二人揃って声を荒げて慌てだす。
ステラは服を脱ぐように促し、オーランドは誰といつの間にそんな仲にと訴える。慌てふためくあまり互いの問いには答えず、まったく噛み合っていない。
そんな状態でしばらく混乱し、痺れを切らしたステラはオーランドのシャツを剥ぎ取ろうと彼へと手を伸ばした。
「私の結婚ではありません!」
という声と共に。
「……ステラ、じゃない?」
「えぇ、まだ名前は出せませんが、メイドの一人です」
「そ、そうか……ステラじゃないのか……」
「さぁぼっちゃま、早くシャツを脱いでください」
「あ、あぁ分かった、脱ぐからあっちを向いていてくれ」
扉の方を指さされ、ステラは大人しく従って彼に背を向けた。
先程までの結婚話の余韻もどこへやら、ステラの頭の中は既にシャツの染み取りでいっぱいだ。
なにせ、よりにもよって白いシャツに黒いインクという最悪の組み合わせ。これは早く洗わなければ手遅れになってしまう。
(今日はランドリールームには誰が居たかしら。染み抜きの得意な子が居ればいいけれど)
そんなことを考えつつ、着替え終えたオーランドからシャツを受け取ると共にすぐさま部屋を出た。染み抜きは早いほうが良い、むしろ一秒の遅れが命取りになりかねない。
それほど急いでいたのだ、扉が閉まる直前にオーランドが「よかった……」と安堵したことに気付かないのも仕方ない。